椎名林檎『日出処』

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LINER NOTES

プレイボタンを押す。「静かなる逆襲」のイントロが耳をつんざく。やがて聴こえてくるどこまでも不敵で孤独な歌声と、その声が従える精密な獰猛さを誇る獣たちの演奏に酔いしれる。その余韻に浸る間もなく繰り出される「自由へ道連れ」の快感はどうだ。
この一曲目から二曲目への流れだけで、幾度鳥肌が立っただろうか。ずっと欲し続けてきた、彼女からの新しい音楽が届いた歓びに。 『日出処ひいづるところ』は、椎名林檎の5年半振り5枚目となるオリジナルフルアルバムだ。タイトルは、彼女が近年抱いてきた或る思いに因るものだという。
「ここ数年は『もう王道のことしかしたくない』という気持ちが日増しに強まっていました。ちょうど『ありあまる富』を書いた頃から、自分の歌詞に“陽の光”を指す語彙が増えていることにも気づき、次のアルバムでは『“目抜き通り”を描きたい』と思い立ちました。すると、かつてないぐらいはっきりと『日出処』というタイトルが浮かびました」(椎名)
 “目抜き通り”とは文明社会で生きる人々がひしめくメインストリートであり、メインストリームを指す。
「日の当たる場所で起きている出来事と、その裏で起きている事。生きていれば明るみになり誰もが避けては通れない局面を、今回は堂々と、色濃く描き出したかった。そんなアルバムがいまこの世の中に、一枚くらいあってもいいのでは?と思いました」(椎名)
 “メインストリート”はもうひとつの意味でも作用している。全13曲中6曲の既出曲は、名立たる地上波テレビ局からのオファーによって生まれたものだ。
「『NIPPON』も『ありあまる富』も、熱意を持った局の方々が私のお尻を叩いて、潜在能力を引っ張り出して下さいました。自ら進んでは書かなかった曲だと思います」(椎名)
 一方の新録曲も聴きどころに溢れている。前述の「静かなる逆襲」に始まり、ファンクのリズムとフルートのブラックマナーが光る「走れゎナンバー」。成長を遂げる女性の心情をミュージカルのようなスケール感で綴った「ありきたりな女」。過去に想いを馳せる浮遊感がエレクトロニカと弦楽で音像化された「JL005便で」。文字通り過去と未来の分岐をSOIL&“PIMP”SESSIONSと弦楽のスリリングなアンサンブルで奏でる「今」など、彼女のストーリーテラーとしての才気が存分に発揮されている。
 またラテンのリズムが快感を誘う「赤道を越えたら」、「ちちんぷいぷい」は『逆輸入』収録の「望遠鏡の外の景色」を手掛けた村田陽一の管編曲によるもの。「赤道を越えたら」では彼の仲介からブラジル音楽界の重鎮イヴァン・リンスがスキャットを提供するという、好事家にはたまらない共演も実現した。
「ラテンは私の基盤の筈。そして村田せんせいは私がかつて持っていたトロンボーンに対する認識を覆して下さって以来、絶対的な基準であり続けている方です」(椎名)
その他にも「カーネーション」における東京事変のメンバー、そして893、37564の面々など、今作には近年の椎名にとって重要なプレイヤーがこぞって参加している。
「演奏家との巡り合わせは本当に幸運でした。今回のレコーディングでは、人生を投げ打った1音1音を『ここしかない』という覚悟で置いて下さる方しかいらっしゃいませんでした」(椎名)
今作における椎名の歌詞には、さながら哲学書か箴言集のように思わず膝を打つくだりが数多い。文明社会という名の“目抜き通り”を生きる人間が、現在を立脚点に普遍や矛盾や過去と対峙しながら、未来へ目を向け、世界を知り、祖国を思い、やがて常に死と隣り合わせにある生の根源的な価値を見出し、大いなるカタルシスを獲得する。これほどまでに豊潤な知性と肉体性とドラマ性を誇る新作ポップアルバムが、果たしていまこの日本にどれほど存在するだろうか。
「もしかするとこれまでの私の歩みには、時にまわりくどく見える場面もあったかもしれません。でもそうして表現の順番を自分なりに守ってきた分だけ、書くべきものは全て書いてきたという自負があります。だからここからは“目抜き通り”に立って、自分なりの“王道”をどれだけ鳴らせるかに注力したい。そのための新たなスタートが、このアルバムなのだと認識しています」(椎名)
多くのリスナーの“目覚め”を呼び起こすであろう『日出処』は、音楽家・椎名林檎にとって二度目のファーストアルバムなのかもしれない。モラトリアムを越え、裸の意識を曝け出し、嗅覚を研ぎ澄ませ、醜聞を蹴散らしてきた彼女が辿り着いた、眩いまでの人間讃歌がここに。 
(内田正樹)


893(はちきゅうさん)・・・『党大会』、『ちょっとしたレコ発』ライブの演奏を務めた林正樹(Pf)、鳥越啓介(Ba)、佐藤芳明(acc)、みどりん(Dr)による編成。
37564(みなごろし)・・・名越由貴夫(Gt)、山口寛雄(Ba)、玉田豊夢(Dr)が主な編成。『NIPPON』レコーディング時は名越と生方真一(Gt)、渡辺等(Ba)、河村“カースケ”智康(Dr)という編成だった。

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