椎名林檎 New Album放生会

椎名林檎
2024.5.29 Album
『放生会』

オフィシャル・ライナーノーツ

1998年のデビュー記念日からちょうど26年目となる2024年5月27日に発表、その翌々日の29日にサプライズリリースされる『放生会(読み:ほうじょうや)』は、椎名林檎にとって5年ぶりのアルバム。2019年5月27日にリリースされた前作『三毒史』では男性ゲスト陣とのデュエットが偶数曲に配置されていたが、まるでそれと対になるように、今回の『放生会』には女性ゲスト陣とのデュエットが奇数曲に配置されている。そして、宮本浩次、櫻井敦司、トータス松本ら、椎名林檎としてデビューする前から一人のリスナーとしてその音楽に触れてきたアーティストとの競演を果たした『三毒史』とは一転、『放生会』に参加したアーティストの多くはデビューする前から椎名林檎の音楽に一人のリスナーとして触れてきた世代だ。

「『三毒史』でデュエットいただいたお相手はみなさん異性。さらに過半数のかたが自分にとって先輩でした。『放生会』の大きな違いの一つは、私が比較的脱力しているということです。今回は自分よりお若い方に、より奔放に表現していただくべく書いてゆきました。子育て世代には子育て世代の、現役世代には現役世代の、それぞれのミッションがあると思うのですが、世代を超えて共闘したかったんです」

ギターをたずさえて真ん中にいる黒猫をたくさんの猫娘たちが囲んでいる、まるで幸運を呼び込もうとしているような賑やかなアートワークからも、そんな本作の溌剌としてリラックスしたムードが伝わってくる。まずは7人(組)のゲストとの楽曲についての椎名林檎の証言を紹介していこう。

「亡くなった人や動物に対して必ずしも永遠の別れを告げる必要はないと私は思っており、1曲目の『ちりぬるを』ではその隠された呪詛を描きたかったんです。なので、弔いの場では忌み言葉とされているような語句も敢えて使っているのですが、それを私が一人で歌うとグロテスクなものになってしまうんじゃないかと。そこで、中嶋イッキュウさんの持つ清潔さ、誰にも侵せない神秘性を拝借しました」

「AIさんは『最終宣告』を初めて聴いたときから大好きで、はやくご一緒したかった。他の皆さんをシャムやマンチカンとするなら、今回AIさんには同じ猫科でもサバンナを駆ける野生動物として存在していただきたくなった。また母親としての子供への視線というのも欲しくて、当てずっぽうではありながら、AIさんの持つ母性と野性のイメージへお書きしたのが『生者の行進』です」

「のっちには本当にこの20年くらい、事あるごとにアプローチし続けて来ました。私のプログラムを聴いてくださっていると伺っていたものの、私のほうがよほどあきらかにしつこくしてきている。もうちょっとプロっぽいことを言いたいんですけど、今回ようやく『初KO勝ち』でご一緒いただけて、ただただしあわせです。ご本人の几帳面で職人的なお仕事ぶりもかっこよかったです」

「ベスト盤(『ニュートンの林檎』)の時は、どうして『浪漫と算盤』のような曲を(宇多田)ヒカルちゃんに書いたのかご理解いただきづらかったんじゃないかと気になっていました。彼女の透明さ、無欲さ、お若い頃から達観していらした、あの空気や水のような存在感がないと説得力が生まれないものを書いてみたくて。つまり、派手なフックがないものを残したかった。今回『放生会』の真ん中の曲としてなら意義を感じ取っていただけるのかも」

「新しい学校のリーダーズはヒイズミ(マサユ機)くんが手がけている曲を中心に、近年聴かせていただくようになり、メンバーみなさんのファンに。今回の『ドラ1独走』のボーカルはSUZUKAさんお一人で、エレキギターを中心に据えたアンサンブルに、あくまでバンドのボーカリストとして存在してもらうべく書いております。MVでは、全員のパフォーマンスをご覧いただけます」

「Daokoさんにはリミックス盤(『百薬の長』)や昨年のツアー(『椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常』)の映像にも参加していただきました。満を持しての書き下ろしとなると、力み過ぎて自分がおかしくなっちゃう不安も。それで『余裕の凱旋』では、私の知る限り最も力の抜けたDaokoさんの側面を記録いたしました。ツンとおすましDaokoさんも魅力的ですが、おとぼけドジっ子Daokoさんも拝聴してみたくて」

「初めてももさんをライブで拝見したとき、紅白歌合戦の大トリみたいだと思いました。彼女のあの度胸、底抜けに明るい諦観のようなものへ憧れましたし、次の瞬間にはどんな曲がいちばんお似合いになるか頭を抱え始めていました。今回の『ほぼ水の泡』はその初期衝動を思い出して書いた気がします。ももさんを始め今回ご参加いただいたみなさん、私の信仰する猫のようにしなやかです。三分間だけでも共に生きられて、光栄です」

今回のアルバム『放生会』のもう一つの大きなトピックは、昨年のツアー『椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常』にも参加していたドラムの石若駿とベースの鳥越啓介が全楽曲の基礎を司るメンバーとして固定されていて、既発曲の一部もその新しいリズム隊によって再レコーディングされていることだ。この二人のビートがもたらしたバンド全体のアンサンブルのリフレッシュ感は、アルバムとしての統一感に寄与しているだけでなく、これまでの椎名林檎のアルバムと比較しても、かつてないほどの陽性な勢い、生の躍動感を生み出している。

「ツアー(『椎名林檎と彼奴等と知る諸行無常』)のリハーサルで、石若くんと鳥越くんがいてくれることによって、恥ずかしい若書きの自作曲にさえ全然違うアプローチが思い浮かんで来ました。彼らを始め、いつもお供くださる演奏家は、揃いも揃って手練れです。でも、技術をみせびらかすだけじゃつまらない。音楽を具現化した生き物のような皆さんだからこそ、簡単で、単純で、バカみたいなことを一緒にやっていただくわけです。音楽屋という役割の重みと軽み、面白みをまた新たに思い知るツアーでした。今回のアルバムも、そこからの自然な流れのなかで作られました」

アルバムタイトルの『放生会』は、インドに起源をもつ宗教儀式で、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める祭のこと。日本では「どんたく」や「祇園山笠」と並ぶ博多の三大祭の一つとしても知られている。

「とにかくあらゆるものを手放さないまま生きる人々を描き切りたかった。『ちりぬるを』で描かれたような、予告なく死ぬ身近な者に対して、『さらば純情』で描かれたような、若かりし日の美徳に対して、一切合切諦めない人間が密かに抱く信念を、見てみたくて。それらもすべてやっぱり“三毒”といえば“三毒”です。つまり、今の世の中のムードからしたら真っ向からのアンチテーゼですよね。今回お酒をモチーフにした曲が多いのもーー私はあまり飲まないのですがーー不謹慎、不道徳の象徴として手伝ってもらっているつもりです」

「ちりぬるを」(offering sake)のファンキーなビートで威勢よく幕を開け、途中何度も絶頂を迎えながら、「ほぼ水の泡」(cheers beer)の狂躁で大団円を迎えるアルバム『放生会』。その時代に逆行するかのような景気のいいアルバムの根底に流れる不謹慎で不道徳な企みをダメ押しするかのように、アルバムのサプライズリリースと同時に発表されたもう一つの大きなサプライズ、秋冬アリーナツアー日程と場所は、当地の特産品、例えば福井公演は越前かにの解禁日に合わせたものだという(!)。

<宇野維正>