INTERVIEW
実のところ、5月の時点では楽曲自体もまだ出揃ってはいなかったし、スティーヴも「彼らには、どんどん曲を作れ、とけしかけているんだ。良い曲が揃わないことには何も始まらないからね」と語っていた。しかし、事態はポジティヴな方向へと転がった。スティーヴは彼らに「10曲のグレイト・ソングを作ること」を命じたが、結果的にこの『CROSS』には、彼自身が太鼓判を押す全11曲が収録されている。
「当初は曲が足りるかどうかが気にかかっていたが、結果的には必要以上なほどの曲数が出揃うことになり、何曲かは置き去りにしなければならなかった。これは、彼らが私の期待以上にハード・ワークに勤しんでくれた証だと思う。正直、私は10曲で充分だと考えていたけども、この11曲のなかに余分なものがあるとは思っていないし、とても満足しているよ。もちろん私自身、このアルバムは何度となく繰り返し聴いてきたし、すべてを把握できているつもりだ。一聴しただけでも良いアルバムであることはわかってもらえるはずだが、聴き込めば聴き込むほどに発見があるはずだし、より深い理解へと至るはずだ。理解が深まれば深まるほど、花が開いていくような感覚をリスナーには味わってもらえることだろう」
「グレイト・ソング、グッド・ソングというものの定義は、人それぞれだろう。しかし重要なのは、それが10曲揃わないとグレイト・アルバムは成立しないということだ。そこで肝心なのは、バランスなんだ。速い曲ばかりでも、スローな曲ばかりでもいけない。そうしたバランスが、アルバム全体を通じての音楽の旅のあり方を左右する。今回は11曲のグレイト・ソングがある。そして、LUNA SEAの素晴らしい点のひとつに複数のソングライターがいる事実がある。BEATLESの場合も、レノン&マッカートニーばかりではなくジョージ・ハリスンが何曲かを書く、というのが良い結果に繋がっていた。それと同じことがこのバンドにも当て嵌まるし、それが彼らの音楽を幅広いものにしている。しかも、どの曲を誰が書いたかを識別できるくらい個々のソングライターにスタイルがある。このアルバムを作り終えた今は、彼らの古いアルバムを聴いて、どの曲を誰が書いたかを言い当てられる自信があるよ(笑)。しかも、そうした楽曲のヴァラエティがあるうえで、このバンドには素晴らしいドラマーと確固たるシンガーがいる。これは、なかなか得がたいことだ」
前回の対面時、スティーヴは今作の鍵となるのは「エナジーとメロディ、モダンなサウンドといくぶんのクラシック・ロック要素」だと語っていた。そのことを指摘すると、彼は驚いたような顔をして「なんてことだ! そのすべてがこのアルバムには含まれている」とおどけてみせる。そして、彼は興奮気味に一気に語り始めたのだった。
「そうしたアルバムにするためにも、事前に彼らのライヴを観たことは重要だった。ライヴでオーディエンスに愛されている楽曲が大きな音でプレイされている時に発生するエナジー。それをあらかじめ体感できていたことがね。メロディについては、彼らは以前から申し分のないものを持っている。当然ながらそれは、RYUICHIによってもたらされている部分でもある。このアルバムについて話す際にいつも言ってきたことなんだが、彼はいわゆるロック・シンガーの枠には嵌まっていない。ミック・ジャガーでもジョン・ボン・ジョヴィでもなく、むしろフランク・シナトラのようなクラシックな歌い手だと私は捉えている」
「RYUICHIの歌声についてもそうだが、彼らの楽曲には、それがバラードであろうと、ややレイド・バックした空気を伴うものであってエナジーが伴っている。そしてこのバンドには、色の異なるソングライターたちがいる。Jはハード・エッジなポップ・ロックを作ることに長けていて、たとえばFOO FIGHTERSあたりを思わせるものがある。それに対して、INORANはインディ・ロック的だ。そこにジャングル・ギターとUK的な感触、U2的な要素も少し含まれている、という感じかな。そしてSUGIZOの場合は、プログレッシヴ・ロックだ。そんな強力なソングライターたちが作る色調の異なる楽曲に、フランク・シナトラの歌が載る。しかも驚くべきドラマーがいる。このアルバムにおける真矢は、まさに私のフェイヴァリット・ドラマーだ。面白いもので、こうした要素がすべて合体したならば混沌としてしまいそうなものなのに、こうしてビューティフルな音楽になった」
「楽曲が一気にたくさん揃ったことからも察しがつくように、彼らは相当な意気込みをもって今回のアルバム制作に臨んだはずだし、この状況に彼ら自身もエキサイトしていたんじゃないだろうか。バンド活動というのはある意味、結婚生活のようなもの。出会ったばかりの若い時分には新鮮で密な関係であっても、30年も一緒にいれば、何もかもが当たり前のことになってしまう。すると、ソロ・アルバムを出すようになったりもする(笑)。そうした例は、私自身も過去にたくさん見てきた。長い時間を経ていくうちに、旧友たちとの間でだけ起こり得るマジック、その仲間たちの間でだけ共有されている記憶といったものの存在について忘れてしまうことがあるんだ。出会いから30分後の異性に対してのときめきを、30年間連れ添ってきた相手には感じにくいのと同じようにね(笑)。そして、今回の私の仕事は、彼らがお互いの結婚相手をどれほど愛していたかを思い出させることでもあったように思う。そもそも何を大切に思っていたか、ということをね。そこで私が、マリッジ・カウンセラーのような役割を果たすことができたのかもしれない。そもそも何故、お互いが恋に落ちたのか。それを思い出すことができれば、今度は新たな扉が開くことになる」
