【森俊之インタビュー】

これまではもっぱらキーボード・プレイヤーとして椎名林檎のレコーディングに参加していた森俊之氏。昨年リリースのシングル「真夜中は純潔」収録の「愛妻家の朝食」での共演からその関係性はぐっと深まりをみせ、本作『唄ひ手冥利~其ノ壱~』の「森PACT DISC」はその名の通り、彼の全面プロデュースで行われています。そして、その作風はダイナミズムに振り切れる瞬間がありながらも、非常に緻密な視点から生まれているような印象を与えているわけですが、その彼が語る制作秘話もまた実に緻密かつ理路整然としていて、この人柄あっての「森PACT DISC」であることがお分かり頂けるのではないでしょうか?

──まず、シングル「真夜中は純潔」に収録されている「愛妻家の朝食」を手掛けたことから、今回、レコーディングのお話があったと思うんですが、それがカヴァー・アルバムだという話を聞いて、どう思われました?
そうですね。林檎ちゃん自身とは正式にオファーを受ける前にメールのやり取りや電話のやり取りで事前に、色んな彼女の構想を聞いて、自作曲ではなく、カヴァーをやって、徐々に自分のモードを創作モードに持っていきたいっていうことを聞いていたんですよ。なので、実際、オファーを頂いた時には驚きはしなかったし、楽しくやれそうだなとは思いました。ただ、誰のどの曲をカヴァーするかは聞いてなかったし、例えば、英語詞の曲を彼女なりに訳して日本語で歌うのか、それともそのままオリジナル通り歌うのか、つまり、カヴァーの仕方ですね。そういう具体的なことは聞いていなかったです。
──それは2枚組であるとか、もう一枚は亀田さんが手掛けるっていうことも事前にご存じだったんですか?
はい。その辺のコンセプトは最初に言われたんですよ。要するに彼女のなかにあったんですね。「亀ちゃんは‘今までの椎名林檎’像みたいなものをギター・サウンドで演出して欲しい。森さんはギターを使わないでくれ」と(笑)。だから「キーボード、もしくはコンピューター・プログラムを駆使してサウンドを作って欲しい。で、出来れば、‘これからの椎名林檎’みたいなことを少しだけ意識して作ってくれるといいかな」と。で、ギターを使っちゃいけないっていう制約が後々には相当な苦労につながっていくんですが(笑)、その時は「あ、面白いコンセプトだね」って思いました。
──スガシカオさんをはじめ、これまでの森さんのお仕事を聴かせて頂いた限りでは、キーボードや打ち込みのアプローチでよりよく知られていると思うんですけど、ギターを使っちゃいけないっていうことはないじゃないですか?
そうなんですよ。絶対にギターは使いますし、特に最近の僕のプロデュースやアレンジの仕方はものすごくフラットなんですよ。だから、例えば、「この音楽にはキーボードや打ち込みはいらないな」とか「ざっくり3ピースのギター・トリオとかでやった方が成立するな」とか、そういう仕事の場合、自分のキーボードすら入れませんし、打ち込みですら作らないですから。そういう形で完結する場合もあるんですよ。林檎ちゃんは、多分、僕のそういう部分を知ったうえで、わざとそういうオファーをしてきたと思うんです。だから、その辺はすごいですね。
──失礼かもしれませんが、プロデューサーをプロデュースする、みたいな(笑)?
