『レット・イット・ビー』スペシャル・エディション 作品解説

『レット・イット・ビー』スペシャル・エディション

作品解説-7 (11/25 UP)

映画『ゲット・バック』とデビュー60周年への期待

首を長くして待っていたファンは、世界中にどれだけいたことだろう。ザ・ビートルズの「ルーフ・トップ・コンサート」からちょうど50年後となる2019年1月30日に、映画『レット・イット・ビー』に続いてゲット・バック・セッションを題材にした新作映画が制作されると公表されてからおよそ3年。ついに本日から3日間、ディズニー・プラスで 映画『ザ・ビートルズ:Get Back』の上映が開始された。

まずは、57時間以上の未公開映像と150時間以上の未発表音源を、秀逸なドキュメンタリー作品としてまとめ上げたピーター・ジャクソン監督に敬意を表したい。そして、そもそも元となる映像と音源を残した映画『レット・イット・ビー』の監督、マイケル・リンゼイ=ホッグにも多大な感謝の意を伝えたいと思う。

映画は、先に発売された同名の公式写真集『ザ・ビートルズ:Get Back』(シンコーミュージック・エンタテイメント)と同じく、ゲット・バック・セッションを時系列で丹念に追った作品となった。しかも、映画『レット・イット・ビー』が81分だったのに対し、今回は6倍の約8時間という大作である(それでも、元の映像の7分の1というボリュームだが)。

当初伝えられていたような、ザ・ビートルズの4人が、明るく楽しく和気藹々とセッションを続けている作品になるかと思いきや、むしろ69年1月2日から31日までのセッションの過程――曲を練り上げていくときのメンバー間の意見のぶつかり合いや、テレビ特番を実現するためにライヴをどのように行なうべきかを真剣に話し合う場面などが、丹念に描かれている。それだけでなく、たとえば『レット・イット・ビー』では編集されていた「トゥ・オブ・アス」のポールとジョージの言い合う場面が、どういう流れでそうなり、その後どういうふうに進んでいったか、わかりやすく丁寧に伝えられている。

さらに言えば、『レット・イット・ビー』ではいっさい触れられなかったジョージの脱退前後の場面もきちんと盛り込んである。それを観ると、ジョージの脱退もやむなし、と思わざるを得ない。ジョージが抜けた後の昼食時にマイケル・リンゼイ=ホッグが隠し録りした会話の音声まで使われているなど、ゲット・バック・セッションの実態を、生々しいやりとりをまじえながら緻密な構成によってまとめた作品、それが『ザ・ビートルズ:Get Back』である。

とはいえ、前半(1月2日から16日)のトゥイッケナム・フィルム・スタジオでのセッションが、『レット・イット・ビー』と同じく暗くて陰鬱な印象が強いかというと、必ずしもそうではない。ビートルズ流としか言いようのない“お笑い感覚”が、随所に盛り込まれている。とりわけ、ジョンのぶっ飛んだ言葉遊びをはじめ、自虐や皮肉や諧謔をまぜこぜにした独自のユーモア感覚が、ちょっとした息抜きでもあるかのように挿入されているのだ。それが何より素晴らしい。かなりの“ビートルズ オタク”だと見受けられるピーター・ジャクソンは、さすがにビートルズの本質をわかっている。

後半(1月20日から31日)のアップル・スタジオに移ってからのセッションでは、ビリー・プレストンも加わり、曲を集中して仕上げていく様子が詳細に映像化されている。そして、冒頭で触れた30日の屋上での“フル・パフォーマンス”の完全版の登場へと至るわけだ。その場面は27日のお楽しみとして、全体的に言えるのは、「スタジオで4人が素晴らしい音楽を作っている現場に居合わせるような体験」(ピーター・ジャクソン)ができる、「リアルなビートルズ・ストーリー」が初めて描かれた歴史的な作品である、ということだ。見逃す手はない。

ところで、来年の2022年は、ビートルズ結成60年という記念の年になる。ビートルズには、毎年なんらかの記念があるが、2022年は中でも特別な年と言っていいだろう。

80年代にこんなことがあった。イギリスでのオリジナル・シングル「ラヴ・ミー・ドゥ」から「レット・イット・ビー」までの22枚を、発売日の20年後にあたる82年10月5日から90年3月6日にかけて、“IT WAS 20 YEARS AGO TODAY”と題した息の長いキャンペーンとして順に発売していったのだ。2022年から30年にかけて、““IT WAS 60 YEARS AGO TODAY”と題して、同じようなことを今回もやってくれないだろうか。

