今年の5月、私の母が百歳を迎えました。調べてみると100年前の1920年(※大正9年)とその前後の頃に、スペイン風邪、アントワープ・オリンピックなど、2020年との共通項が幾つも見つかり、そこからイメージが広がりました。ベル・エポックを経て大恐慌が起こる前夜の、言わば“狂騒の20年代”です。
歌詞に〈ギャツビー〉が登場していますが、フィッツジェラルドの『楽園のこちら側』(1920年)が以前から好きでした。ベースとキーボードという二つの楽器のみの演奏ですが、無心で聴いていると冒頭のディレイで脳を刺激されて、音の隙間、つまりは“行間”からたくさんの情報が読み取れました。すぐに〈アネモネ色〉が見え、〈振り子時計〉の音が聴こえてきました。
自分が存在しなかった時代を見てきたかのように描く。そんな行為に自分を追い込むことで、新たな扉が開きました。
「1920」と「ノートルダム」。この2曲を書き上げた時、アルバムの全体像に明確な手応えが感じられました。ディストピアとユートピア、天使と悪魔が同居しているようなノートルダム大聖堂は昔からお気に入りの場所でした。
しかし、去年4月、火災で焼失してしまったニュースを観て、深い悲しみを感じたのと同時に不安な、何かこの世の結界が壊れるような予感がしました(余談ですが、首里城の火災もです。)
無論、今回のコロナ禍も反映されています。フランスのコロナの状況(11/1現在)にも、なお胸を痛めています。パリはとても好きな街なので、また早く自由に歩けるように。そんな願いも込めてこのタイトルを付けています。早くまた、あちこち旅ができるといいですね。
曲は早い段階で出来ていたのですが、歌詞をプロデューサー(松任谷正隆)のリクエストで2、3回書き直し、制作期間の終盤に完成しました。ヨーロッパが喪に服しているような情景。特に〈重なる白骨を引き離すとき 砂になって崩れる〉という歌詞は究極のロマンティシズムとして気に入っています。
本当の意味でのゴシックな描写を落とし込んだ、あまり類を見ないポップスを書けたという自負がある、アルバムの中でも一、二を争うお気に入りのナンバーです。
最初に書こうとしていたのは「大晦日の歌」でした。大晦日、雪が降った後の澄み渡った空の下、ぽつねんとしているようなイメージでした。
〈白い息が消える空 明(さや)けく星の光〉という部分が気に入っています。〈明(さや)けく〉という言葉が好きで、どうしても使いたかったんです。当初、ここは出だしにあったのですが、プロデューサーと「青春のインパクトが感じられるようなフレーズで始めたいね」と相談しているうちに、〈離れる日が来るなんて〉という歌い出しが浮かんできました。
〈いつか見た映画〉という要素もプロデューサーからの提案でした。「月並みなのでは?」と思いましたが、月並みと普遍は紙一重、上手くハマりました。偶然にも「ノートルダム」の二人の結末のようにも感じ取れる物語となりました。
当初はもっとぬるい温度の歌詞を書いていたんです。でも、結局、観念的になってしまい、ほとんど新たに書き直しました。
〈私に振り向いた影が 笑っているのだけわかった〉というところがお気に入りです。本当は影だけじゃ笑っているかどうかまでは分からないはずですが、それが影だけでわかるのがいいなって。〈愛している〉も〈会いに行く〉も、世界中で歌われている表現ですが、文脈や用途でも変わってくるし、一曲一曲、全て違う。
言葉だけだと平易と思える描写も、メロディやサウンド、歌い方を伴うことで全く変わるという好例のような曲ではないでしょうか。
プロデューサーからの「ギリシア神話をメタファーにしたような詞、書けないかな?」というお達しから、サムトラケのニケを思い描きました。昨年(2019年)の全日本スキー連盟のイベントで披露したスノーエリートたちへの壮行曲です。
ちょうどシングル「深海の街」と同時期に制作していたこともあって、アレンジはジャジーなポップロックのテイストに則っています。
〈あの丘〉のイメージはオリンポスの丘。勝利の女神はいつも「おいでおいで」と手招きをするけれど、それはあくまで片道切符。あとは何の責任も負わない。アスリートでもショウビジネスでも、神に恋して、一度でも栄光を手にした者は決して引き返せない。勝利の女神との契約とは一方で悪魔の契約なのかもしれません。
昔から私のソングライティングのスタイルはメロディ先行型ですが、この曲と「REBOON 〜太陽よ止まって」は、プロデューサーが打ち込んだループのトラックからほとんど出来ています。サビの〈What to do? waa woo waa woo waa〉というコーラスもトラックのみの時点で入っていたものです。
実は、“トラックありき”という作り方が本当に出来るのかどうか、最初はかなり不安でしたが、それが出来る回路も掴み取りたかったので。
自粛期間明けのタイミングで愛用の電気自転車に乗ろうとしたら、干からびたような状態でパンクしていたので新しい一台を買いました。それも作用して、プロデューサーからの「自転車の歌にすれば?」という提案に乗りました。
自動車免許を持っていない私にとって電動自転車は重要なライフライン。
自転車って何かの思いを振り切るように漕ぐ乗り物だと思いませんか? 私はときどきそんな風に自転車を漕いだりします。主に自己嫌悪かな。
ドラマ主題歌のオファーを受けて、「ラテンの曲を作ろう」と打ち合わせで決めて、コロナ禍に入ってから制作しました。