(笑)いや、ホント、そういう感じです。亀ちゃんも恐らくそういうことがあったと思うんですけど、僕は彼とは話をしてないから、どうだったのかは分からないですけど。だから、そういう制約のなかで、多分、僕にしても、亀ちゃんにしても、1歩も2歩も突っ込んでやれた感じはあるんです。だから、一緒にやったドラムの沼澤さんとかベースの(渡辺)等さんであるとか、そういう人たちと自分がこれまでやってきた音楽キャリアの、ある種、集大成みたいな、自ずとそういう風になっちゃったんです。自分ではそうしようとは思ってなかったし、あくまで椎名林檎にスポットが当たるように持っていきたいし、そういう風になるように作ってるつもりなんですけど、林檎ちゃんが僕をそうするもんですから、自分が考え得る引き出しを全部開けて、120パーセントやったっていう、手応えがありました。
──それに関しては、「森さんのお仕事集みたいな感じにもなればいいな」って、林檎ちゃんも言っていて。
だから、あのプロデュース能力はもうホントすごいですよ。セルフ・プロデュースなんだけど、周りを上手く巻き込む何かがあるんです。で、その中心に彼女がいて……あの、現場では矛盾したことを言ったりっていうこともあるんですけど(笑)、でも、カリスマ性みたいなもの、吸引力みたいなものに引き寄せられて、ついつい、100パーセント、120パーセントっていう感じになっちゃうんですよ。僕、「愛妻家の朝食」の時には、正直言って、そういう風には思わなかったんです。確かにすごい人だなとは思ったし、キーボード奏者としては『無罪モラトリアム』の頃からやらせて頂いていましたけど、あの時は初めてだったっていうこともあって、探りながらの作業でしたし、彼女にとっても「森さんって、私のところではどういう形でやってくれるんだろう」っていう探りみたいな部分があっただろうし。でも、今回はそういうのを飛び越えちゃいましたから。だから、すごい内容の濃いものになってると思うんですけど(笑)。だって、マスタリングが終わって、林檎ちゃんとエンジニアの(井上)うにさん、それから僕の3人でアルバムを通して聴いたんですけど、なんか、もう、重い映画を映画館で観て、最後のエンド・ロールのところで、感動して立ち上がれない、みたいな(笑)、そういうような感覚になりましたね。我々はすごいものを作っちゃったんだ、と。別に天狗になっているわけじゃないんですけど、そういう感覚になったことは、僕、いままでないので。そういう風に持っていった彼女はやっぱりすごいな、と。
──それから話を戻しますと、オファーが来てから、カヴァー曲のセレクションが森さんのところに伝えられたんですよね?
そうですね。最初に大体の曲を。で、彼女のなかで左右対称にしたいというか、「亀ちゃんの方でこの曲だったら、森さんはこの曲」みたいな、横の並びのたたき台がまずはあって。でも、横の並びだけだと、今度は縦の並び、つまり一枚のアルバムとして辻褄が合わないので、その縦の並びを調節するために2、3回の取っ替え引っ替えがありました。だから、当初は僕がやることになってたもののなかに日本語の曲があったんです。でも、僕が1、2曲アレンジして、それがサウンドになった時、彼女の方で「じゃあ、こういう方向に軌道修正しよう」っていうことがあって、そこから3曲ほど曲が変わりました。で、結局、外国語の曲だけになったという。
──普通、アルバムを作る時って縦の並びしかないじゃないですか。それなのに、録ってもいない曲の、しかも、もう1枚のアルバムとの横並びについて考えるって、一体、どういうことなんだろうって思うんですが?
そうなんですよ。だから、すごい企画屋さんだなぁ、と。結局、『唄ひ手冥利』っていうタイトルにしても、自分は今回、唄い手に徹する、と。でも、そのことをリスナーに伝えるためには普通にやってもエンターテインメント性は生まれないじゃないかっていう、そういう発想から来てると思うんです。あくまで、聴いて楽しんでもらうっていうことに関して言えば、今回のアルバムには林檎ちゃんの歌詞やメロディがあるわけでもないですから、聴いている人には何かしらの付加価値がないと楽しくないと思うんです。普通に椎名林檎がカヴァーをやりましたっていう事実だけでは、恐らく、1回聴いて、「さすが、椎名林檎!上手いなぁ」って思って、終わっちゃうと思うし、それではつまらないんじゃないかっていうところからスタートしてるので、いろんな楽しみ方が出来るようになってるんです。しかも、それを最初から考えているところがすごい!で、作業中には色々軌道修正はするんですけど、結局、最初に言ってたコンセプトが最終的にCDになっているところもすごい!