これは一つの願いに留めるとして、より実現性が高いのは、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(2017年)、『ザ・ビートルズ』(18年)、『アビイ・ロード』(19年)、そして『レット・イット・ビー』(21年)と続いてきたアーカイヴ・シリーズの続編である。これも年代に即して――その場合は2023年からになってしまうが、『プリーズ・プリーズ・ミー』から『リボルバー』までの7作品を、2023年から26年にかけて順に発売していってほしい。『ラバー・ソウル』と『リボルバー』が先に登場しそうな気配もあるが、いずれにしても、2022年は、『レット・イット・ビー』で終着点に辿り着いたビートルズの、新たな門出がまた始まる年になりそうだ。

作品解説-6 (11/18 UP)

Re-Mix盤の聴き所 #4「楽曲解説:Disc-4,5」

『レット・イット・ビー』のスペシャル・エディションの聴きどころを中心にこれまで紹介してきたが、今回はディスク4と5についてまとめてみる。

ディスク4には、幻のアルバム『ゲット・バック』が丸ごと収録され、ジャケットのデザインも含めてついに公に発売されるという、ファンにとっては「待望の」と言ってもいい内容となった。

作品解説の2回目にも触れたが、『ゲット・バック』は『レット・イット・ビー』の元になったアルバムだった。69年1月のゲット・バック・セッションでサウンド・プロデューサーをつとめたエンジニアのグリン・ジョンズが69年5月と70年1月の2度にわたってアルバムとしてまとめたものの、ビートルズ(特にジョンとポール)に却下されたといういわくつきのアルバムでもあった。

その後、70年の3月から4月にかけて、代わりに登場したフィル・スペクターがそれらの音源を元に、新たにオーケストラやコーラスなどを加え、曲も一部変更してまとめた。それがビートルズの最後のスタジオ・アルバム『レット・イット・ビー』として同年5月に発売されたという流れだ。

ちなみに、グリン・ジョンズが2度目に手を付けた「70年版」は、映画『レット・イット・ビー』の内容に合わせて改変されたもので、「69年版」に収録されていたポールの「テディ・ボーイ」の代わりに、映画に登場する「アクロス・ザ・ユニバース」と「アイ・ミー・マイン」の2曲が追加されるという内容の変更があった。フィル・スペクターが手掛けた『レット・イット・ビー』も、その「70年版」に添った曲目での収録となっている。

今回、ディスク4に収録された『ゲット・バック』は「69年版」に則った内容(曲目)だが、音源に関しては「70年版」のものも一部使われている。「70年版」収録の「アクロス・ザ・ユニバース」と「アイ・ミー・マイン」は、今回、4曲入りの「EP形式」となったディスク5に収められている。

では、ディスク4『ゲット・バック LP – 1969 グリン・ジョンズ・ミックス』と、ディスク『レット・イット・ビー EP』の聴きどころを、トラックごとに紹介する。

CD4 ゲット・バック LP – 1969 グリン・ジョンズ・ミックス

1.ワン・アフター・909
『レット・イット・ビー』収録テイクと同じく69年1月30日のアップル・ビル屋上での演奏だが、出だしにビリー・プレストンのエレキ・ピアノの音が入ったり、ジョンとポールのヴォーカルが左右に分かれて聞こえたりするなど、臨場感(ライヴ感)はこちらのほうが上。「オーディションに受かってるといいんだけど」という屋上でのジョンの締めの言葉(ジョーク)がこの曲の最後に出てくるのが独特。

2.メドレー:アイム・レディ(aka ロッカー)/セイヴ・ザ・ラスト・ダンス・フォー・ミー/ドント・レット・ミー・ダウン
ゲット・バック・セッションでは、肩慣らしや気分転換を兼ねて、昔馴染みのロックンロールやR&B、いわゆるスタンダード・ポップスなどが(いきなり)即興で飛び出してくることが多々あるが、これはその雰囲気がよく伝わるテイクだ。
1月22日にビリー・プレストンが参加した日の演奏で、ポールがファッツ・ドミノの「アイム・レディ」とドリフターズの名曲「ラストダンスは私に」を歌ったのに続き、そのまま「ドント・レット・ミー・ダウン」へとなだれ込む。ノリのいい演奏で、これを聴くと、ビリーの参加で4人のやる気に火が点いたのがよくわかる。

3.ドント・レット・ミー・ダウン
同じく1月22日の演奏で、セッションの和気藹々とした雰囲気が伝わってくる。ビートルズ側が当初意図していた『ゲット・バック』の精神(のようなもの)の象徴的な曲のひとつと言えるかもしれない。

