LINER NOTES
- 椎名林檎と彼奴等の居る 真空地帯 -
『椎名林檎と彼奴等の居る
まず本作のジャケットに描かれている“आकाश(アーカーシャ。阿迦奢)”は、“虚空”、“空間”、“天空”を意味するサンスクリット語(梵語)である。古代インドの文学語であるサンスクリット語は、現代インドの22の公用語のひとつで、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語でもあり、文学、哲学、学術、宗教などの分野で広く用いられている。“旦那 (=dānapati)” 、“卒塔婆 (=stūpa)” など、漢訳仏典を通じて日本語として取入れられた単語も存在する。もっと言えば、そもそも“サンスクリット”とは「完成された・洗練された(言語、雅語)」の意だという。
成る程、こうして調べた事柄を列記してみると、椎名の歌詞に用いられているボキャブラリーとの親和性や、近年の彼女が楽曲及び実演で追求しているクオリティ(完成・洗練)との接点が見えてくる。
椎名の実演とサンスクリット語の関係は、2015年8月16日に台湾で行われた『椎名林檎 林檎博'15 ―垂涎三尺―』の演奏を担ったスペシャルバンド “MANGARAMA”(※マンガラマ。サンスクリット語を交えた造語)の命名に始まり、同年10月から12月にかけて行われた前ツアー『椎名林檎と彼奴等がゆく 百鬼夜行2015』からは、特殊開発グッズ(=ツアーグッズ)のアートワークでも用いられた。このMANGARAMAの名義とグッズでの使用については、本作のツアー、さらには本作リリースの頃、まさに公演中のデビュー20周年を記念したアリーナツアー『林檎博'18 -不惑の余裕-』においても継続している。
現実離れ(=マンガ)した妖怪(=ラマ)のような演奏の手練れたちを冥途から引き連れ、痛快な批評眼によって娑婆世界の悲哀を歌い上げたのが『百鬼夜行』だったとするならば、今回の“何処にでもいる女の半生”といった自作プロットの自演に徹し、観客 ― 特に女性 ― 一人一人の記憶に成り代わるように歌い上げた『レコ発』もとい『真空地帯』は、言わば女性の持つ感情の根源を表現することで、より観客各々の心に深く突き刺さる実演だったと言えるだろう。
監督は前作『百鬼夜行』に引き続きウスイヒロシが務めた。27台のカメラが捉えた椎名の一挙一動と歌声が、プレイヤーたちの繊細にしてダイナミックな演奏が、映像作家・児玉裕一によるビビッドなスクリーン映像が、さらには歓喜の手旗舞う客席の模様が、ウスイ一流の臨場感を重視したアングルで編集されている。
衣装についても記しておく。ステージで椎名が着用した麗しいドレス、打掛、ランジェリー、ジャケット、Tシャツ&パンツルックの数々は、エトロ、グッチ、ラ・ペルラ、サンローラン、アレキサンダー・マックイーンといった錚々たるハイブランドのプレタポルテ(※もしくはそれを独自にカスタマイズしたもの)だ。これらは全て椎名のワードローブから本編のパートに合わせてチョイスされた品々だ。
ちなみに、「おとなの掟」を迎えると、椎名とMANGARAMAの面々が初めて揃いのスタイリングとなる。バンドが着用しているアウターは、椎名のワードローブから着想を得て、スタイリスト・杉山優子の指揮により制作されたオーダーメイドである。このツアーの特殊開発グッズとして販売された“ラマ生地”が鮮やかだ。また、アンコールでやはり椎名とMANGARAMA一同が揃って着用した和装も、特殊開発グッズ(完全受注生産)として販売されていた。
毎回、椎名の実演会場では、こうした特殊開発グッズをアレンジした洒脱なスタイリングの観客が多々見受けられる。その一部は、Instagram「林コー研」(rin_co_ken)で楽しむことができる。
なお、今回のリリースに先駆けて、同日の本編全21曲のみが2018年7月にWOWOWで放送されたが、無論、本作ではアンコールの3曲(「丸ノ内サディスティック」、「NIPPON」、「野生の同盟」)も余すことなく収録されている。演奏もさることながら、その直前にテロップで映し出されるバンドメンバーの愛称も楽しいので、愛好家の向きはチェックを怠りなく。
女性の持つ感情の根幹を、未完の人生とその可能性を、椎名はこの1時間40分の実演で見事に表現してみせた。まったくとんでもない境地まで辿り着いたものだ。鎖を巻いて、鍵をかけて、心の奥底にひっそり眠らせておいた“過去”という名のパンドラの匣をこじ開けられた時、人は息をすることさえままならなくなる。それが椎名と彼奴等による“真空地帯”の正体だ。いま、これほどまでに特異で魅惑的な空間をステージに作り出せる音楽家を、少なくとも筆者は他に知らない。
(内田正樹)