──しかし、そのセレクションっていうのが、いわゆるロック、ポップスだけでなく、オペラとかシャンソン、ジャズやソウルと、色々なタイプの曲が入っていますよね?
うん。それでこのアルバムを作る前に林檎ちゃんには「このアルバムでは自分のルーツを探るので、森さんに言っておきたいのは、私は森さんより14歳年下で、言ってみれば、全然聴いてきた音楽も違うだろうし、もしかすると森さんが高校生くらいの時に聴いてたものは、私が子供の頃に聴いていた音楽かもしれない。ただ、私はリアルタイムではないけれど、70年代のマーヴィン・ゲイだったり、カーペンターズだったり、あるいは子供の頃、クラシック・ピアノを始めて弾いた曲、そういうものが実はホントの自分なんだ」っていう話を聞かされたんです。だから、そこで僕も自分のルーツの話を彼女にしたんですけど、そこにはやっぱり色んな共通項があるんですね。で、恐らく、彼女は「愛妻家~」を一緒に作った時、「森さんはロックが好きとかソウルが好きとか、そういうジャンルで音楽をやってる人じゃないな」っていうことをかぎ取ってくれたと思うんです。で、そういう混ざった、今で言うミクスチャー感の面白さとか格好良さとかを感じてくれたうえで、それだったら、「私も森さんに自分が出来る一切合切を投げてみて、あとは森さんに何とかしてもらおう」と、そう思ったんじゃないですかねぇ(笑)。
──その点に関してなんですけど、これまで森さんの関わった作品を色々聴かせて頂いて、ブラック・ミュージックの影響が色濃い森さんのキャラクターは何となく把握していたつもりなんですけど、このアルバムではヨーロッパ的な洗練されたサイドが大フィーチャーされていて、ビックリしたんです。
そうなんですよ。やっぱりね、根っこはヨーロッパなんですよ。で、彼女はそこの部分に反応したと思うんです。しかも、林檎ちゃんは、僕が個人でやってるライヴを何度か観に来てくれたんですけど、それを聴いて、「この人はやたらめったらキーボードを弾いて楽しんでるだけの人じゃない」っていうことに気づいたみたいなんです。でも、僕としてはそういう部分を封印していて、ここ何年かはどちらかと言えばブラック・ミュージックに影響を受けた瞬発力で音楽をやろうっていう風になってたので、一般的にはブラック・ミュージックにルーツがある森俊之っていう見え方をしてたと思うんですけど、彼女は僕のキーボードを聴いて、一発で「この人は絶対フランスものの人だ」って思ったらしいんです。で、それはピッタリ当たってて、実は彼女の前にアレンジをやらせてもらった大貫妙子さんにも同じことを言われたんですけど、かたや僕の上の世代で僕がものすごいリスペクトしてきたミュージシャン、かたや、15歳年下の林檎ちゃんという、その世代では一番尊敬しているミュージシャンから同時期に同じことを言われて、そこで僕が封印していたことを目覚めさせてくれた。だから、「今の僕はこういうことをやらない方がいいな」って思ってたことを、逆に今の等身大のレベルでずばっと出したのがこのアルバムです。だから、すごい楽しかったし、それを引き出した椎名林檎は恐るべしっていう感じです。
──というところで、アルバムの曲を1曲ずつおうかがいしていきたいんですが、まず、1曲目は「君を愛す」ですが、これは森さんなりのエレクトロニカなのかな、と。
これは僕がいま、モードが音響系という感じなんです。とはいえ、「林檎ちゃんを海外のアーティストでいうところの誰々風にしよう」っていうことは一切考えてなかったんですけど、いまの僕のモードがああいう感じなので、ヨーロピアンなサウンドだったら、「もう、これしかないな」と。あの子の声は初めて聴いた時から、ギター・サウンド以外では、ノイズとか、もしくは電子音しかないだろう、と。ただし、ノイズや電子音とは言っても、あくまで耳に痛くない、心地いいものであって欲しかったんですけど、アルバムの冒頭と言うこともあったし、僕がやるということでエンジニアの(井上)うにさんも察してくれたのか、最初からノイズ・サウンドをドーンとプッシュしてくれて、聴く人はビックリするだろうなっていうミックスをやってくれたんです。
──林檎ちゃん曰く、この曲では「Ich liebe dich」っていうフレーズを強調したいっていうことを言っていたんですが、実際、「Ich liebe dich」のコーラス・パートがありますよね?