4.ディグ・ア・ポニー
曲が始まる前に会話がふんだんに入っているのも『ゲット・バック』ならではの聴きどころだが、前の「ドント・レット・ミー・ダウン」から次の「アイヴ・ガッタ・フィーリング」までは1月22日の演奏で、ゲット・バック・セッションでの“一発録りによる生々しさ”を伝える好例でもある。

5.アイヴ・ガッタ・フィーリング
当初、「ディグ・ア・ポニー」と「アイヴ・ガッタ・フィーリング」は、間を置かずに続けて演奏するイメージでいたことが前曲でのジョンの発言でわかる。ただし、その2曲とも、演奏の良さは30日の屋上での演奏のほうが圧倒的に良く、そのあたりが『ゲット・バック』がお蔵入りした原因になったのかもしれない。

6.ゲット・バック
1月27日と28日に演奏されたテイクを(最後のブレイク前後に)つないだシングル・ヴァージョンと同じ演奏。

7.フォー・ユー・ブルー
『ゲット・バック』のLPのB面1曲目には、もともとジョージのこのブルースが収録されていた。これも「ゲット・バック」と同じくオフィシャル・ヴァージョンと演奏は同じ1月25日のテイクだが、70年1月8日にジョージがヴォーカルと間奏のアドリヴ・ヴォーカル(しゃべり)を録り直したため、「69年版」と「70年版」では一部異なっている。

8.テディ・ボーイ
『ゲット・バック』の「70年版」制作の際に、ポールが録音中だった最初のソロ・アルバム『マッカートニー』にこの曲を収録する予定があったため、「69年版」だけに収録された曲。『アンソロジー 3』には1月24日と28日の演奏がひとつに編集されたヴァージョンになっていたが、こちらは24日だけのテイク。合いの手で入るジョンのアドリヴ・ヴォーカルがいい味。

9.トゥ・オブ・アス
「テディ・ボーイ」に続いてすぐに始まる、同じく1月24日の演奏。これも「レット・イット・ビー」に収録された31日のテイクに比べると、全体的に“リハーサル感”はぬぐえないが、それもまた『ゲット・バック』の魅力ではある。

10.マギー・メイ
同じく1月24日の演奏で、『レット・イット・ビー』収録ヴァージョンと演奏は同じだが、エンディングはフェイドアウトする。

11.ディグ・イット
『レット・イット・ビー』には「レット・イット・ビー」の導入部として50秒しか収録されていなかったが、こちらは4分を超える長尺版での収録となった(といっても元の10分を超える演奏を短く編集)。映画『レット・イット・ビー』ではこれと同じく長い演奏場面が観られたが、映画『ザ・ビートルズ:Get Back』ではどうなっているのだろうか。1月24日の演奏に、26日の「キャン・ユー・ディグ・イット?」演奏後のジョンのコメントを編集して収録。

12.レット・イット・ビー
ゲット・バック・セッションの最終日となった1月31日の“生演奏”を収録したものだが、間奏のジョージのリード・ギターは4月30日にダビングされたもの(シングル・ヴァージョンと同じ)が使われている。『ゲット・バック』、シングル、『レット・イット・ビー』、そして『レット・イット・ビー...ネイキッド』と、表情の異なる4ヴァージョンがこれで楽しめることになった。

13.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
『レット・イット・ビー』用にフィル・スペクターが加えたオーケストラや女性コーラスのない、生々しい――というよりも瑞々しいテイクで、「レット・イット・ビー」と同じく飾り気のない4人(+ビリー・プレストン)の味わい深い演奏が存分に堪能できる。映画『レット・イット・ビー』に登場する1月31日の演奏もいいが、こちらは26日の収録。

14.ゲット・バック(リプライズ)
アルバム『ゲット・バック』の最後に、「ゲット・バック」のシングル・ヴァージョンのエンディングのコーダを持ってきたのは、グリン・ジョンズならではの抜群のセンス。しかも、シングル・ヴァージョンや映画『レット・イット・ビー』よりも長く楽しめるというのがいい。

以上、全14曲を通してみてみると、ほぼ日にち順に曲が並んでいる。『ゲット・バック』の「70年版」は、映画『レット・イット・ビー』のサウンドトラック的役割を果たしていたということが改めてわかる。

