【亀pact Disc】

01.灰色の瞳

1974年に加藤登紀子と長谷川きよしのデュエットで大ヒットを記録したフォルクローレ歌謡の名曲。このフォルクローレとは、一般的には南米アンデス地方の民族音楽を総称したもので、この曲のオリジナルはアルゼンチンのケーナ(南米アンデス地方に古くから伝わる竹笛)奏者、ウニャ・ラモスによるもの。なお、日本語の訳詞は加藤登紀子が自ら手掛けている。


02.more(アンディ・ウィリアムス他)

世界中の残酷で奇怪な風物・風習を集めたグアルティエロ・ヤコペッティ監督のドキュメンタリー映画『世界残酷物語』('63年)のサウンドトラックに収録され、アカデミー歌曲賞にもノミネートされた名曲。映画はヤコペッティの演出がやらせとして大問題になったが、そのサウンドトラックは名スコアとして今も多くのリスナーに愛されている。作曲はイタリアの映画音楽家、リズ・オルトラーとニーノ・オリヴェイロ、オリジナルであるイタリア語の作詞はマルチェロ・シオルチィオリーニが手掛け、後にノーマン・ニュウエルが英語詞のラブ・ソングを書いたことで、アンディ・ウィリアムスやフランク・シナトラら数多くのシンガーに歌われるようになった。


03.小さな木の実

'71年にNHKのテレビ番組「みんなのうた」で放送されて以来、大庭照子をはじめ、歌い手を変えながら、何度も再放送されている不朽の名曲。あまりに有名な曲であるため、日本の童謡であるようにも思われるが、実は「カルメン」や「アルルの女」を手掛けたことでも知られる19世紀のフランスはパリのオペラ作曲家、ジョルジュ・ビゼーが英国の作家ウォルター・スコットの「The Fair Maid of Perth」をもとに作り上げた歌劇「美しいパースの娘」のために書き上げた曲である。日本語の訳詞は作詞家の海野洋司が担当。ちなみにビゼーの諸作は今でこそ傑作として知られているが、生前はことごとく酷評され、失意のなか、37歳の若さで亡くなったという。


04.i wanna be loved by you(マリリン・モンロー)

映画「ナイアガラ」('53年)の“モンロー・ウォーク”で一躍注目を集め、続く映画「紳士は金髪がお好き」で人気を不動のものにした映画女優。彼女はその私生活において、野球選手のジョー・ディマジオや劇作家のアーサー・ミラー、あるいはアメリカ大統領のジョンFケネディらと浮き名を流し、華やかな生活を送る一方で、アルコールと睡眠薬に溺れ、'62年に36歳の若さで亡くなった。女優である彼女が残したアルバムは決して多くないが、いわゆる歌手にはない味わいの歌はジャケットや曲のセレクションを変えた多くの作品集で聴くことが出来る。本作ではゴールデン・グローブ賞を受賞をしたビリー・ワイルダー監督のコメディ映画『お熱いのがお好き』('59年)から女性バンドの歌手にしてウクレレ奏者の金髪美人シュガー役の彼女が歌った「I WANNA BE LOVED BY YOU」が取り上げられている。


05.白い小鳩(朱里エイコ)

'74年にリリースされた実力派R&Bシンガー、朱里エイコによる4枚目のシングル。彼女は'64年に田辺エイコとしてデビューしたのち、単身渡米し、ラスベガスを中心に舞台に出演。その後、帰国し、小林亜星が作曲を手掛けたレナウンのCMソング「イエ・イエ」ほかを発表した後、再び渡米。アメリカでエンターテナーとしての修行を積み、'71年に朱里エイコの名で再デビューを果たしたが、'75年には活動の拠点をアメリカに移すという二転三転の異例な経緯をたどった。本作は作曲がピンクレディの名付け親にして、楽曲のほとんどを手掛けたことでも知られる都倉俊一、そして、作詞は小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」やガロ「学生街の喫茶店」ほかを手掛けた山上路夫の作詞によるもの。


06.love is blind(ジャニス・イアン)

米国のシンガー・ソングライター、ジャニス・イアン。'67年、エディット・ピアフやビリー・ホリデイに影響を受け、作曲を始めた彼女は14歳の時に書いたプロテスト・フォーク・ソング「Society's Child (Baby I've Been Thinking)」で大ヒットを記録し、一躍注目を集めるが、1970年、恋人と過ごす時間を大切にしたいとの理由から活動を休止。その後、17歳にして結婚、破局した経験を歌った「At Seventeen」を含む、復帰第2作目にあたるアルバム『愛の回想録(Between The Lines)』('75年)で全米大ヒットを記録。ここでは続くアルバム『Aftertones』('75年)から、坂口良子主演のドラマ「グッドバイ・ママ」('76年)に主題歌として起用されたことでも知られる「LOVE IS BLIND」が取り上げられている。


07.木綿のハンカチーフ(太田裕美)

はっぴいえんど解散後、作詞家に転向した松本隆が名作曲家、筒美京平と組み、ニュー・ミュージックと歌謡ポップスの橋渡しをしたとされる、太田裕美による'75年の名曲。それまで、歌謡曲と言えば、直接的に心情を歌った歌詞が多かったが、この曲にあっては感情を風景に託しながら、1曲のなかに田舎に残った女性と都会に出ていった男性の気持ちをつづった歌詞と、その歌詞の洗練に呼応したソフィスティケイトされた楽曲が日本の音楽シーンに新風を吹かせた。この時、既に筒美京平は歌謡ポップスの中心的な存在だったが、この曲によって作風を確立した松本隆は、その後、松田聖子に提供した一連の作品をはじめ、数々の名曲を生み出す作詞家として活躍することとなる。


08.yer blues(ビートルズ)

後期ビートルズにあって、メンバーそれぞれが自作曲を個人で録音し、後から別のメンバーが楽器やコーラスを被せていったため、全30曲が4人のソロ作としても捉えられるビートルズの2枚組アルバム『The Beatles(White Album)』('68年)より。クレジット上では「レノン/マッカートニー」となっているが、インド滞在中、ジョンによって書かれている。この曲はやりきれない思いを歌ったヘヴィなものであるが、実際のところは当時、注目されていたブルース・ロックを揶揄する内容であるとされる。ちなみにこの曲は、ビートルズがライヴ活動を停止して以来、ジョンにとって初のライヴにあたるPlastic Ono Bandのアルバム『 Live Peace in Toronto, 1969』('69年)や'68年に録音が行われ、'96年にリリースされたローリング・ストーンズの『 Rolling Stones Rock and Roll Circus』('96年)において、ライヴでの好演を聴くことが出来る。


09.野薔薇

『若きウェルテルの悩み』で知られる小説家にして、詩人、劇作家でもあるドイツの芸術家、ゲーテ。1770年、ストラスブール大学の法学生だった彼が21歳の時にフランス東部の村、ゼーゼンハイムで出会った18歳の女性、フリーデリーケ・ブリオンと恋に落ち、その思いを込めて書かれた詩「野ばら」。この詩に対しては、多くの作曲家によって付けられた楽曲の存在が知られており、最も知られているシューベルト、ウェルナーによるものをはじめ、シューマン、ブラームスが作曲した「野ばら」など、その数、なんと150曲以上とのこと。ちなみにここでは「魔王」ほかの名曲で知られるウィーンの歌曲王、シューベルトによる「野ばら」(1815年8月19日、シューベルト18歳の時に作られた)が取り上げられている。