最初、あのコーラス・パートはなかったんです。でも、2コーラス目をハモった方がいいんじゃないかっていうことになって、その場で僕が考えたんですけど、あれは結構難しくて、音楽的には対旋律、つまり、主となるメロディに対してもう一つメロディをくっつけるクラシック的なやり方なんですね。
──だから、これまでの森さんの作風をなんとなく想像して、勢いのあるものが来るのかなって思っていたら、実に緻密なアレンジになっていて、驚きました。
そうですね。構築美みたいな。だから、例えば、MOUSE ON MARSであるとかAPHEX TWINであるとか、僕がいま一番カッコイイと思う音響系のエッセンスなんだけれども、それを真似しようとか、そういうことではなくて、あくまで音楽的でありたいというか。だから、和声なんかは原曲とはそのままですし、何もかもぶち壊そうっていう精神ではないんです。やっぱり、壊しすぎても面白くないし、ちょっとだけストイックでいたいっていう気持ちがああいうアレンジになったという感じなんですよ。
──それは2曲目の「jazz a go go」もしかりで、エレクトリックな質感のジャズなんだけど、コンピューター上での編集が多用されていますよね。
そうですね。今回、ドラムは沼澤さんに参加してもらったんですけど、「この曲の最初のドラム・ループは沼澤さんがやったのかな?」っていう風に聞こえるようにしたかったんです。実際、あのドラムは僕が作った打ち込みで、沼澤さんの生ドラムは間奏以降に出てくるんです。
──じゃあ、打ち込みと生ドラムの融合が行われている、と。
だから、リズム・トラックにはすごい時間がかかりましたね。
──それでいて、原曲はオルガンが利いたジャズっぽいアレンジですけど、オルガンはそのまま生かしていますよね?
そうです。それは林檎ちゃんに言われて、「ああいうキッチュな感じのオルガンの中で歌いたい。で、オルガンと言えば、森先生でしょ」みたいな感じでうまく持ち上げられて(笑)。あんな感じでオルガンを弾き倒すことは他のレコーディングではないんですけど、そう言われたので弾き倒してみました。だから、あの曲のハイライトは林檎ちゃんのスキャットとオルガンの会話がいま一番尖った感じのバックトラックと融合しているところだと思います。
──全体的なアレンジはどういうイメージだったんですか?