CD5 レット・イット・ビー EP

1.アクロス・ザ・ユニバース(未発表 グリン・ジョンズ 1970ミックス)
『ゲット・バック』の「70年版」に収録されたテイクだが、新たに録り直されることはなく、68年2月のシングル「レディ・マドンナ」のセッションの際にレコーディングされた音源に手が加えられた。「アクロス・ザ・ユニバース」も、チャリティ・アルバム(『パスト・マスターズ』にも)収録の“バード・ヴァージョン”、『レット・イット・ビー』『レット・イット・ビー...ネイキッド』、そして今回ディスク1に収録されたリミックス・ヴァージョンと、テンポもキーもサウンドも異なるテイクが数多く残された。冒頭にジョンからリンゴへの呼びかけが入っているのは、ライヴ感を出すためだろう。

2.アイ・ミー・マイン(未発表 グリン・ジョンズ 1970ミックス)
こちらはジョンが脱退を内輪で表明した後、70年1月3日に“スリートルズ”(ジョージ、ポール、リンゴ)でレコーディングされた、ビートルズとしての最後のオフィシャル録音曲。冒頭にジョージからリンゴへの呼びかけが入っているのは、「アクロス・ザ・ユニバース」を受けての、グリン・ジョンズによる気の利いた編集だ。オリジナルはサビを繰り返さず、2分に満たない短い演奏だった。

3.ドント・レット・ミー・ダウン(オリジナル・シングル・ヴァージョン ニュー・ミックス)
シングル・ヴァージョンだが、今回は、冒頭に1月28日のレコーディング前の会話――「違うのをやろう」というポールの呼びかけにジョンが応えるやりとりが追加された新たなヴァージョンとなった。冒頭のジョンのヴォーカルからして、力強さや艶やかさはこれまでに聴いたことがないくらい生々しい。素晴らしいテイクだ。

4.レット・イット・ビー(オリジナル・シングル・ヴァージョン ニュー・ミックス)
「ドント・レット・ミー・ダウン」と同じく今回新たにミックスし直されたシングル・ヴァージョン。全体を包み込むようなサウンドの広がりが耳に新鮮。フィル・スペクターによる『レット・イット・ビー』収録テイクに比べると、70年1月4日にリンダも参加してレコーディングされたコーラスなどがより鮮明に聞こえる。

『レット・イット・ビー』の「スーパー・デラックス・エディション」には、5枚のディスクに加えてもう1枚ブルーレイ・ディスクも収録されている。内容は、ディスク1の「オリジナル・アルバム ニュー・ステレオ・ミックス」のハイレゾ(96kHz/24-bit)、5.1サラウンドDTS、ドルビー・アトモス・ミックスによる高音質の音源が収められている。

また、100ページに及ぶ豪華ブックレットには、関係者――ポール・マッカートニーの序文、ジャイルズ・マーティンのイントロダクション、グリン・ジョンズの回想記、ケヴィン・ハウレットの解説、映画の公式写真集『ザ・ビートルズ:Get Back』にも原稿を寄せたジョン・ハリスのエッセイが掲載されている。
イーサン・A・ラッセルとリンダ・イーストマンによる珍しい写真も満載だが、それだけでなく、手書きの歌詞やセッションのメモ、スケッチ、手紙、テープ・ボックスなど、マニアにはたまらない数々の写真も掲載されている。

作品解説-5 (11/11 UP)

Re-Mix盤の聴き所 #3「楽曲解説:Disc 3」

『レット・イット・ビー』スペシャル・エディションのディスク2は、アルバム『レット・イット・ビー』収録曲を元にした選曲になっていたが、今回紹介するディスク3は、その後『アビイ・ロード』に収録されることになる曲や、ソロ以降に発表された曲など、原則として『レット・イット・ビー』収録曲以外に焦点を当てた構成となった。
以下、『ゲット・バック – リハーサル・アンド・アップル・ジャムズ』と付けられたディスク3の聴きどころを、トラックごとに紹介する。

CD3 ゲット・バック – リハーサル・アンド・アップル・ジャムズ

1.オン・ザ・デイ・シフト・ナウ(スピーチ – モノ)/オール・シングス・マスト・パス(リハーサル – モノ)
まず1月2日のセッション開始時、スタジオに到着したジョージとリンゴが新年のあいさつを交わす場面が登場(『レット・イット・ビー...ネイキッド』のボーナス・ディスク〈フライ・オン・ザ・ウォール〉にも収録)。続いて翌3日にジョージが持ち寄った新曲「オール・シングス・マスト・パス」を4人で披露。ジョージの名盤『オール・シングス・マスト・パス』(70年)のタイトル曲となったが、ジョンが合いの手を入れる場面などを耳にすると、もしビートルズで仕上げていたらどうなっていたかと想像は膨らむ。