「これは憶測だが、このアルバム以前のLUNA SEAには、新たな扉というものは見えていなかったのではないだろうか。しかしこのアルバムで彼らは、次なる10年に向けての可能性を見出すことになったはずだ。それはバンドにとって素晴らしいことだ。しかも彼らの場合、同じ顔ぶれで続いていて、ともに成長し続けている。そんなバンドは、世界を見渡してもさほど存在しない。確かにバンドを組んだ当初には、20年後、30年後のことまで想像してはいなかっただろうし、そんな先にまで可能性があるものだとは誰も考えないものだろう。だが、少なくとも現在の彼らは、まだこの先にも扉があることに気付いている。その事実が、彼らの未来にとって素晴らしい結果をもたらすはずだと私は信じているよ」
「すなわち『CROSS』は、お互いに対する愛情を再確認した彼らにとっての、新たなベイビーだということ。しかもこうして生まれた赤ん坊はとにかくビューティフルで、私は、今回のプロジェクトで目指していたものすべてを叶えることができた。バンドはこの作品を誇りに思ってくれるはずだし、今後、積極的にプロモーションに勤しんでくれることを期待しているよ(笑)」
「昨今の音楽のトレンドにおいて、バンド・サウンドというのは古めかしいものと見られている。残念なことに、世界中でね。テクノロジーが第一で、芸術たるものは二の次という感じになってしまいつつある。そこで今回、私たちが実践したのは、それらをミックスすること。このアルバムのサウンドはあくまでモダンな響きを伴うものになっているはずだが、ストリングスやフランク・シナトラ的な歌唱、素晴らしいギターにグレイトなドラムといった要素を古いものだと見るならば、オールド・スタイルな作品ということにもなるかもしれない。しかしこの作品は、彼らの過去をコピーしたものではないし、ここには未来の要素も含まれているはずだと信じているよ。そう、歴史は大切にすべきものだが、コピーすべきものではないからね」
「とにかく私自身もバンドもこの出来栄えについてエキサイトしているし、これが世に出て、世の中からどんな反響が届くことになるのかが楽しみだ。作品に対して審判を下すのは世の中だ。ただ、私自身はそれを気にしすぎないように心掛けている。それこそこの作品のアルバム評はどれも日本語で書かれているはずだから、私にはわからないだろうがね(笑)。私が信じているのは、オーディエンスの反応だ。コンサートに出掛けた時に、オーディエンスがその曲を愛しているかどうかが伝わってくる。実際、彼らのライヴを観た時、観衆がどれほど曲を愛しているかを感じさせられた。そのエナジーこそが最重要であり、それが彼らと一緒にアルバムを作ろうとした理由でもあった。そして私が確信しているのは、このアルバムにメンバー全員のエネルギーが結集されているということ。RYUICHIの歌声は、これまで以上に若々しく響いている。素晴らしい歌唱だ。彼らのライヴを観た時に何より驚かされたのは、50歳近くになっているはずの彼らが18歳のバンドのようにステージを駆け回っていることだった。若く見えるのは、メイクのせいだけではないはずだ(笑)。彼らは、成熟感と若々しさを同時に持ち合わせているんだ」
こうして一気に語り尽くした後、スティーヴはもうひとつ大切なことを付け加えた。「良い作品というのは、作り手側の懸命さや頑張りを伝えるためのものではない」ということだ。
「アルバムというのは、痛々しいほどに必死さが聴き手に伝わるべきものではないと思う。もっと普通に“いいね”と思えるものであるほうが好ましい。もちろんこれを作り上げるうえでは努力も不可欠だったが、まるで必死になることなく完成したもののように聴こえることが大事だ。たとえば、INORANのあの髪型を整えるためにはそれなりに時間もかかるはずだが、客席にいるファンは“あれは何時間かかったんだろう?”という見方はしないはずだし、むしろベッドから抜け出してきたばかりのように見ているかもしれない。作品というのはそう見られるべきものだと思う。実のところそれを完成させるのは大変だったが、とても自然に感じられるもの。“こんなに頑張ったんだ。そこをわかってくれ!”というものではないんだ。同時に、今の世の中では、“アルバム”という作品形態がさほど重んじられなくなりつつある。しかし私はその単位を信じているし、SUGIZOも同じことを言っていた。アルバムというものを信じているし、それをずっと作り続けたい、とね。素晴らしいアルバムというのは、聴き手を音楽の旅に連れて行き、何かしらの経験をもたらすものだ。私は今回、彼らとそういうアルバムを作ることができたと信じているよ」
取材/文 増田勇一