まず一つはニセ物のジャズにしたかったということ。本物のジャズ、もしくはアシッド・ジャズみたいな感じにはしたくなかったので、我々なりのプラスティック・ジャズという感じです。でも、原曲のジャズっていうのも、フランス人が誤解してやったジャズなんですね。その誤解がカッコイイわけで、ここでは更に誤解してみよう、と(笑)。ただ、スキャットとオルガンのフレーズは、原曲へのリスペクトを込めて、生かそう、と。
──「jazz a go go」が森さんのオルガンを大フィーチャーしているかと思えば、次の「枯葉」では森さんのキーボード仕事のカタログ的な曲というか、いろんなキーボード・サウンドがフィーチャーされてますよね。
ああ、これは時間かかりましたね。もし、ギターを使えるんだったら、ああいうアレンジにはならなかったと思うんですが、この曲はリスナーに一番知られている曲だと思うんです。知られている曲が一番難しいので、どういう風にしたものかっていうところで、キーボードをカラフルに使って、テンポも変えながら使ってみました。だから、ここで使った鍵盤楽器は、生ピアノ、ハープシコード、オルガンを2種類、ピアニカ、アナログシンセ、あとサンプリングしたストリングス……もういろんな楽器を使いました。
──アレンジの広がりがすごくプログレッシヴというか。
(笑)でも、あくまでポップでしょ?そこには留まっていたいなっていうのと、あと、本物すぎないようにしたいなとは思ってましたね。それからこの曲で面白いのが、林檎ちゃんってドイツっぽいものとフランスっぽいものが好きなんですけど、それは僕も同じで、この曲ではそのドイツっぽい部分とフランスっぽい部分が融合していて、それも僕らが勝手に誤解しているドイツとフランスなんです。で、あの曲におけるドイツっぽい部分っていうのは重いストリングス・アレンジだったり、フランスっぽい部分は林檎ちゃんのスキャットやハープシコードの音色だったり、そういう形でデフォルメしたのがあの曲ですね。
──で、まぁ、この3曲目までがヨーロピアンな感じで来て、続いての「i won't last a day without you」はカーペンターズの、これまた有名な曲のカヴァーですね。
そうですね。有名な曲ほど原曲には近づけないようにしようっていうのが僕のなかにあって。この曲は1曲目の「君を愛す」に通じる部分があるんですけど、レコードがパチパチいってるスクラッチ・ノイズをコンピューターに取り出して、それをパーカッション代わりに、でも、その音がうるさく聞こえないようにアレンジしたり。あと、普通、こういう曲はピアノを使ったり、ストリングスを贅沢に使ったりっていう広がりのあるアレンジにするのが普通なんですけど、ここではこぢんまりさせたかったんです。だから、ストリングスも生のストリングスを使わないで、サンプラーを使って打ち込みで作っていて、聞こえ方としてはすごく狭い感じになってると思うんです。あと、チェレスタっていう楽器(金属製の音板を叩くことによって美しい音色を奏でる鍵盤:チャイコフスキーの「くるみ割り人形」などで使われている)を使ったのも、一つには林檎ちゃんから「メルヘンな感じ、北欧な感じにして欲しい」っていう要望があったからなんですけど、それも生じゃない形で使いたいっていうことでああいうサウンドになりました。
──この曲は林檎ちゃんと宇多田ヒカルちゃんっていう名前の並びだけで非常に華があるデュエットじゃないですか。だから、それに対して、林檎ちゃんは「より日常的な歌というところでやりたかった」って言っていて。
それは僕にもよく言ってました。なので、アレンジが尖っていたり、逆に歌に親切すぎてつまらないっていう風にならない、ちょうどいい落とし場所に行ったんじゃないかなって思うんです。
──2人のヴォーカルを考えてのアレンジについてはいかがですか?
