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──このアルバムが大ヒット。それから(全国ツアー)下剋上エクスタシーが始まりますが、この最初の2年間だけ振り返っても、非常に濃い活動振りだよね?
林檎「最初の2年は厳しかったですよね。新人が強いられすぎ(笑)! しかも、『無罪~』を作った段階から“こういうアルバムを作っちゃったからには責任を取らなくちゃ”っていう話になっていて、どうしてそうなっちゃったのか、よく思い出せないんだけど、それによって自分が一番最初に疲れちゃって」 ──いまにして思えば、その後の御起立ジャポン・ツアーは林檎ちゃんにとって、楽しんで音楽を演るためのリハビリ期だったんじゃない? 林檎「そうですね。結果的にはそういう時期だったかもしれないですね。でもね、レコーディングだったり、 |
音に関わってる時は妥協したことがなくて、多分、プロモーションが変なんだなって思うんですよ。私は決して確固たる哲学があって、それをCDにしてるわけではないじゃないですか。だから、私にとってのプロモーションは「笑っていいとも」でいうところの“お~い、ポスター張ってくれ~”っていうような、そういうものだと思ってたんですけど、活動における時間の制約は実際の音楽活動よりプロモーションの方が多いんですよ。だから、分かんなくなっちゃったし、疲れちゃったと思うんですよ」
──で、本来的な音楽活動に専念したリハビリ期を経て、その年の年末に妊娠されて。 林檎 「妊娠初期は流産する確率が高いから、確実になったら発表しようっていうことになって、(2001年の)1月にホームページで発表いたしました」 |
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林檎「そうですね……スタッフとは“アルバム前にシングルを3枚出していこうね”っていう話をしていたんですけど、「ここでキスして。」を出して、セールス的に満足出来る結果
を得られなかったら、多分、この職業でやっていくのは無理だと思ってて。それくらい、そのお話に賭けてましたよね。だから、忙しくプロモーションをしていて、ちょうど『無罪モラトリアム』をリリースする時に倒れちゃって、皆さんにはご迷惑をお掛けしました」
──早くも激動期に突入、と。ライヴ・ツアー“先行エクスタシー”ではセックス・ピストルズがSEに使われていたり、林檎ちゃんのMCも憤ってるような感じだったよね? 林檎「そうですか。あんまり覚えてないんですけど、そういう風に望まれていると思って、演ってたのかもしれないですね。 |
。確か、その頃の予定では次のシングルは「ギブス」を出そうっていうお話だったんですけど、“健康的にやっていけないなら、リリースはコンスタントに出来ないよ”っていうことになったんですけど、リリース間隔が空いちゃうから、やっぱり何かシングル位
は出そうっていうことになって。ただし、「ギブス」を出すのはコアな方々に対して驚きがないから、ライヴで全く演ったことがない「本能」をリリースしたんです」 ──そうしたら、「本能」が色んな意味で大きな反響を呼んでしまった、と。 林檎「そうですね!あのシングルを出したことによって、活動がやりにくくなってしまったというか、状況が把握しきれなくなって。学園祭ツアー(学舎エクスタシー)はドキドキしました。 |
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だって、お客さんがすごい一杯、看護婦姿だし(笑)。やりにくかったです。“「本能」やって~!”とか仰るんですけど、こっちは用意してなくて」 ──「本能」をやらなかったのは、アレンジが上手くまとまらなかったんだよね。ちなみにこの時点で『勝訴ストリップ』は完成してたんだよね? 林檎「'99年の夏にはとっくに録り終えてました。で、その後に「本能」を出したら、割とやさしい曲を選んだつもりなのに、なんで“ヤバい女”みたいなことになったのかなって思ってました(笑)」 ──で、2000年に入って、「ギブス」と「罪と罰」という2枚のシングルが出て。ここではベンジーさんと…… 林檎「チャコちゃん(田渕ひさ子)とやりました。でも、この2枚も前の年の夏には録り終わってて」 |
