ダンボというのはディズニー映画に出てくる大きな耳を持った象だ。自分には空を飛べる能力があるのに、象にそんなことが出来るはずがないと逡巡する映画の主人公を自分に例えてみせた。僕は空を飛べるのだろうか、信頼していたパートナーを失って果たして4人でやって行けるのだろうか。そんな自問自答の中で“解散”という二文字も浮かんだと言った。その間にバンド続行の意思確認が行われ、4人のオフコースが離陸した。その最初のアルバムが84年6月発売のこの「The Best Year Of My Life」だった。
80年代半ばは音楽を取り巻く環境が激変した時代だ。楽器や録音器材の進化に対応した音作り。レコード会社はEMIからファンハウスに変わったものの、ロスのエンジニア、ビル・シュニーを筆頭にレコーデイング・スタッフは同じだ。それでも明らかに音が違う。「I LOVE YOU」の頃の重く響くドラムは影を潜めシンセ・ドラムの振動感やエコーがアルバムの印象を変えている。小田和正のキーボード中心からバンド・サウンド主体へ。松尾一彦が作曲し、彼が歌う「僕らの世界へ」「愛を切り裂いて」の詞も小田和正が書いている。リズムが効果的な「夏の日」やハーモニーが美しい「緑の日々」もある。
解説
僕はダンボだった――。
82年の活動休止当時の心境を小田和正は、そんな風に例えたことがある。
ダンボというのはディズニー映画に出てくる大きな耳を持った象だ。自分には空を飛べる能力があるのに、象にそんなことが出来るはずがないと逡巡する映画の主人公を自分に例えてみせた。僕は空を飛べるのだろうか、信頼していたパートナーを失って果たして4人でやって行けるのだろうか。そんな自問自答の中で“解散”という二文字も浮かんだと言った。その間にバンド続行の意思確認が行われ、4人のオフコースが離陸した。その最初のアルバムが84年6月発売のこの「The Best Year Of My Life」だった。
4月に先行シングルとして発売になったのが「君が、嘘を、ついた」と「愛よりも」の二曲だ。イントロからドラム、ベース、ギターというバンド・サウンドが全面に打ち出され、歌われているのは懐疑的な愛だ。愛する人の心変わり。“君”と名指しで責めるというオフコースでは書かなかったタイプのラブソングに特定の人物を指すのか深読みした人も多かったはずだ。B面は作詞が大間ジローと松尾一彦。作曲もヴォーカルも松尾一彦。彼のビートルズ・フリークぶりを感じさせる。新生オフコースを体現するそんな二曲が新しい何かが始まったことを感じさせた。
80年代半ばは音楽を取り巻く環境が激変した時代だ。楽器や録音器材の進化に対応した音作り。レコード会社はEMIからファンハウスに変わったものの、ロスのエンジニア、ビル・シュニーを筆頭にレコーデイング・スタッフは同じだ。それでも明らかに音が違う。「I LOVE YOU」の頃の重く響くドラムは影を潜めシンセ・ドラムの振動感やエコーがアルバムの印象を変えている。小田和正のキーボード中心からバンド・サウンド主体へ。松尾一彦が作曲し、彼が歌う「僕らの世界へ」「愛を切り裂いて」の詞も小田和正が書いている。リズムが効果的な「夏の日」やハーモニーが美しい「緑の日々」もある。
ソロ・パートなど個々の比重を高めてバンド色を強めると同時に小田和正が柱になっているという全体の色づけ。それが4人のオフコースだった。
今まで書かなかったラブソングという意味では1曲目の「恋人たちのように」がまさにそれだ。サックスが強調されたイントロや“肌”や“汗”という言葉で連想する肉体関係、行きずりの二人という設定。「愛を止めないで」や「YES NO」を越えた大人のラブソングでありつつ“もう一度信じてみない”と呼びかける。それは、オフコースの動向を固唾を飲んで見守っていたファンへのメッセージのようでもあった。
アルバム・タイトルは「ふたりで生きている」の中の一節だ。我が人生最良の年――。
オフコースは飛んだ。
そして、“僕ら”は再会した。