基本的にはヒカルちゃんが歌う場所ではこういうアレンジ、林檎ちゃんが歌う場所ではこういうアレンジっていう風に変えちゃうと、流れとしては成立しないなと思ったので、そこまでは意識してないんですけど、僕のなかではヒカルちゃんはアメリカ人、林檎ちゃんはヨーロッパ人っていうイメージだったので、ヒカルちゃんのところは気持ち的な部分では少し芳醇にしたら、歌いやすいだろう。林檎ちゃんのところは、極端に言えば、コードが鳴ってなくても、全然歌えるだろうし、自然とヨーロッパ的になるだろうな、と。そういうことは考えましたね。
──アヴァンギャルドな表現が日常的にあるのがヨーロッパ的だったりするじゃないですか。それは林檎ちゃんの作風なのかなとも思うんです。
そうですね。だから、林檎ちゃんはマライヤ・キャリーやセリーヌ・ディオンみたいな歌い方は絶対しないですし、僕のつたない英語力では判断出来ないんですが、すごいイギリスっぽい英語で歌ってる気がするんです。それに対して、ヒカルちゃんはアメリカのど真ん中、それも今の感じのアメリカですね。だから、そういう組み合わせの面白さがありますよね。
──あと、この曲のエンディングには林檎ちゃんが新宿で録ったというS.E.が使われてますよね。
ちょうど、この曲の歌録りが終わった時点で、アルバムの曲順が決まってきて、「この曲はこういうアレンジで、次のアレンジがこういう風で~」っていうことが分かった時点で、何かが欲しいなと思ったんでしょうね。だから、林檎ちゃんが録ってきたS.E.を聴いて、「ここがいい、あそこがいい」って、ずっとやってましたね(笑)。
──その流れから次の曲が「黒いオルフェ」なんですけど、原曲はボサノヴァですよね。それが、ファンクっていう一般的なイメージの森さんの作風で来てますよね。
この曲は彼女と色々話をしてて、「一つだけ森さんにやらないで欲しいことがあります」って言われたんです。で、何かなって思ったら、“キンコカンコン、コンカキンコン”っていうラテンのピアノがありますよね。そのスタイルはモントゥーノって言うんですけど、「それだけはやらないでください。それをやらずにラテン・フィールな感じに出来ますか?」と。僕、かつてはサルサのバンドをやってたこともあるので、ラテンをやるっていうと、とことんまでラテンにいっちゃうんです。だから、そういう縛りがあったのが、かえって良かったみたい。で、ラテンとまではいかないですけど、ジャミロクワイとかインコグニートみたいな、いわゆるアシッド・ジャズ系の人がその辺の音楽を取り入れてますよね。だから、あの流れしかないのかなっていうことで、思いっきりサルサだったり、ラテンだったりっていうものではない、思いっきりニセモノな感じ、しかも、そこには誤解もあって、それでいて今っぽい踊れるものっていうところで、ああいうアレンジになったんです。
──だから、ボサノヴァのアレンジは残っているのかなと思って、聴かせて頂いたら……
コードは全く変えちゃいましたし、いわゆるブラジル色は一掃しましたね。
──あと、この曲で林檎ちゃんはポルトガル語と英語の両方で歌ってますよね。
そうですね。当初、彼女は短い尺のなかでポルトガル語のみで歌うつもりだったみたいなんですが、僕がサイズを増やして、間奏の後でもう一回歌うようにしたんです。そういうこともあって、ここはポルトガル語、ここは英語っていう感じにヴォーカルを上手く振り分けましたね。
──そして、次が「mr.wonderful」なんですけど、この曲は日本人が考えるところのフレンチなアレンジですよね。
これは僕が一番気に入っていて、ペギー・リーのヴァージョンからして素晴らしいじゃないですか。だから、どうしようかなって考えた末にコンボ・バンドがやってる風にしよう、と。だから、要はその辺のバーで演奏しているような安っぽい雰囲気ですよね。それと、僕が大好きな電子音/ノイズっていうかけはなれたものをくっ付けたいな、と。しかも、この曲の根っことなるのは、ジャズはジャズなんですけど、アメリカンなジャズではなく、ミッシェル・ルグランみたいなヨーロピアンなジャズにいろんなものが混じってる感じにしたかったんです。
──だから、要素で言えば、ハープシコードがヨーロピアンな感じですよね。
そうですね。当初はギターだけだったんですけど、それだとどうしてもアメリカンなジャズになってしまうので、後から僕がハープシコードを足したんですよ。だから、この曲はラウンジ系と言えるのでしょうか。
──本物に寄りすぎず、かつニセモノすぎずっていう、その絶妙な感じはこのアルバムの特徴なのかな、と。
ホントおっしゃる通りで!そこは一番気を付けていたところだったんで、そう言って頂けると嬉しいです。
──あと、林檎ちゃん曰く「この曲は歌詞が素晴らしいので、歌はちゃんとやりたかった」と。
この曲のヴォーカルは素晴らしいですよね。23歳とは思えないくらい!
