ザ・ビートルズ 2017

オール・アバウト・サージェント・ペパーズ

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』発売50周年

2017年は『サージェント・ペパーズ』が発売されてから半世紀となる。新たに発売される50周年記念エディションの内容や聴きどころを、アルバムにまつわるエピソードもまじえながら解説します。どうぞご期待ください。

Vol. 01 イントロダクション

20世紀のロックの名盤。いつしかそんなふうに言われるようになったビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(以下『サージェント・ペパーズ』)。言うまでもなく、最初から名盤になるのがわかっていて作られたわけではない。では、なぜ『サージェント・ペパーズ』が現在でも高い評価を受け続け、ロックの歴史に名を刻むほどの存在になったのか。  名盤になった背景として、アルバム制作の数ヵ月前にビートルズがコンサート活動をやめたこと。それが大きかった。ツアーをやめたことで、スタジオでのレコーディング時間が大幅に増えたからだ。66年8月29日のサンフランシスコ、キャンドルスティック・パーク公演後、4人が再びスタジオに顔を揃えたのは、3ヵ月後の66年11月24日のことだった。

「新作制作に対しプレッシャーを感じるようになり、それを和らげるために別のグループのメンバーになりきろうとした」。

ビートルズとは別のバンドがショーを行なう――。『サージェント・ペパーズ』のその突飛なアイディアは、66年12月に、ポールが休暇を終えてイギリスに戻る機内で浮かんだらしい。“サージェント・ペパー”という名前も、ともに休暇を過ごしたロード・マネージャーのマル・エヴァンスに、機内食の容器に書かれた“S”と“P”の意味を訊かれたポールが、“salt'n pepper”と答えたその言葉の響きが元になったという。  架空のバンドのコンサートとはすなわち、ライヴ活動をやめたビートルズの、スタジオ(レコード)でのコンサートの再現を意図したものでもあった。とはいえ、最初からそうした狙いがあったわけではない。アルバム制作当初は、リヴァプールでの彼らの子供時代をテーマにした作品集を作ろうという思惑があったからだ。最初にレコーディングされた2曲――ジョンの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」とポールの「ペニー・レイン」が、それぞれ子供時代から慣れ親しんでいたリヴァプールの実在の場所を元に書かれた曲であるのも、そうしたテーマに沿ったものだった。

そして、ポールの発案を元に、スタジオでのアルバム制作は、5ヵ月間、延べ700時間にも及んだ。長年のライヴ活動で世界のファンを魅了し続けてきたアイドル・グループにとって、時間に束縛されずに制作に没頭できる環境は、新しい扉を開くほど刺激的だったに違いない。レコーディング・アーティストとして生まれ変わるための実験場としても申し分のないものともなった。

『サージェント・ペパーズ』は67年6月1日に発売され、22週連続1位を記録。ロックをアートにまで高めた初のコンセプト・アルバムとして、現在に至るまで語り継がれる名盤となった。カラフルなアルバム・ジャケットには、花に飾られたギターやマッシュルーム・カットの頃の4人の蝋人形まで登場しているが、まるでそれは、“アイドル時代”の過去を葬り去り、次なる世界へと革新的に進むための意思表示のようでもあった。

LPのA面1曲目に針を落とすと聞こえてくる会場のざわめき。そして演奏中に聞こえる歓声。コンサート終演間近のB面の終わりには、ビートルズとしては初の試みとなる同じ曲の再演(リプライズ)が入り、さらに最後の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」では、これもまた実際のライヴでは行なわなかったアンコールに応える形として「サージェント・ペパーズ」のリプライズと重なるように曲が登場し、ピアノの一音を最後に響かせながらメンバーが退場する、という場面をレコード上で演出してみせた。それだけでなく、犬にしか聞こえない高周波のノイズと意味不明の声をレコードの最終溝に忍び込ませるお茶目な芸当も見せて、だ。

『サージェント・ペパーズ』が“20世紀の名盤”と言われるのには、そうした音楽的な創意工夫以外に、もうひとつ大きな理由がある。斬新なジャケット・デザインだ。『ウィズ・ザ・ビートルズ』(63年)や『リボルバー』(66年)をはじめ、ビートルズにはそれまでのポップ・ミュージックにはない印象的なジャケットがすでにたくさんあったが、『サージェント・ペパーズ』は、衝撃度の強さではそれを上回る仕上がりだった。

ジャケット写真の撮影は、3月30日にロンドンにあるマイケル・クーパーのチェルシー・マノー・スタジオで行なわれた。これもコンセプトはポールによるもので、バックの人物写真のコラージュは、ポールの知人ロバート・フレイザーを介してピーター・ブレイクと彼の妻ジャン・ハワースが手掛けた。二人は68年にグラミー賞のベスト・アルバム・カヴァー賞を授与したが、切り抜き細工などの付録、サイケ模様の内袋、裏ジャケットへの歌詞の掲載など、隅々にまで行き届いたこの手の込んだ“アート作品”の受賞は当然、である。ビートルズのアルバムの中で『アビイ・ロード』と並ぶパロディ・ジャケットの多さも、それを証明している。そうしたパロディ・ジャケットだけでなく、“サージェント・ペパーズ・チルドレン”アルバムの多さも、後世への影響力の強さを表わしている。

