LINER NOTES
- 椎名林檎と彼奴等がゆく 百鬼夜行2015 -
暗闇の結界から彼女の歌声が聴こえてくる。鶴の刺繍が施された振袖を纏った黄泉からの使者は、登場からほとんど絶唱のような哀切に満ちた歌声を聴かせる。その姿に思わず固唾を飲む。おそらくは当日の多くの観客らと同じように。
この『椎名林檎と彼奴等がゆく 百鬼夜行2015』は2枚組の映像作品である。まずDisc-1には、椎名林檎名義では実に12年振りとなった2015年の同名の全国ツアーから、12月9日に神奈川県民ホールで行われた実演(ライブ)の模様が収録されている。この日の模様は2016年2月にWOWOWで放送されているが、本作は今回のパッケージのための新たな選曲と編集が施されたヴァージョンである。
椎名と道行きを供にした“彼奴等”とは玉田豊夢、鳥越啓介、ヒイズミマサユ機、浮雲、名越由貴夫、村田陽一、西村浩二、山本拓夫から成る“MANGARAMA”。同年8月に台湾で行われた初の海外公演「(生)林檎博 '15 −垂涎三尺−」の演奏も務めた(※1)スペシャルバンドだ。そもそも“百鬼夜行”とは、同年5月にリリースされたシングル「長く短い祭/神様、仏様」に端を発したコンセプトだという。
「児玉(裕一。映像監督)監督が撮った『神様、仏様』のMVの終盤で私が東京タワーの上から飛び降りたのは〈結局何が一番怖いって此の娑婆世界の人間様よ〉というメッセージを伝えたかったから。それをツアーではより辛辣に強調したくて、このタイトルとセットリストを組み立てました」(椎名)
成る程、風雲急を告げるアレンジの「尖った手□」では、虚無僧姿のMUMMY-Dの導きでネオン眩い娑婆世界の入り口がステージ上に広がり「労働者」へと繋がっていく。やがて娑婆に疲れ果て樹海を目指す車中のBGMたる「走れゎナンバー」から、前述の「神様、仏様」で只ならぬ妖気と貫禄を誇示するMANGARAMAの勇姿と共にツアータイトルが掲げられる頃には、観客はすっかり彼奴等の術中に嵌っているという寸法である。楽曲を咀嚼し、観客に対して最も有効に響く音像へと変換していく椎名とMANGARAMAの演奏スキルはまさしく音楽に取り憑かれた“妖怪(もののけ)”のようだ。
「目指す地点に最短の時間で辿り着ける、話が早い人しかいないバンドでした。だからこちらも愛情の表れとして、銘々の格好良さが最も活かされるような見せ場をたくさんご用意しました」(椎名)。
かく言う椎名自身のボーカルも破格の出力とテンションとクオリティを誇っている。後日、彼女は「収録が入っている時に限って本番に弱い。『都合のいい身体』の歌詞が愉快に迫ってきます」と苦笑混じりに謙遜していたが、フィジカルのパフォーマンスも含めて、好評を博した14年の「(生)林檎博 '14 -年女の逆襲-」や台湾公演と比べて一層ソリッドに、平たく言えば“キレキレ”の切れ味である。
これはアリーナとホールという会場のサイズの違いだけではなく、ツアーを通してより磨きがかけられたということだろう。打てば打つほど強度としなやかさを増す鋼のような資質と、実演一回毎の経験値を血肉に変えて表現力を更新していく学習機能はやはり並外れている。
ことに嬉しい奇襲だったのは「熱愛発覚中」。自身のキャリア初期に於けるアイコニックなルックのひとつだった99年のシングル「本能」のMVで見せたようなナース姿で現れ、コケティッシュなダンスを披露したのだ。
「皆さんが指を指して笑ってくれたらと思って。ライブに来てくれるお客様への信頼があってこそご用意できた劇中劇でした」(椎名)
まったくユーモアとウイットに富んだファンサービスであり、椎名自身が自らの足跡を巡るパラレルな道行きという、このセットリストの側面が垣間見えたパートである。同曲のラスト、〈透っ波抜いて〉で“すっぱ脱いだ”椎名は緋色のシルクランジェリー姿となって、只一人の女としてネイキッドな魅力で観客を魅了していく。特に「罪と罰」のパフォーマンスは圧巻の一言に尽きる。
そして浮雲のボーカルによる「夢の途中」(※2)を幕間間奏(インタールード)に挟んで本編は後半へ。トラメガでスパルタンに客席を煽動する「Σ」を経て、ラテン/ファンクモードへと突入する。当時直近のシングル曲だった「長く短い祭」で最高潮に達した会場の熱気が、翻って常に最新作が最高傑作である音楽家としての椎名の充実を雄弁に物語っている。