2.コンセントレイト・オン・ザ・サウンド(モノ)
1月6日、ライヴ会場についてやりとりをしている時に、話を向けられたジョンが即興で披露した曲で、ジョンは軽いノリで、「大きい会場より小さい会場のほうがいい。サウンドに集中すべきだ」と歌っている。これも〈フライ・オン・ザ・ウォール〉に収録されていた。

3.ギミ・サム・トゥルース(リハーサル – モノ)
1月7日に「アクロス・ザ・ユニバース」を演奏中にジョンが演奏した曲。ゲット・バック・セッションでは何度か披露され、ジョージもヨーコも気に入っていたが、ジョンは完成していないという理由で、この曲をそれ以上は掘り下げることはなかった。その後、“完成形”は『イマジン』(71年)に収録され、ジョージが、リード・スライド・ギターともいえる印象的なフレーズを弾いている。

4.アイ・ミー・マイン(リハーサル – モノ)
新曲を書いたと言って1月8日にジョージがリンゴの前で披露したものの、ゲット・バック・セッションではその日にしか演奏されずに終わった曲。「ロックンロール・バンドにこんな曲をやらせるのか」とジョンがこの曲を毛嫌いしていたのが理由のひとつだった。この曲に合わせてジョンがヨーコとワルツを踊った場面は映画『レット・イット・ビー』にも登場したが、取りようによっては“演奏拒否”ともいえそうだ。70年1月にジョンを除く3人で正式に録音したのは、映画『レット・イット・ビー』で使われたからに他ならない。

5.シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー(リハーサル)
ここからはアップル・スタジオに場所を移してからの演奏が聴ける。以下4曲は、『アビイ・ロード』に収録された曲。ポールが書いた「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー」は、ここではブルース色の強い――つまりはゲット・バック・セッションの主旨に合った、ゆったりとしたアレンジで演奏されている。ジョンの合いの手もいい味わいだ。1月21日収録。

6.ポリシーン・パン(リハーサル – モノ)
こちらはジョンの曲。ゲット・バック・セッションでは、1月24日に「トゥ・オブ・アス」のセッションの合間に、ジョンがアコースティック・ギターの弾き語りで一度披露したただけだった。『アビイ・ロード』収録テイクと同じくジョンはリヴァプール訛りで歌い、ポールが合いの手を入れている。

7.オクトパス・ガーデン(リハーサル – モノ)
続いてリンゴが書いた曲。1月26日にリンゴがジョージの前でピアノで披露した際にはまだ曲が出来立てで、ジョージが曲の展開を一緒に考えている様子も聴ける。ジョンとヨーコがスタジオにやってきて「何をやればいいか」とリンゴに尋ねて「ドラムを」と言われた時に「ドラムはポールがやりたいんじゃないか」と返す場面も出てくる。

8.オー!ダーリン(ジャム)
『アビイ・ロード』に収録された4曲目は、ジョンが自分で歌いたがった50年代のロッカ・バラード調のポールの曲。この1月27日のテイクは『アンソロジー 3』にも収録されていたが、ジョンのハーモニーや後半のブレイク後のセリフ――「僕は今朝、ついに自由になった…」をポールはよほど気に入っていたのだろう。この曲がもし『レット・イット・ビー』に収録されていたら、「シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー」と同じく、全く別の表情を見せた曲に仕上がっていたのは間違いない。

9.ゲット・バック(テイク8)
1月27日に集中的に演奏された「ゲット・バック」には、オフィシャル(シングル)・テイクに負けず劣らず力のこもった演奏が多い。このテイク8もしかり。ぱっと聴いただけだとオフィシャル・テイクとの違いはあまりわからないが、特に後半のポールの歌いまわしやアドリブ・ヴォーカルなどが異なるので「なるほど」となる。「ちょっと(テンポが)遅いかも」というジョージ・マーティンの声が最後に入っている。

10.ザ・ウォーク(ジャム)
1月27日の最後に「アイヴ・ガッタ・フィーリング」を取り上げた際に、合間にポールが歌ったジミー・マクラクランの58年のヒット曲のカヴァー。テープが回されていなかったのか、途中からの収録だが、ポール&リンダの『ラム』収録の「3本足」の原曲ともいわれた、緩やかだか真の太いファンキーなブルースが楽しめる。

