自分とは何だろう、歌う意味とは何だろう、
そして、僕は君にどう歌いかけることができるのだろう――
3年間の葛藤を経て見出した、映秀。の在り方
映秀。のサードアルバム『音の雨、言葉は傘、今から君と会う。』がリリースされる。前作から約3年という長い時間をかけて辿り着いたこのアルバムは、映秀。が改めて深く自分自身と向かい合った上で、地に足を着けてアーティスト/シンガーソングライターとして歩き始めた、その軌跡がひとつの作品として昇華されたアルバムだ。
映秀。は高校を卒業した2020年3月に“東京散歩”でデビューした後、2021年3月に『第壱楽章』、同年11月に『第弐楽章
-青藍-』と、わずか1年の間にそれぞれ12曲を収録したフルアルバム2作を立て続けにリリースしている。当時、コロナ禍によって進学したばかりの大学がオンライン授業となり、時間的な余裕が生まれて制作に密に取り組めたことも短期間で2作を作り上げることができた要因として大きかったと語っていたが、もちろんそれだけではなく、本格的に音楽活動をスタートさせた中で多方面から受けていった様々な刺激がダイレクトに創作意欲へと繋がり、高いモチベーションの中で映秀。自身が溢れるように楽曲を生み出し続けていたことが大きい。セカンドアルバムのインタビューの際には、サウンドやリズムというものを探求するために池袋にあるセッションバーに通うようになったんだと話していたし、『第弐楽章
-青藍-』リリース後、2021年12月に実施された初のワンマンツアーを経て、自分がまたどんな曲を生み出していくのかとても楽しみなんだという話もしてくれていた。実際、2022年にはEP『赤裸々』も含め、7曲もの楽曲を世に出している。だからこそ、セカンドから約3年というインターバルが空くことになるとは、当時は想像もしていなかった。それはおそらく、本人も同じだろう。
この3年は彼にとってどんな期間だったのか?という問いに対して、映秀。はこう答えた。
「端的に言うと、本っ当に葛藤が多かったです。自分が本当にやりたいことは何だろう、自分自身とは何だろう、自分が歌う意味って何だろうっていうところを突き詰めていった時間でした」
「ファーストを作った時はただただ楽しかったんですけど、セカンドを作っていった頃はちゃんとアーティストとして見られたいとか、同業者からナメられたくないという気持ちが強くなって、そのためにちょっと背伸びをするじゃないけど、どこかで変なプライドみたいなものが邪魔するようになっていたところがあって。そういう中で改めて自分が音楽をやる意味って何だろう?というところに立ち返り始めたのは、2023年の1月、対バンツアー初日のZepp
Sapporoのライヴ後に、対バン相手であるTENDREのバンドマスターで来ていた小西遼さん(CRCK/LCKS・象眠舎。今作でも“My
Friend”のサウンドプロデュース&編曲で参加)に『映秀。はなんで音楽をやってるの?』と問われたのがきっかけでしたね。『自分が楽しいからです』って答えた僕に対して、『いや、楽しむことを目的に置かなくても映秀。は音楽は楽しめるだろ。そうではなくて、人様にお金と時間をいただいてステージに立つからには、何かしら目的があるんじゃないの?』と言われて、そこから凄く考えるようになったんです。同時に一方で、自分は想いを込めたつもりだったけど、それがあまりリスナーに伝わってないなというのも感じてはいて。『いいよね、いい曲だよね』みたいにはなるけど、たぶん僕が伝えたかった内容を伝えたい形では伝えられていなかった。要は、『それらしい曲』は作れるようになってきているけど、その曲を聴いた時に人をハッとさせられるようなものは作れていないんじゃないかって……そういうことを、曲を出した時の反響だったり、ライヴで歌った時の目の前のお客さんの反応だったりから感じていたんですよね。『映秀。はいい曲を書いてるから、作り方じゃなくてプロモーションだけだよ』って言ってくれる人もいたんですけど、僕はそうは捉えられなかった。そういうこともあって、小西さんの言葉をきっかけに、そこから自分の作品や自分自身について深く考えるようになったんです」
実際、前述した通り2022年に7曲を出し、2023年1月25日(奇しくも転機となったZepp
