今、ミュージシャンの中にある音楽体験で世代の差があるとしたら“洋楽”と“アメリカ”ではないだろうか。洋楽やアメリカへの憧れ。少なくともオフコースのメンバーが音楽に目覚めた時代には、“洋楽”はお手本であり“アメリカ”は憧れだった。
活動休止中に彼らはアメリカでの契約を探っていた。すでにその時に英語盤という発想にたどり着いている。84年9月に出た「緑の日々」のカップリングにはアルバム「OVER」の中の「哀しいくらい」の英語版「CITY NIGHTS」も収められていた。85年に発売された全曲英語アルバムがこの「Back Street of Tokyo」である。
作詞にはビル・シュニーの紹介で、作曲で全米ナンバーワン・ヒットも持ち、TOTO、マイケル・マクドナルド、シカゴなどにも詞曲を提供しているシンガー・ソングライター、ランディ・グッドナムが起用された。小田和正と同じ1947年生まれである。
収録曲の原曲を順にあげてゆくと「恋人たちのように」「call」「LAST NIGHT」「気をつけて」「君が、嘘を、ついた」「哀しいくらい」「たそがれ」。「LAST NIGHT」は、アルバムからの先行シングルとして5月に出た「たそがれ」のカップリング曲。作曲もヴォーカルも松尾一彦。作詞は秋元康だった。
このアルバムのために新たにレコーディングされたのは、「CITY NIGHTS」の英語版「MELODY」と「たそがれ」の英語版「ENDOLESS NIGHT」の2曲。他の曲はこれまでのトラックをベースにしている。
アルバムは、オリコン・チャートの一位を獲得している。日本人アーテイストの英語版セルフ・カバーでアルバム・チャートの一位になったのも初めてではないだろうか。「気をつけて」の英語版「HER PRETENDER」や「MELODY」、「ENDLESS NIGHT」など、英語のなめらかさがメロディー叙情感を一層際立たせている曲もある。特に「ENDOLESS NIGHTS」の間奏のシンセサイザーの洋楽にはないきらめくような繊細な音色は、日本の琴を思わせる。
このアルバムが出た8月は、オフコースとして3年ぶりになるツアー「The Best of My Life」ツアーの真っ最中だった。初日は4月26日、千葉県文化会館。全56本即日完売。“帰ってきたオフコース”はどこでも以前を凌ぐ歓迎を受けていた。
そして、1986年、彼らは再び、ソロ活動の道を選んだ。小田和正は、単身、ロサンジェルスに渡って8ヶ月間現地に滞在、創作活動を一から始めている。現地のFM局から流れる「ENDOLESS NIGHTS」を聞いたという。
ただ、アメリカ進出という夢は果たせないままになりこのアルバムがアメリカで発売されることはなかった。
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解説
今、ミュージシャンの中にある音楽体験で世代の差があるとしたら“洋楽”と“アメリカ”ではないだろうか。洋楽やアメリカへの憧れ。少なくともオフコースのメンバーが音楽に目覚めた時代には、“洋楽”はお手本であり“アメリカ”は憧れだった。
活動休止中に彼らはアメリカでの契約を探っていた。すでにその時に英語盤という発想にたどり着いている。84年9月に出た「緑の日々」のカップリングにはアルバム「OVER」の中の「哀しいくらい」の英語版「CITY NIGHTS」も収められていた。85年に発売された全曲英語アルバムがこの「Back Street of Tokyo」である。
作詞にはビル・シュニーの紹介で、作曲で全米ナンバーワン・ヒットも持ち、TOTO、マイケル・マクドナルド、シカゴなどにも詞曲を提供しているシンガー・ソングライター、ランディ・グッドナムが起用された。小田和正と同じ1947年生まれである。
収録曲の原曲を順にあげてゆくと「恋人たちのように」「call」「LAST NIGHT」「気をつけて」「君が、嘘を、ついた」「哀しいくらい」「たそがれ」。「LAST NIGHT」は、アルバムからの先行シングルとして5月に出た「たそがれ」のカップリング曲。作曲もヴォーカルも松尾一彦。作詞は秋元康だった。
このアルバムのために新たにレコーディングされたのは、「CITY NIGHTS」の英語版「MELODY」と「たそがれ」の英語版「ENDOLESS NIGHT」の2曲。他の曲はこれまでのトラックをベースにしている。
アルバムは、オリコン・チャートの一位を獲得している。日本人アーテイストの英語版セルフ・カバーでアルバム・チャートの一位になったのも初めてではないだろうか。「気をつけて」の英語版「HER PRETENDER」や「MELODY」、「ENDLESS NIGHT」など、英語のなめらかさがメロディー叙情感を一層際立たせている曲もある。特に「ENDOLESS NIGHTS」の間奏のシンセサイザーの洋楽にはないきらめくような繊細な音色は、日本の琴を思わせる。
このアルバムが出た8月は、オフコースとして3年ぶりになるツアー「The Best of My Life」ツアーの真っ最中だった。初日は4月26日、千葉県文化会館。全56本即日完売。“帰ってきたオフコース”はどこでも以前を凌ぐ歓迎を受けていた。
そして、1986年、彼らは再び、ソロ活動の道を選んだ。小田和正は、単身、ロサンジェルスに渡って8ヶ月間現地に滞在、創作活動を一から始めている。現地のFM局から流れる「ENDOLESS NIGHTS」を聞いたという。
ただ、アメリカ進出という夢は果たせないままになりこのアルバムがアメリカで発売されることはなかった。