11.ウィズアウト・ア・ソング(ジャム)– ビリー・プレストン・ウィズ・ジョン・アンド・リンゴ
ビリー・プレストンの参加がビートルズをいかに活性化させたかは、1月28日に収録されたこのゴスペル調の「ウィズアウト・ア・ソング」のように、ビリーにソロ・ヴォーカルを取らせる場面が多いことでもわかる。29年にヴィンセント・ユーマンスが書いたスタンダード曲で、ビング・クロスビーやフランク・シナトラのカヴァーでも知られる。ビリーは、71年のソロ・アルバム『シンプル・ソング』にこの曲を収録した。

12.サムシング(リハーサル – モノ)
『アビイ・ロード』収録曲の中でも屈指の名曲「サムシング」も、1月28日のセッションで初披露された。この時点では歌詞が未完成で、ジョージが「僕を引き寄せるもの」は何かをポールに相談。ジョンが「カリフラワーでもかまわない」といかにもなアイデアを出すやりとりがここで聴ける。ジョンの合いの手がこの曲でもいい味わいである。

13.レット・イット・ビー(テイク28)
1月31日の最終日に演奏されたテイク。今回テイク28という位置づけになったが、一つ前のテイク27はシングルとアルバムに使われ、テイク28は映画『レット・イット・ビー』に使われた(『レット・イット・ビー...ネイキッド』は両者を使用)。後半の歌詞“There will be an answer”が“There will be no sorrow”と歌われているのは、ポールが最後の最後まで歌詞をどうしようか粘っていたからに違いない。

ディスク3の13曲を通してみてみると、1月2日から31日まで1か月に及ぶゲット・バック・セッションの流れが時系列で収められていることがわかる。

作品解説-4 (11/04 UP)

Re-Mix盤の聴き所 #2「楽曲解説:Disc 2」

69年1年の“ゲット・バック・セッション”は、もともと新曲を完成してライヴでお披露目し、それをテレビ特番として公開する、という目的で開始されたものだった。その1か月間にザ・ビートルズの4人は、新曲だけでなく、過去のビートルズ・ナンバーや、ジョンとポールが10代に書いた曲も数多く演奏。それだけでなく、50年代のロックンロールや40年代以前の曲を、セッションの合間に“息抜き”も兼ねて250曲以上演奏した。

中には、ほんの一節だけギターで爪弾いたり、鼻歌交じりに歌ったものもたくさん含まれてはいるものの、4人がいかに音楽通であり、興味の幅が最新のヒット曲にまで及んでいたかがわかる貴重なセッションともなった。

残された150時間以上の音源を元にアルバム『ゲット・バック』(『レット・イット・ビー』スペシャル・エディションのディスク4に収録)が生み出され、それがビートルズの最後のアルバム『レット・イット・ビー』としてまとめられた。同じく残された57時間に及ぶ映像と150時間以上の音源を元に映画『レット・イット・ビー』(70年)が制作・公開され、まもなく6時間の大作映画『ザ・ビートルズ:Get Back』が公開される、ということになる。

『レット・イット・ビー』スペシャル・エディションのディスク2と3には、“ゲット・バック・セッション”で演奏された音源の中から、珍しいテイクが収められた。いずれも初めて公表されるものばかりだ。今回は、『ゲット・バック - アップル・セッションズ』と付けられたディスク2を、トラックごとに紹介する。

ディスク2は、いわばアルバム『レット・イット・ビー』収録曲の“別テイク”が楽しめる曲を収めた構成となった。

1.モーニング・カメラ(スピーチ - モノ) / トゥ・オブ・アス(テイク4)
まず、1月22日のリンゴのスタジオ到着時の挨拶から始まり、24日に収録された「トゥ・オブ・アス」(テイク4)へ。1月前半のトゥイッケナム・フィルム・スタジオでの演奏では、よりロック色の強い、エレキ主体のテンポの速いアレンジだったが、ここではエレキをやめてアコースティック・ギターに持ち替え、ベースの音はジョージがギターで出すという、フォーク調のアレンジへと変わった。

2.マギー・メイ / ファンシー・マイ・チャンシズ・ウィズ・ユー(モノ)
「トゥ・オブ・アス」に続けて同じく1月24日に演奏された「マギー・メイ」は、『レット・イット・ビー』収録テイクとは別演奏。こちらのほうが軽めで明るく、粘りっけはない。そのまま同じテンポと雰囲気のまま登場するのは、ジョンとポールが10代の時に書いた未発表曲「ファンシー・マイ・チャンシズ・ウィズ・ユー」。こういう未発表曲がいきなりさりげなく出てくるあたりも、ゲット・バック・セッションの大きな魅力だ。
リヴァプールの娼婦にまつわる伝承曲「マギー・メイ」と同じくスキッフル調の曲だが、同じタイプの曲(しかも自作曲)を即座に引っ張り出してくるジョンとポールの感覚と相性の良さが現れた曲でもある。ちなみに、“fancy me”と歌っているのに、曲名は“Fancy My”になっている。著作権登録の際にこうしたのかもしれない。

