あれは比喩だったのだろうか。改めてアルバムを聞き直しながら、そう思った。最後の曲「I LOVE YOU」は、81年に発売されたシングルとバージョンが違う。曲の合間にビルの友人が読むジョン・レノンが殺された時のニュースが入っている。80年12月8日だ。鈴木康博がバンドを抜けたいと表明したのも80年の年末だったと言う。ジョン・レノンの死と一つの時代の終わり。そこにオフコースというビートルズ・チルドレンの運命が例えられているということなのだろうか。彼らは結局、“解散”の二文字を口にしないままその日を迎えた。「決して彼等のようではなく」には、導火線が燃えるような音と何かが爆発するような音で終わっている。“今なら まだ戻れる 今なら 間に合う”。そんな言葉の中で起きる爆発と、その中から始まる「I LOVE YOU」・・・。
解説
そのシーンは今でも、映像で見ることが出来る。誰もがひょっとしてそういう場面が出現するのではないかと思いつつ、出来れば見たくないとも思い、反面どこかでそうあって欲しいとも思っていた、そんな光景である。小田和正は、歌いながら極まってしまい言葉を失ってしまった。自分でも取り乱すまいと心を静めているのが分かる。泣くというよりじっと堪えている。それでも涙は瞼を伝って落ちてきそうになる。そんな彼の様子を見て、客席が悲鳴のような叫びをあげる。1982年6月30日、日本武道館。10日間公演の最終日。曲は「言葉にできない」だった。
オフコースが武道館のステージに最初に立ったのは80年6月27、 28日の二日間である。それまでも何度か話は出ていたものの、音響に難があると見送られていた。その時も通常の5倍のPAを使用することで可能にしている。82年の公演は三度目。この時のチケットの応募は53万通だったそうだ。80年には12万5千通だった。チケットを購入しようとした人の数は180万人という数字もある。彼らはそんな異常事態の中で堂々と潔いまでのステージを続けていた。そして、最終日を迎えた。
象徴的な場面はもう一つあった。20時43分。アンコールが終わり、客出しのBGMで「ひととして」が流れ、アナウンスが退館をうながす中で、客席から自然発生的にわき起こったのがツアー終盤、6月10日に出たシングル「YES-YES-YES」の大合唱だった。メンバー5人はそんな様子をステージの袖で感動の面持ちで聞いていたと言う。「YES-YES-YES」は5人でレコーディングされた最後のシングルだった。そして、武道館での10日間公演が幕を下ろした翌日、7月1日に発売されたのが、このアルバムだった。言うまでもなく5人のオフコース最後のオリジナルアルバムである。
あれは比喩だったのだろうか。改めてアルバムを聞き直しながら、そう思った。最後の曲「I LOVE YOU」は、81年に発売されたシングルとバージョンが違う。曲の合間にビルの友人が読むジョン・レノンが殺された時のニュースが入っている。80年12月8日だ。鈴木康博がバンドを抜けたいと表明したのも80年の年末だったと言う。ジョン・レノンの死と一つの時代の終わり。そこにオフコースというビートルズ・チルドレンの運命が例えられているということなのだろうか。彼らは結局、“解散”の二文字を口にしないままその日を迎えた。「決して彼等のようではなく」には、導火線が燃えるような音と何かが爆発するような音で終わっている。“今なら まだ戻れる 今なら 間に合う”。そんな言葉の中で起きる爆発と、その中から始まる「I LOVE YOU」・・・。
シャウトというのはハードロックやヘビメタの専売特許ではない。小田と鈴木の心の中でのシャウトが歌になっている。鈴木康博は“静かに ひとつの 時代が終わってゆく”と歌い、小田和正は“誰もあなたの代わりになれはしないから”。と歌った。
そう、ジョン・レノンの代わりに誰もなれないように、オフコースの代わりもいない。
田家秀樹