Sapporo公演の数日前)に“幸せの果てに”をリリースした後、2024年1月にEP『一寸先の貴方へ』をリリースするまでの丸1年間、映秀。は新曲を出していない。筆者の手元にある制作記録を見ると、2023年前半もポツポツとデモは作っていたようだけど、レコーディング自体、2022年の11月を最後に、2023年の10月にEPのRECに取り掛かるまでの約1年は実施されていない。これは、曲を作ることよりもその手前、表現する上で大前提となる「そもそも自分は映秀。として何を表したいのか」「自分の表現の核となるものは何なのか」ということを彼自身が見つめ直し、明確にしていく作業を優先したからに他ならない。言葉を換えれば、この期間は彼が、改めて自分自身を問い直し、思考を深め意志を固め、映秀。としてのアイデンティティの確認と再構築を自覚的に行っていった期間だったと言っていいだろう。
「メロディとかサウンドは出てくるし、それっぽいものはできるんですよ。でも、その状態で作り続けても意味がないと思った。ガワを作れても中身がないと意味がない。そもそも僕が芸術を通してやりたいことは何なのかと考えた時に、やっぱり『誰かの人生のきっかけになりたい』――僕の作品や言葉が誰かにとっての発見に繋がって、それによって認識が一気に変わってその人の生活や人生が豊かになるような、そんな作品を作りたいっていう想いが根底に強くあるんだって改めて思ったから。だからこそもう一度自分で自分と向かい合ったのはもちろん、大学でも哲学や社会学の授業を積極的に受けたり、音楽以外のものも含めて自分はどんなものに心を動かされるのかを考えたり……そうやって自分の根底にある考え方とだいぶ時間をかけて向き合いました」
こうやって書いてくると、ではこれまでの楽曲達は中身がなかったのか?という話になるかもしれないけど、決してそうではない。ファーストもセカンドも、当時の曲達は当時の曲達で「何となく自分のことをわかった気になって生きているけれど、あるいは何となく世の中ではこうとされているけれど、本当の自分は、本当の自分の心はどこにあるんだろう?」と自らを問い直していくような楽曲や、今の社会に対して彼自身が抱く疑問や違和感を強く歌い鳴らしていく楽曲が数多く紡がれていた。けれど――いや、もしかしたらだからこそ、YouTubeの弾き語り動画が注目を集め、その勢いのままにデビューから怒涛のごとく制作とリリースを繰り返していた中で、一度しっかりと腰を据えて自分の根本を見つめ直し、映秀。というアーティストの在り方とは、そして自分が歌い鳴らしたいポップスとは何なのかをはっきりさせる必要があったのだろう。かつて『第壱楽章』の1曲目の“零壱匁”で歌った<僕が何者かは僕自身が決めるんだ>ということ、そのために必要な期間が、その(対外的にはリリースの空いた)空白の1年だったのだと思う。
今回のアルバムには、その1年の前に作られた楽曲群と、その1年を経た後の楽曲群の双方が収録されている。明確に異なるのは、以前の楽曲群は小西遼や市川豪人をサウンドプロデュースに迎えた曲も数曲ありつつも、それら含め基本的には映秀。自身が編曲まで行っているのに対し、最近の楽曲達はこの期間に新たに出会った相棒、UiLLoUがサウンドプロデュース&アレンジを担っている点(“Boys
&
Girls”に関しては、Skrillexのリミックスワークで注目を浴びたカナダ人アーティストであり、映秀。がDMしたところから知り合いになり、現在は何故か映秀。の家に住んでいるというTennysonがトラックを手がけている)。これは、映秀。の中で楽曲制作における優先順位が以前の「サウンド>メロディ>歌詞」から「歌詞>メロディ>サウンド」へと変わったことが大きく関係しているという。
「僕はクリエイターとして評価されたいという気持ちを持ってるし、自分が歌わなくても映秀。の曲だってなるくらい自他ともに認めるオリジナリティを確立したいっていう理想は今もあるんです。でも、自分が伝えたいことをちゃんと伝えるためにはどうしたらいいのか、どうやったら音楽を通して聴いてくれた人の人生が変わるきっかけになれるのかを考えた時に、やっぱり今の自分にできるのは歌なんじゃないかと思って。今までの曲はシンガーとしての自分が最大限発揮されてないというか、そこは敢えて切り離して考えていたところがあったんですけど、自分の歌にはちゃんと自分の感情込みで伝えたいことを伝えられる力があると思えたからこそ、その力をちゃんと発揮できる曲を作りたいと考えるようになった。先ほど話したように、大事なのはガワではなく中身なんだっていう想いが凄く強くなったことも含め、曲の作り方をサウンド先行ではなく、そもそもその曲で何を伝えたいのかというコンセプトを考え、まず歌詞とメロディを弾き語りで作るっていう作り方に切り替えたんです」