──そして、続いては「玉葱のハッピーソング」なんですけど、この曲は熱いですよね!
この曲は温度を高くしたかったんです。しかも、純平さんもそれに触発されて、熱く歌ってるし、林檎ちゃんもウワーッとなってるし、バックのサウンドもそうですよね。
──純平くんの作品自体はソウル的だったりしますけど、この曲とは対極にある抑制されたものですよね。
クールですよね。だから、それを熱くやってください、と。だから、本人もすごい楽しそうに、踊りながら歌ってましたよ。あとね、あの2人の歌が合うんですよ。マーヴィン・ゲイとタミー・テレルの歌以上に合ってるんじゃないかな。
──マーヴィン・ゲイとタミー・テレルは名コンビと言われてますけど、それに勝つには兄弟しかない、と。
(笑)確かに! うん、だから、この曲は僕のエレピと等さんのエレキ・ベース、それからタカさんのドラムの3人のセッションに、キーボード類をダビングしたり、あとティンパニとか鐘の音を入れたりして、遊び心は忘れず。でも、基本的にはファンキーかつソウルフルで、元気いっぱいにやれればいいかな、と。林檎ちゃんって、いろんなものを聴いてるから、こういう曲をやっても、クラシック的な曲をやっても、その時々でスパッとそういう自分になれるんです。でも、そういう器用な人って、普通は器用にやればやるほど自分っていうものがなくなっちゃうはずなんですけど、あの子の場合は自分がなくならずにそうなれるんですよね。だから、こちらとしても思い切ってサウンドを持っていけるんですよね。
──それは林檎ちゃんも自分でそう言ってました。
あと、この曲で苦労したのはギターが使えないこと。「こういう曲でギターがないと……」っていうところはあるんですよね。だから、そのギターでやるはずの部分を全部クラヴィネットやって、しかも、それをギター・アンプで鳴らしたんです。だから、それはこの曲の面白さにもなっているんですけどね。
──しかし、ギター・レスで大変だったのは次の「starting over」だったんじゃないですか?
いやぁ、これは一番苦労しましたね。一番最初はもっと生バンドっぽかったんです。でも、それを林檎ちゃんと2人で聴いて、「これだと何かつまらないね」っていうことになって、「じゃあ、クラフトワークにしよう」っていうことになったんです。
──(笑)テクノですね。
で、「ドイツな感じでいきませんか」って言ったら、林檎ちゃんも色んなアイディアを出してくれて、それだったら、ベートーベンの「運命」じゃないですけど、ある種、仰々しい感じを打ち込みでやったらどうでしょうっていうことになって、あのイントロのアレンジになったんです。で、サビの部分でちょっと温度が上がって、展開の部分からは生バンドでザクッとやった感じですね。でも、ヴォーカル・トラックはメルヘン・チックな方がいいなっていうことで、コーラスはすごく可愛いし、うにさんのエンジニアリングもすごいことになってます。これはみんなから色んなアイディアをもらってすごく楽しかったです。
──この曲はあまりに原曲が印象強いですからね。
そうですよねぇ(笑)。あと、僕はこの曲のヴォーカルが好きなんですけど、この時の歌入れでは、彼女の体調がものすごく悪くて、1、2回くらいしか歌ってないんです。でも、歌に集中力が出ていて、それがすごくカッコイイんですよ。
──というわけで、森さんが手掛けられた8曲を振り返って頂いたわけですが、それに加えて、邪(よこしま)名義の「GEORGY PORGY」がありますよね。これはカヴァーではなく……
完コピです。で、林檎ちゃんはTOTOなら1stアルバムが好きみたいなんですが、それは僕もそうで、中3とか高1の時にはよく聴きましたし、コンサートにも行きましたし。で、僕自身がメンバーのデヴィッド・ペイチとジェフ・ポーカロをすごく尊敬していて、そういうところで、何年か前に沼澤さんと知り合って、彼はジェフ・ポーカロと本当に繋がっているんですよ。だから、その沼澤さんと、普段のセッションではそういう音楽をやっている僕がデヴィット・ペイチのピアノとスティーヴ・ポーカロのシンセを完コピして、それから、等さんには完璧にデヴィッド・ハンゲイトになりきって頂いて、あと、うにさんにも当時と同じ音色を作ってもらったんです。だから、極論を言えば、なんでこんなオケに林檎ちゃんの声が入ってるのっていう、そういう見せ方をしたかった。
──参加メンバーは、みなさん、バリバリのプロフェッショナルで、セッションも数え切れないほどやられていると思うんですが、逆に完コピしてくれっていうお仕事はなかなかないんじゃないですか?