自分のなかのラテンの引き出しは相当数ありますが、強いて言えば「マシュ・ケ・ナダ」(セルジオ・メンデス)のような温度感、イヴァン・リンスのような転調でしょうか。〈降り止まぬ 雨の中〉からのパッセージは「あの日にかえりたい」でも用いているスケール。出だしのコンガは浜口茂外也さんからのアイデアでした。
当初、このパッセージの無いバージョンを提出したら、ドラマのプロデューサーさんから「ちょっと地味かも?」という意見が返ってきたんです。松任谷共々、「なにくそ、それなら」と負けん気に火が付きました。
「知らないどうし」という言葉で関係性が成立する。思えば日本語特有の表現ですよね。ちょっとエロいのもいい。情感の表現におけるラテン音楽と日本語の親和性の強さを再認識しました。大サビの歌詞も気に入っています。
『刀剣乱舞-ON LINE-』からのリクエストは、「ゲームの音楽にとどまらない、大きく、博愛的な曲を」というものでした。この曲もどちらかと言えばヨーロッパっぽい、イギリスのフォーキーな感じですね。
歌詞もメロディも去年の秋、コロナ禍の前に書きました。過去にも、自覚的または無自覚的に、曲が予言のように機能したことがありましたが、この曲は、自分でも後になってちょっと気味が悪くなりましたね。具体的にはコロナを指していないし、そう誘導したくもないんですが、結果としては、コロナ禍を挟んでしまいました。そして、コロナが収束したとき、くぐり抜けた闇をふり返る歌です。
『刀剣乱舞-ON LINE-』を通して、刀剣の美しさにあらためて気付かされました。直接は描いていないけど、日本の精神性、文化の素晴らしさを大事にしたいという思いで作りました。この点は「散りてなお」も同じですね。
『みをつくし料理帖』は原作も、とてもいいお話で、自ら出版社を率いている角川春樹さんのセンスは流石だなあ、と感心させられました。角川さんとはお会いしていないブランクも長かったのですが、結果、ご一緒させていただけて光栄でした。
角川さんからのリクエストは「「春よ、来い」を超える一曲を」というものでした。サビのメロディが浮かんだ時、「やった! これはありそうで絶対になかったメロディだ!」と思いました。その少し後に〈散りてなお〉という言葉が浮かんで、「ああ、これで大丈夫だ」って。そして〈現し世(うつしよ)に もう無いのに 誰も消し去れはしない〉が、この歌のテーマになりました。
手嶌葵さんの声は想像していた通り素晴らしく、独特の質感でした。その特徴が最初から表れるように「さらさらと」というオノマトペを歌い出しにしています。どんな街にも川はある。そこにノスタルジーを感じてもらえたらと思います。
その真価はリスナーに届いてから決まるものだとは思いますが、自分では、「春よ、来い」を超えられたと思っています。これも新しい扉を開けてくれた、大事な一曲となりました。
このジャムセッションのようなグルーヴのラテンに、日本語の歌詞を乗せて歌うというアプローチは、なかなかやれる人が限られてくるのでは?と自画自賛したくなるほど手応えを感じています。「黒いオルフェ」と言ってピンと来てくれるリスナーには、私が目指した雰囲気を分かり易く共有してもらえるのではないでしょうか。
〈Born Born Reborn Bon Bon yah Reborn〉はラテンでよく見られるスキャットの手法です。
最初はあまり上手く歌えなかったので、徹底的にボーカルトレーニングをしました。このアルバムのボーカルは、どの曲も前作より強いはず。というか、強さを抑制できることで細やかなニュアンスを出せるような強化を心掛けました。
コロナ禍を経て「再生する」、「生まれ変わる」というイメージです。
「深海の街」よりも前に、朝の情報番組からオファーをいただいて書いた曲でした。一昨年の苗場で歌詞を書いていた覚えがあります。演奏はちょっとジャズよりなアレンジですね。
コロナ禍を経て、〈Good! Morning〉というキーワードがより強く打ち出せるよう、アルバム用に歌詞を加筆修正して、ボーカルも録り直しました。〈ベッドの底に沈んでる〉〈地球は回っている〉〈未来にいちばん近い一日が始まる〉など、このアルバムのラストにつながる大事な一曲になりました。
ひと頃、流行りのように言われた「シティポップ」の要素は私のなかにもあるのですが、そこにプラスして、より大人っぽく洗練されたA.O.R.を確信犯的にやりたかったんです。日本屈指のプレーヤーたちだと安心してそれが出来ます。
2018年にベルリンを訪れた時、現地でハードなテクノのクラブへ行く機会があったんですが、ふと、「ハードなDJがチルアウトする時間に聴く曲って、面白いかも」と思ったんです。まるで“脳内リゾート”ですね。部屋に居ながらにしてチルアウト気分やリゾート感覚が味わえるという近未来のイメージ。
まずは歌い出しのメロディとマイナーナインスのコードが浮かんで、サビの展開で、同じスケールのなかでコードがマイナーになったりメジャーになったりするというアイデアに辿り着いた時、「あ、出来た」と感じました。
ブラックコンテンポラリーのアレンジに乗せて日本語の歌詞を歌うというアプローチは、私にとって70年代後半から80年代初頭に通った道とも言えます。しかし、いま改めてトライすれば、絶対に新鮮な曲が生まれるという確信があったんです。
今年の春ごろ、この曲のタイトルをそのままアルバムタイトルにしようとプロデューサーから提案されました。これも結果としてですが、配信リリース当時とは異なる意味合いをも描き出す曲となりましたね。
(テキスト:内田正樹)