3.キャン・ユー・ディグ・イット
同じく1月24日の演奏曲。『レット・イット・ビー』に収録された「ディグ・イット」の変奏曲の趣があり、リズム展開が「ディグ・イット」の3拍子から4拍子へと異なり、ファンキーな色合いも増した。そのどちらもジョンのアドリブ・ヴォーカルが冴えわたる、ゲット・バック・セッションを象徴する1曲とも言えるかもしれない。セッション途中でスライド・ギターに興味を覚えたジョンが、やたらと使用し始めた時に生まれた曲でもある。エンディングには『レット・イット・ビー』収録の「ディグ・イット」のエンディングにフィル・スペクターが「レット・イット・ビー」の“曲紹介”として挟み込んだ“That was‘Can You Dig It’…”のフレーズがジョンの口から飛び出す。

4.アイ・ドント・ノウ・ホワイ・アイム・モーニング(スピーチ - モノ)
“ゲット・バック・セッション”のプロジェクトがポールの望んだ「彼の曲」ではなく「みんなの曲」になったことや、これまでは無計画だったからうまくいっていたことをジョンとジョージがそれぞれ語るなど、具体的に話が進まない状況について“真面目なやりとり”を交わす4人の様子をとらえた1月25日の会話を収録。

5.フォー・ユー・ブルー(テイク4)(ゲット・バック - アップル・セッションズ)
「フォー・ユー・ブルー」は、1月25日に収録されたこのテイク4も、他のどのテイクも、アレンジ自体には大きな変化はない。ポールのピアノの音色とジョンのスティール・ギターの音色が曲のいいアクセントになっている。むしろ、ジョンとポールをやる気にさせたジョージの曲、という点が重要だ。

6.レット・イット・ビー / プリーズ・プリーズ・ミー / レット・イット・ビー(テイク10)
1月25日に収録された「レット・イット・ビー」は、まだ緩やかな演奏。冒頭で曲の全体の構成をジョージがポールに尋ねたのに続き、ポールがピアノでアドリブで「プリーズ・プリーズ・ミー」を披露。初期のレノン=マッカートニーのヒット曲が適度に挟まるのが面白くもあるが、「シー・ラヴズ・ユー」と「抱きしめたい」はなぜか65年以降、登場する機会が(ポールのソロ・ライヴも含めて)まったくといってほどない。続いてポールが26日に今度はきちんと「レット・イット・ビー」を披露するが、すでにアレンジもテンポも含めてわりと作りこまれているのがわかる。ビリー・プレストンのオルガンのソフトな音色が新鮮だ。「レット・イット・ビー」には、間奏のジョージのギターがどんなフレーズを弾くのか、その違いを聴く楽しみもある。

7.アイヴ・ガッタ・フィーリング(テイク10)
この曲のように、エレキ・ギター主体のハードなロック・ナンバーはライヴ(生収録)映えすることがわかる。ただし、1月30日の屋上での演奏が完璧なので、アップル・スタジオでのテイクは、屋上での“本番”に向けての過程を収めた演奏のように結果的に思えてしまうのもたしか。逆に言えば、屋上でよくあそこまでの熱演ができたと思う。1月27日の演奏。

8.ディグ・ア・ポニー(テイク14)
1月28日に収録された「ディグ・ア・ポニー」も、「アイヴ・ガッタ・フィーリング」と同じく1月30日の屋上での演奏が抜群だが、ここでは、トゥイッケナム・フィルム・スタジオでは手こずっていたアレンジもすっかり解消され、バンドとしてのまとまりの良いサウンドへと変貌している。この曲や「ドント・レット・ミー・ダウン」は、ジョンのヴォーカルがどこまで力強く響きわたるかが要である、ということがわかる。

