この「SONG IS LOVE」と77年の「JUNKTION」、78年の「FAIRWAY」の3枚に関して鈴木康博は当時の雑誌のインタビューで「試行錯誤の三部作」と表している。「「ワインの匂い」を作り上げた後、何をやって良いのか分からなくなってしまった」というのである。小田和正も「行き詰まっていた」と話している。ただ、そんな言葉にも関わらず、オフコースの歴史の中でも重要なアルバムとなっているのは言うまでもない。
「SONG IS LOVE」という言葉は70年11月14日にオフコースと赤い鳥がサンケイホールでたった一回だけ行ったジョイントコンサートで一緒に歌ったメインテーマのタイトルでもある。大学を終えてプロとして「ひとりで生きて行く」ことを決めた小田和正が、再出発を期して想いを込めたタイトルだったのかもしれない。
解説
この「SONG IS LOVE」と77年の「JUNKTION」、78年の「FAIRWAY」の3枚に関して鈴木康博は当時の雑誌のインタビューで「試行錯誤の三部作」と表している。「「ワインの匂い」を作り上げた後、何をやって良いのか分からなくなってしまった」というのである。小田和正も「行き詰まっていた」と話している。ただ、そんな言葉にも関わらず、オフコースの歴史の中でも重要なアルバムとなっているのは言うまでもない。
1976年11月5日発売。5月に出たシングル「ひとりで生きてゆければ」は、「眠れぬ夜」のポップさとは対照的にじっくりと聞かせるバラードだった。それでいて従来にはなかったビートも取り込まれている。新たにドラマーとして大間ジローが加わったのがこの曲からだ。更に、その後、アルバムと連動した先行シングル、10月発売の「めぐる季節」には、やはり大間ジローと一緒に、ジャネットというバンドを組んでいたギターの松尾一彦がハモニカで加わった。そうやって自分たちの力量を試しつつ体制を整えて行く。それを彼らは「試行錯誤」と呼んだように思う。
76年という年はオフコースがまた一つ舵を切った年でもある。小田和正は早稲田の大学院を卒業、音楽への道を本格的に進み出した。「私的建築論」という卒論のテーマが当初のタイトルが「建築との決別」だったという話は有名だ。そのままだと教授が受け取らないと拒否したと言う。自分たちのオフィスであるオフコース・カンパニーを設立。このアルバムは初めて箱根のロックウェル・スタジオに合宿して作り上げたものだ。後に加わるベースの清水仁は、シリーズコンサート「オフコースの小さな部屋」では参加していたものの、彼のバンド、ビートルズのコピーバンドとして人気のあったバッドボーイズの契約問題でアルバムのレコーディングにはまだ加わっていない。この年の「オフコースの小さな部屋」で初めて映像が使われている。そのステージいずれにせよ、「ワインの匂い」で作り上げた小田・鈴木の持ち味を生かしたオフコースから、次への一歩を踏み出したことになる。“青春”との決別。鈴木康博は「おもい違い」で“かけ出しの頃”とも歌っている。
オフコースらしさを保ちつつ、曲のバラエティを増やして行く。このアルバムで試みられたのはそれだろう。「秋ゆく街で」で披露されたボサノバ調の「青春」を松尾一彦のハモニカも入れてより洗練されたアレンジでリテイク、「眠れぬ夜」の続編とも言えそうな「こころは気紛れ」は制作サイドも含めて“ヒット”を意識した初めての曲だろう。
「SONG IS LOVE」という言葉は70年11月14日にオフコースと赤い鳥がサンケイホールでたった一回だけ行ったジョイントコンサートで一緒に歌ったメインテーマのタイトルでもある。大学を終えてプロとして「ひとりで生きて行く」ことを決めた小田和正が、再出発を期して想いを込めたタイトルだったのかもしれない。
田家秀樹