「日本人の奥底にあるお祭りビート然り、生まれ育ちのルーツを活かそうとする姿勢は十代から変わっていませんが、最近はかなり前面に出せるようになってきました。『三文ゴシップ』でブラックミュージックからの影響を形にできたことも大きかったと思います」(椎名)
ボリュームフルテンでギターをかき鳴らす「群青日和」、「NIPPON」で大団円を迎え本編は幕を閉じ、アンコールに応えて2曲を披露すると椎名と彼奴等は黄泉へと姿を眩ました。ポップなアニメマンガのエンドロールが全て一夜の戯れなお伽話と言わんばかりの見事な句点を打った。多くの愛好家(コアファン)から“ネ申”の呼び声が高かった今回のセットリストは、実演初披露となった一曲目の「凡才肌」に始まり、最新アルバム『日出処』の収録曲、林檎/東京事変クラシックス、他のアーティストへの提供/客演曲が入り乱れる百花繚乱の大盤振舞いとなった。
しかし本作のもてなしはここで終わらない。『椎名林檎と彼奴等による 陰翳礼讃2016』と題したDisc-2には、ツアー終了後の翌16年2月23日、再び同じ会場に集った椎名と彼奴等による全10曲のライブセッションが収録されているのだ。
「折角のスタメンだったので、セッションはツアーが始まる前から提案されていました。ツアーからこぼれた曲のなかから、弊社調べでお客さんからのニーズが高いと思われる10曲を選びました」(椎名)
ツアーの熱気とは対照的に、静謐な空気のなかジャジーなファッションと演奏スタイルで行われたこのセッションでは、敢えてリハーサルを重ねずに、音楽が生まれる瞬間の奇跡を捉えようと臨んだという。何とも粋で贅沢な試みではないか。本作監督のウスイヒロシは語る。
「『百鬼夜行』は21台、『陰翳礼讃』は8台のカメラを使って収録しました。『陰翳礼讃』は『セッションの鮮度を損なわないように』という椎名さんからのディレクションに沿って撮影プランを設計しました。そういえば、収録後、椎名さんは楽屋に戻っていくメンバーを自分のカメラで撮影していました。彼らへの愛情と敬意が感じられた印象的な一コマでした」(ウスイ)
本作がツアー終了からリリースまでに約一年半もの時間を要したのは、各方面からオファーが寄せられていた提供楽曲と、ツアー当時から水面下で調整が進んでいた16年8月のリオ・オリンピック/パラリンピック閉会式における「フラッグハンドオーバーセレモニー」の制作に尽力していたからだ。
本稿では成功を収めたセレモニーにおける椎名の見事な演出や音楽への采配については省くが、例えば「凡才肌」で被っていた角隠しのようなヘッドアクセサリーは、リオ・オリンピック閉会式のセレモニー冒頭で「君が代」が流れる中、日の丸の中心に集まってくるキャストたちの装束と同じ、レ・クリント(※3)を想起させる折り紙の技術で作られていた。またツアーの映像で一糸乱れぬダンスを披露するELEVENPLAYを統べる振付家のMIKIKOや浮雲、ヒイズミマサユ機と同一人物と目されるH ZETT Mらは、それぞれ演出スタッフやボーカル、楽曲使用などでセレモニーに関わっている。こうした視点からあらためて本作とセレモニーの映像を観直すと、更なる発見に出会えるかもしれない。
動と静。光と影。この2枚組・全39曲の映像作品には、多くのリスナーのリアルを描き続ける稀代の音楽家のジャンルレスな音楽性と多面的な魅力が凝縮されている。ならばこちらも余すところなく楽しむべきだろう。いよいよ2018年にデビュー20周年を迎える、椎名林檎の新たな道行きに期待を寄せながら。
(内田正樹)
(※1)……台湾公演と本ツアーでは若干のメンバー変動が生じている。
(※2)……来生たかおが82年にリリースした氏の代表曲。薬師丸ひろ子への提供曲「セーラー服と機関銃」の(歌詞が一部異なる)異名同曲としても広く知られている。来生は椎名が10代の頃からフェイヴァリットの一人に挙げているアーティスト。
(※3)……20世紀初頭にデンマークの建築家P.V.イエンセン・クリントが生み出したランプシェード。一枚の特殊プラスティックペーパーを手で折り上げるハンドクラフトならではの美しいフォルムが特徴。