だから、すごく楽しかったです!この曲はギターを使わないと完コピが出来ないので、ギターで浅野さんに参加して頂いたんですが、タカさんに至ってはTOTOのビデオを沢山持ってきて、「ここのフィルは何年のここでやってたライヴのヴァージョンでいこう」とか、もうノリノリで(笑)。
──(笑)だから、林檎ちゃん曰く「コンセプトはバンド・サークルの合宿」っていうことみたいですが。
そんな感じです。アマチュア時代に戻った感じ。実際、TOTO好きな人が集まっているので、プレイヤーのクセから何からコピーしていて、相当に面白いですよ。あと、ヴォーカリストは長岡くんという純平くんのバンドのギタリストなんですけど、たまたま、スティーヴ・ルカサーに声が似ているということで大抜擢されて(笑)。
──(笑)でも、林檎ちゃんは原曲のコーラスをやってるシェリル・リンにはなってないんですよね。
そうなんですよ。本人は一番おいしいところを持ってったという感じで(笑)。
──というところで、ご自分で手掛けた作品を通して聴かれた感想を教えてください。
そうですね。先ほども言いましたけど、「すごい映画を観て、立ち上がれない」っていう感じになるんですね。それが作った僕らでさえそうなるわけですから、多分、それを聴く人にも伝わるんじゃないかな、と。で、そういう風に言うと、すごく重いものを作ったようにも聞こえるかもしれませんが、そういうことではなく、純粋に林檎ちゃんの声を楽しみたい人は軽い気持ちで流すようにも聴けるだろうし、サウンド通の人には1曲1曲楽しめるようにもなっているでしょうし、色んな楽しみ方が出来ると思います。だから、すごいものを作っちゃったなっていうのが正直なところですよね。
──あと、林檎ちゃんとしてはアルバム・タイトルにあるようにヴォーカリストであるということを意識した作品になっていると思うんですが。
ヴォーカルは、もう、すごいの一言ですね。今回は色んな国の言葉で歌っているじゃないですか。だから、発音、発声、あと、それが普段の会話ではなく、歌になった時にどう響くかっていうことをとことんまで突き詰めていて、端から彼女の完璧主義者ぶりを目の当たりにした感じです。だから、「彼女があんなに厳しくやってるんだったら……」っていうことで周りにも相乗効果が働いていると思いますし、しかも、それをいちJ-POPアーティストとしてやってるところ。多分、普通の人だったら、J-POPさっていうところは取り払ってしまうと思うんですけど、それを取り払わずにものすごい完璧指向とものすごいニセモノ臭い、チープ指向のちょうどいい落とし場所に歌もあるんじゃないかと思います。
──そうですね。
あとね、カヴァーとかリミックスとか、みんな色んなことをやってると思うんですけど、ここにはリスペクトがあるんですね。で、リスペクトがあるから、やたらめったら楽曲を壊しているわけではなく、原曲のおいしさは残しているんです。だから、リミックスとかリアレンジとか、リテイクであるとか、そういうものではなくて、純然たるカヴァーなんです。そういうところから、今回のタイトルは『唄ひ手冥利』ですけど、僕からすればアレンジ冥利に尽きましたよね(笑)。