(2017/4/19 UP)

VOL. 02 作品解説:レコーディング-1

日本公演から2ヵ月後となる1966年8月29日、アメリカ公演中だったビートルズは、サンフランシスコのキャンドルスティック・パークでのステージを最後にツアー活動に終止符を打った。飛行機嫌いのジョージは、ライヴ活動をやめたときに「これでもうビートルズのメンバーじゃない」と言ったそうだが、実際、バンドはここで解散していてもおかしくない状況だった。

この時期に、ビートルズとEMIとの契約が満了になったのも、ひとつの巡りあわせだったのだろう。ライヴ活動から、というよりもマネージャーのブライアン・エプスタインから解放された4人は、各々単独行動を開始する。ジョンはビートルズの2作の主演映画の監督を務めたリチャード・レスターの誘いを受け、『ジョン・レノンの僕の戦争』に出演し、ポールはジョージ・マーティンの助けを借りて映画『ふたりだけの窓』の音楽を手掛け、ジョージはインドに滞在しラヴィ・シャンカールに師事し、リンゴは家族とのんびり過ごした。

そして11月24日、4人は3ヵ月ぶりに顔を揃え、EMIスタジオで、新しい作品のレコーディングへと向かっていった。11月から12月にかけて最初にレコーディングが開始されたのは、ポールが10代の頃に書いて66年に完成させた「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」と、シングルとして発表されることになる「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「ペニー・レイン」の計3曲だった。

レコーディングはジョンがスペインで書き上げた「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」から始まった。締め切りに追われることなく作業に集中でき、しかもそれまでの曲の中でも最も複雑かつ困難なレコーディングとなったため、作業はほぼ1ヵ月に及んだ。11月29日にテイク7が完成したが、ジョンがジョージ・マーティンに「外部ミュージシャンを加えて録り直したい」と依頼し、12月8日からアレンジを変えた再録音作業が始まった。まずリズム・トラックを録り、15日に弦楽器と管楽器を加え、ジョンの思い描いた音像に近づいたかと思いきや、そこでまたもやジョンが難題をマーティンにふっかけた。最初に録ったテイクと新しく録ったテイクをひとつにしたいのだと。22日、マーティンはキーもテンポも違う2曲をどうやって合わせるか苦慮したが、幸運にも、最初のヴァージョンのピッチを上げ、両者のキーをぴたりと合わせることに成功したのだ(編集されたのは、2度目に歌われる“Let me take you down ‘cause I’m going to”の“I’m”と“going”の間の箇所)。

67年の仕事始めは1月4日。年末から取りかかっていた新曲「ペニー・レイン」のレコーディングをEMIスタジオで行った。年末に作業を終えた「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」はレコーディングにそれ以前にはないほどの時間が費やされたが、「ペニー・レイン」もそれに勝るとも劣らない作業となった。作者のポールはビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』を愛聴していたことから「クリーンでアメリカっぽいサウンド」というイメージがあり、最初に自らが弾くピアノでベーシック・トラックを作り、そこにフルートやトランペット、オーボエ、フリューゲルホルンといったクラシック楽器を重ねていった(リンゴがドラムを叩いているものの、ジョンとジョージはほとんど貢献していない)。そして迎えた17日、ほぼ完成していたテイクにピッコロ・トランペットを加える。このアイディアは11日の深夜に自宅でクラシック・コンサートのテレビ番組を観ていたポールが思いついたもので、翌日ジョージ・マーティンに相談したところ、たまたまテレビで観たピッコロ・トランペット・プレイヤー(デヴィッド・メイスン)がマーティンの知り合いということで、すぐに話がまとまり、参加を要請することになった。ポールがメロディを歌い、マーティンが採譜し、メイスンが音を確認しながら作業を行ない、間奏のフレーズが決まるまで3時間、そのあと2テイクで完成したという。

このシングル2曲も「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」も、いずれも過去を回想したノスタルジックな内容の曲ばかりだが、そうした曲が先に録音されたのにはワケがある。『リボルバー』(66年)に続く新しいアルバムは、当初は“少年時代”をテーマにしたものだったからだ。このときビートルズは、バンド活動の一区切りとして、一旦デビュー前へと意識を“ゲット・バック”させようとしたのかもしれない。

しかし、67年2月1日にテーマは変更となる。レコーディング録音終了後にポールはこう言ったそうだ。  「ペパー軍曹が本当にレコードを作ってるみたいにやってみるのはどうかな?」

ジョージ・マーティンがそのアイディアを気に入り、3月6日、ライヴの臨場感を出すためにイントロのざわめきや拍手、笑い声などのSEがスタジオのテープ・コレクションから引っ張り出された。エンディングの観客の叫び声には、当時未発表だったビートルズのハリウッド・ボウル公演のテープが使われたという。

こうしてレコーディングされたのが、タイトル曲「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」だった。

(2017/4/27 UP)

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