「UiLLoUさんとの出会いも大きかったですね。今までいろんなアレンジャーさんと一緒にやってきて、もちろんどの方も好きなんですけど、UiLLoUさんは僕の歌を活かすという側面でも、僕が好きなサウンドであるという側面でも、すべてにおいてこの人しかいない!ってなるほどビビッと来て。僕から『この曲にはこういう意志があって、こういう感じで』というものを提示して、そこから彼に編曲してもらってフィードバックを繰り返す形で作っているんですけど、彼がいるからこそ僕はもっといい曲を書くことに集中しようと思える」
結果、出来上がった本作『音の雨、言葉は傘、今から君と会う。』は、映秀。の歌がしなやかに、彼自身の繊細な感情の揺らぎやナチュラルな温度感を宿したままに伝わってくる、秀逸なポップソングが格段に増えたように思う。言葉選びひとつ取ってもそうなのだけど、強い言葉で押していくというよりも、聴き手一人ひとりに語りかけるような、そんな「想いは確かに強く込めつつも肩肘張らない、そして押しつけない」テンションで歌いかける、だからこそ心の奥にスッと入ってきて弾けるような、そんな歌がとても多い。特に1曲目の“まほうのことば”や“黄色の信号”は、彼の想いやその歌に託したいものが、映秀。らしい文体で柔らかに深く沁み込むように伝わってくる楽曲達に仕上がっており、とてもいい。
「ファースト、セカンドの頃は『アーティストは誰かを先導するものだ』みたいな、聴き手に何かを与える、導く、みたいなものにしなきゃいけないんじゃないかという考えがあったんですけど、そういう形でやるのは自分の形じゃないのかもしれないと思うようになって。何かを与えようとするのではなく、あくまでも僕自身が自分の生活の中で気づいたことや思うことを自分の主観で歌うことによって、聴いた人自身が何かに気づくきっかけになる――そういう在り方が、今の映秀。にできる表現なんじゃないかなと思ったんです。だからこそ自分が確固たる意志を持って歌える言葉を選びたいとより強く思うようになったし、同時に、自分が言いたいことをただ言うのではなく、それを相手が瞬時に理解できる、伝わる形に置き換えることを意識するようになった」
なお、作詞に関して、今作では“ほどほどにぎゅっとして”でyuba寝、そして“瞳に吸い込まれて”と“youme”の2曲で小説家のカツセマサヒコと共作を果たしている。この試みも、自身が思っていること、イメージしているものをよりしっかりと聴き手に伝わる歌詞として表現するためのもの。特にカツセマサヒコとの出会いは映秀。にとって大きなものだったという。
「この期間に、自分自身がアファンタジアである、ということに気づいて。アファンタジアというのは心的イメージを思い浮かべることができない、頭の中でイメージを視覚化することのできない状態なんです。たとえば『お母さんの顔を思い浮かべて』って言われても、僕は概念としてはわかるけど視覚イメージを浮かべることができない、真っ暗なんです(アファンタジアについては2010年の論文によって症例が発表され、近年研究がなされている)。僕はみんなそうだと思ってたんですけど、友達に言われてどうやら自分は視覚イメージがまったくできない人間なんだということに気づいて。人が僕の歌から何かを想像して共感を得るためには歌詞から情景が浮かんだり、そこにある温度を伝わる形で言葉にしなきゃいけないけど、そもそも僕にはその情景が見えない、その能力がないからどうやってその温度を伝えればいいんだろう?ということをひたすら考えていく中で、カツセさんの小説を読んだ時に自分の理想に近いと思ったんですよね。カツセさんは、たとえば恋愛を主軸にしていても、その中にハラスメントだったり様々な社会問題を織り込んで描いていて、読む人がそこにちゃんと感情移入できたり、想像を掻き立てられたりする。そういった点でも僕のテーマ性に近いなと感じたので、一緒にやることで学びたいと思ったんです」
各曲の詳細については追って公開される映秀。自身のセルフライナーノーツに委ねたいと思うが、全13曲、軽やかに跳ねる現代的なポップスからバラードまで多様な音楽的なバラエティに富みつつも、自身の歌と表現に向かい合い、その一つひとつに意味と確信をしっかりと見い出しながら丁寧に形にしていった、映秀。というアーティストの今後にとって確かな基盤となる1枚。本作における気づきと挑戦を経て、ここからまた彼がどんな音楽を、表現を生み出していくのか、さらなる期待が高まるアルバムだ。
有泉智子(MUSICA編集長)