オリジナルアルバム未収録の大ヒット曲も収録した、オフコース中期のベスト・アルバム
「5年くらい経ったら、IIを作りたいね」。東芝EMIの担当プロデューサー、武藤敏史は、78年に「SELECTION 1973-78」を発売したときにそう言っている。それから3年。その機会は予測よりも早くやってきた。発売は1981年9月1日。「We are」のツアーは、81年3月27、28日の宮城県民会館で終了。その中には、2月の武道館4日間も含まれていた。
状況は激変していた。オフコースは様々な好奇の目で見られていた。それまで芸能界とは無縁だったこともありライブを見たことのない人にとっては実体が不明だった。「さよなら」を凌ぐ大ヒットとなった「Yes-No」には、「男のくせに“君を抱いてもいいの”とは何だ」といういわれなき批判も登場し、“オフコースは軟弱”という奇妙なレッテルも一人歩きしていった。
そういう流れで言えばこの「SELECTION」は、前作とは違う意味を持っていた。「1973-78」が、まだ世の中に知られていない人たちへの啓蒙だったとしたら、「1978-81」は、「さよなら」「Yes-No」で知ったという人たちに他の曲を知ってもらうという役割があった。更に、バンドにとってはビル・シュネーという強い味方もいた。全11曲の中で「We are」から4曲。新曲が1曲。他はビルが新たにミックスダウンをし直した既発売曲である。「風に吹かれて」は、79年6月、「愛を止めないで」と「さよなら」の間に出たシングル。ドラム,ベースとギターがイーグルスを思わせるサウンドはビル・シュネーのためにあるような曲だ。「愛を止めないで」も「生まれ来る子供たちのために」もオリジナルとは全く音色が違う。小田和正の声やコーラスの艶やふくよかさ。もちろん楽器の個々の音の聴こえ方もナチュラルだ。ずっと聴いてきてくれたファンにこそ、その違いが実感出来たに違いない。「1973-78」が、名刺代わりだとしたら、この「1978-81」は文字通りのベストアルバムと言って良い。
小田和正の曲が7曲、鈴木康博の曲が3曲、松尾一彦の曲が1曲。「さよなら」「Yes-No」「I LOVE YOU」とミリオン級のシングルが3曲。シングルのA面には小田和正の曲が選ばれていた関係で、“BEST”盤としてはそういう選曲にならざるを得なかったのだろう。ただ、そこに初期のオフコースとは微妙に違うバランスを見ることも出来るのかも知れない。
80年の年末、ツアー先で鈴木康博が小田和正に「オフコースを抜けたい」と打ち明けたと言う。もちろん、そうした動きは一切表に出ることはなかった。それでもあまりに急激な状況の変化はファンの間にも敏感に伝わっていた。オフコースに何か起きている。新しいアルバムはそんな期待と不安の中で迎えられようとしていた。
田家秀樹
ハイレゾ配信開始!
オフコースの有料ダウンロード楽曲は、上記の販売サイトでご購入できます。購入方法、支払い方法等は各サイトのインフォメーションをご覧下さい。
解説
「5年くらい経ったら、IIを作りたいね」。東芝EMIの担当プロデューサー、武藤敏史は、78年に「SELECTION 1973-78」を発売したときにそう言っている。それから3年。その機会は予測よりも早くやってきた。発売は1981年9月1日。「We are」のツアーは、81年3月27、28日の宮城県民会館で終了。その中には、2月の武道館4日間も含まれていた。
状況は激変していた。オフコースは様々な好奇の目で見られていた。それまで芸能界とは無縁だったこともありライブを見たことのない人にとっては実体が不明だった。「さよなら」を凌ぐ大ヒットとなった「Yes-No」には、「男のくせに“君を抱いてもいいの”とは何だ」といういわれなき批判も登場し、“オフコースは軟弱”という奇妙なレッテルも一人歩きしていった。
そういう流れで言えばこの「SELECTION」は、前作とは違う意味を持っていた。「1973-78」が、まだ世の中に知られていない人たちへの啓蒙だったとしたら、「1978-81」は、「さよなら」「Yes-No」で知ったという人たちに他の曲を知ってもらうという役割があった。更に、バンドにとってはビル・シュネーという強い味方もいた。全11曲の中で「We are」から4曲。新曲が1曲。他はビルが新たにミックスダウンをし直した既発売曲である。「風に吹かれて」は、79年6月、「愛を止めないで」と「さよなら」の間に出たシングル。ドラム,ベースとギターがイーグルスを思わせるサウンドはビル・シュネーのためにあるような曲だ。「愛を止めないで」も「生まれ来る子供たちのために」もオリジナルとは全く音色が違う。小田和正の声やコーラスの艶やふくよかさ。もちろん楽器の個々の音の聴こえ方もナチュラルだ。ずっと聴いてきてくれたファンにこそ、その違いが実感出来たに違いない。「1973-78」が、名刺代わりだとしたら、この「1978-81」は文字通りのベストアルバムと言って良い。
小田和正の曲が7曲、鈴木康博の曲が3曲、松尾一彦の曲が1曲。「さよなら」「Yes-No」「I LOVE YOU」とミリオン級のシングルが3曲。シングルのA面には小田和正の曲が選ばれていた関係で、“BEST”盤としてはそういう選曲にならざるを得なかったのだろう。ただ、そこに初期のオフコースとは微妙に違うバランスを見ることも出来るのかも知れない。
80年の年末、ツアー先で鈴木康博が小田和正に「オフコースを抜けたい」と打ち明けたと言う。もちろん、そうした動きは一切表に出ることはなかった。それでもあまりに急激な状況の変化はファンの間にも敏感に伝わっていた。オフコースに何か起きている。新しいアルバムはそんな期待と不安の中で迎えられようとしていた。
田家秀樹