実は槇原敬之のデビュ-・シングルのタイトルは「NG」(1990年)であり、いきなり洋々たる未来にブレ-キを踏むかのようにも思えたが、その後の30年に及ぶシンガ-・ソング・ライタ-、アレンジャ-・プロデュ-サ-としての活躍をみるにつけ、このタイトルは神様の、ちょっとした悪戯だったんだなぁと今にして思う。
そんな彼のこれまでを振り返り、槇原敬之とは“どういう形状のものなのか”を説明しようとした時、ふと思ったのは、これまでの彼の歌が“多重構造”を成しているという事実だ。
一番外側の一番面積が大きな部分には、「どんなときも。」や「世界に一つだけの花」のような国民的愛唱歌が鳴っている。国民的と書いた時点で説明は不要だろう。次へ行こう。その少し内側には、時代をグリップしてヒットした曲や、暦が巡れば想い出す、秀逸な“季語”を有する作品などがある。
さらに内側に、洋楽ファンも唸るサウンド・センスに秀でた作品があったり、喜怒哀楽の狭間にある、感情のグラデ-ションを捉えた歌がある。ここで終らない。もっと内側に、敢えて後味を爽やかにせず、ジャリッとしたものが口の中に残るようなものまである。ここまでくると、ポップ・ミュ-ジックへのチャレンジでもあるが、彼はそういう試みも(アルバムなかの1曲、というポジションを採りつつ)やってきたヒトなのである。
で、このようにバ-ムク-ヘンを器用に剥がして食べるみたいなことをしていくと、最後は“心棒”に当たる。それはソング・ライタ-槇原敬之の礎の部分だ。今回、彼の30周年アニバ-サリ-の一環として、まず先陣をきる『The Best of Listen To The Music』は、まさにその“心棒”たるアルバムだ。彼自身の評価も同じである。「このアルバムには、僕の骨子となった曲が並んでいる」。
自分より上の世代の作品が、多く取り上げられている。それらは槇原に、ソングライティングの規範を示したものであり、まさに“骨子”に該る。でも彼は、シンガ-・ソング・ライタ-でありつつアレンジャ-でありプロデュ-サ-でもあるので、ソングライティングだけでなく、(もちろん楽曲自体が素晴らしいという大前提がありつつ)サウンドメイクの規範となった曲も取り上げている。そのあたりが他のカバ-・アルバムとは違うところかもしれない。
もちろんシンガ-としての魅力もカバ-ゆえに際立っていて、ひとたび歌えばしっかり“槇原の歌”になっている。そもそも彼の声は伸びやかでいて質感豊かであり、常日頃から歌詞を、解像度の高いものとして届けてくれる。そして、ここでいう“彼の歌”だが、自らの癖を押しつける個性ではなく、原曲を丁寧に包み込むことで適度な湿度を与え、生き生きとさせた結果のものと言える。
なお、今回のベストには2曲の新録があり、YUKIの「聞き間違い」とフジファブリックの「若者のすべて」が取り上げられている。そのキッカケが興味深い。新たにカバ-する曲を探し、資料となる音源を聴き漁った…、みたいなことではないのだ。どちらも普段の生活のなかで、ふと耳に飛び込んできた歌なのだった。“ああ、いい曲だな”。そんな素直な気持ちが選曲理由。まさに“Listen To The Music”の賜物である。
30周年に際してのスペシャルな試みは、これからさらに発表されていくことだろう。その先には、31年目の新たな旅が続いていく。以前、彼はこんなことを言っていた。「すでに知ってしまった感情を、迷ったふりして歌にしても、きっとそれは伝わらない」。
であるなら、もし彼が“未知なる感情”と出逢ったならば、それは確実に作品に反映されるということだ。そして槇原は、デビュ-の頃も今も、好奇心のレ-ダ-を高速で回転させ、“何かを感じよう”としている。実は先日、彼に会った際にも、強く感じたことだった。
30周年の彼が、そんな心持ちでいること自体にワクワクする。まだ具体的に、なにか新しい歌を聞かせてもらったわけではないのに、このワクワクは日増しに大きくなり、僕の胸を叩くのだった。
小貫信昭