──そして、いよいよ、セカンド・アルバム『勝訴ストリップ』がリリース。 林檎「お陰様ですごい沢山の方に買って頂いて、ありがたい話なんですけど、周りのみんなは“『無罪』が売れ過ぎちゃった”って仰ってて。つまり、それは“みんなが分かるものではないはずなのに、売れることによって誤解が生じる”っていう話だったんですけど、そこで私は“なるほど。じゃあ、好きにやったものを作ればいいのね”って思って、『勝訴~』を作ったんです。実際、すごくうるさいアルバムだし、端からチョッパー・ベースだし、きっとセールスは落ちるだろうなって思ってたんですけど……」 |
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林檎「結果
的に色んな方にお会い出来て楽しかったんですけど、大変だったというか、難しかったと思うし、それは未だに学んでいる途中です」 ──19歳でデビューして、いま24歳だけど、この期間って、世の中的には子供から大人へ変わっていく期間でもあるよね? 林檎「そうですね。『無罪~』には15,6歳の時に書いた曲がいっぱい入ってて、すごく滑稽な部分はいっぱいあるんだけど、それを一個一個直してしまうことは今よくないなって直感的に思ってたんです。で、それは“でも、いいじゃん!”っていう怠惰な気持ちではなく、滑稽なものを滑稽なままに発表して、それが作品を重ねるごとに削られていくっていう、そういう過程も楽しいじゃないですか」 |
──それは、つまり、成長していく過程を作品にするっていうことだよね。 林檎「だから、いま振り返ると、すごく恥ずかしいんですけど、その時も“きっと、恥ずかしいんだろうな”って思いながらやってたし、それはしょうがないですよね」 ──成熟することはいいことなんだけど、その時にしか表現出来ない感情ってあると思うし、それが例え、未熟だったとしても、非常に貴重なものなんだよね。林檎ちゃんの作品を振り返ると、そういう精神的な遍歴がしっかり刻まれてるよね。 林檎「ありがとうございます。そうだと嬉しいですけどね」 |
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──今後に関しては、いかがでしょう?
林檎「別になくてもいいよねっていうものを作らないようにって感じかしら。逆に言えば、これは確かにあってよかったっていうレコードが作ることが出来ればなって思います。あとは……ヤバい奴って言われないような女性を目指しますよ!(笑)」 ──8月には全国ツアーが始まるし。 林檎「レコーディングではシンプルに曲の骨格が分かるように録る時もあるんですけど、今回の新譜はそういう感じではないので、これをシンプルにしたら、聴くに堪えうるものになるのかっていうトライをしつつ、シンプルなバンド編成でのライヴを考えています。あと、ツアーが続くと、緊張から体調を崩しがちなので、今回はそろそろ大人っぽく、“仕事ですから、慣れですね”って言えるように目指したいですね」 (終わり) |
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──そして、この『賣笑エクスタシー』はデビュー伍周年特別
御奉仕品と銘打たれていますけど、この発売日、2003年の5月27日のちょうど5年前ですよ。 林檎 「19歳ですね。この業界はね、普通にアルバイトをしてきて、普通 に就職した気持ちで音楽をやろうと思うと、驚きの連続で(笑)。どうしたらよいか分からないことも沢山あったりして、そういうことを少しずつ学んでいった感じですよね。CDを作って売る時に素材を作ればいいと思ってたので、デビュー直後はびっくりすることばっかりで、「歌舞伎町の女王」の頃には“もう辞めたい”って(笑)」 ──(笑)そう言えば、このDVDには初期の弾き語り映像が入ってるんだよね。自分ではどんなことを思った? 林檎「いや、すっごい恥ずかしい。卒業アルバムを見るような…… |
でも、映像が動いちゃってるから、
“しまった。この不細工な~”っていうレベルじゃ済まないんですよ(笑)」
──でも、ホントに嫌だったら、DVDには入れないだろうから、何か思うところがあるんじゃない? 林檎「や、面白いかなと思って(笑)」 ──(笑)また、そうやって、自分を…… 林檎 「いじめて、ね(笑)。そういう、ちょっとマゾヒスティックな意味もありつつ……でも、ホントに面 白いんですよ、ヤバくて!あの後、あんなことやこんなことを知ることになろうとは、みたいな(笑)。初々しいというか、ひたむきでしたよね」 ──その甲斐あって「ここでキスして。」で世の中的に認知されたわけだけど、この頃の心境はどうだったの? |
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