9.ゲット・バック(テイク19)
1月28日に演奏された「ゲット・バック」のテイク19は、(他と同じように)ジョージのカウントで始まる。前の2曲に比べると、1月27日と28日にセッションで取り上げられた「ゲット・バック」は、完奏されていないものも含めて、力のこもったテイクが多い。セッション自体のテーマ曲的存在になったということもあり、4人が最も乗りやすく、手ごたえを感じていた1曲だったのだと思う。そしてこのテイクでは、エンディングのブレイク後の演奏も素晴らしく、グリン・ジョンズはその箇所を27日の演奏別テイクと編集で合わせてシングル・ヴァージョンの元とした。もちろんここでは映画『レット・イット・ビー』のエンディングに登場する演奏以上にポールのアドリブ・ヴォーカルが楽しめる。

10.ライク・メイキング・アン・アルバム(スピーチ)
アップル・ビル屋上でのライヴの日が迫ってきた1月28日の会話を収録。「今週の木曜日(30日)に半分レコーディングし、残りの半分は映画用に同じ場所でやるか?」とジョンが他の3人に提案したりしている。

11.ワン・アフター・909(テイク3)
「ワン・アフター・909」も屋上で披露された素晴らしいテイクがあるが、その前日の1月29日に収録されたこのテイク3も、屋上での演奏に匹敵するグルーヴ感ある見事な仕上がりとなっている。エレピではなくピアノを弾くビリー・プレストンのノリを含め、シャッフル感のあるややゆったりした演奏が刺激的だ。

12.ドント・レット・ミー・ダウン(ファースト・ルーフトップ・パフォーマンス)
1月30日に屋上で披露された最初の「ドント・レット・ミー・ダウン」を収録。3番の歌詞を思いっきり間違えたジョンらしい(?)テイクでもあるが、全体的に、本気を出した時のジョンのヴォーカルの凄さを堪能できる最高のテイクだ。オフィシャルにはないジョージのハーモニー・ヴォーカルがいい味。

13.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード(テイク19)
“ゲット・バック・セッション”の最終日となった1月31日に収録された、屋上向きではない3曲のうちのひとつ。このテイク19は、映画『レット・イット・ビー』にも登場するポールのイメージ通りの演奏で、間奏のポールのハミングに思わずぞくっとさせられる。これを聴くと、『ゲット・バック』や『レット・イット・ビー』にはこのテイクを選んでもよかったのではないかと思う。

14.ウェイク・アップ・リトル・スージー / アイ・ミー・マイン(テイク11)
最後は、ついに登場した70年1月3日収録の“スリートルズ”(ジョージ、ポール、リンゴ)による「アイ・ミー・マイン」の別テイク(テイク11)。エヴァリー・ブラザーズの「ウェイク・アップ・リトル・スージー」のさわりをポールが披露したのに続き、ほぼインストでの収録となったが、ジョンの脱退宣言後にスタジオに顔を揃えた3人の和気藹々とした雰囲気が感じ取れる。特に、リンゴのドラムのうまさに耳を奪われる。曲の終了後にテイク15開始前のジョージのコメントが追加されている。この部分は『アンソロジー 3』にも収録されていたが、ジョージの発言に思わず笑い声をあげるリンゴとポールに続いて、「ドジーに賛同だ」というポールの声も聞き取れる。

作品解説-3 (10/28 UP)

Re-Mix盤の聴き所 #1「楽曲解説:Disc 1」

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、『ザ・ビートルズ』、『アビイ・ロード』と2017年から2019年にかけて発売されたザ・ビートルズの“発売50周年記念シリーズ”。その流れを受け、“世界的パンデミック”の影響で1年遅れで登場したのが『レット・イット・ビー』のスペシャル・エディションだった。

今回も下記6形態での発売となった。
①スペシャル・エディション[スーパー・デラックス](5CD + 1ブルーレイ収録)
②スペシャル・エディション[2CDデラックス]
③スペシャル・エディション[1CD]
④スペシャル・エディション[LPスーパー・デラックス/直輸入仕様/完全生産限定盤]
⑤スペシャル・エディション[1LP/直輸入仕様/完全生産限定盤]
⑥スペシャル・エディション[1LPピクチャー・ディスク/直輸入仕様/完全生産限定盤=THE BEATLES STORE JAPAN限定商品]

記念盤が発売されるたびに、ファン(マニア)が大きな関心を寄せるのは、「どんなふうに音が変わっているのか?」と「どんな未発表音源が入っているのか?」だろう。
アルバム『レット・イット・ビー』は、プロデューサーのジャイルズ・マーティン(ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティンの息子)とエンジニアのサム・オケルが、“ステレオ、5.1サラウンドDTS、Dolby Atmos”で新たにミックス作業を行なった(クレジットはプロデュースとミックスがジャイルズで、サムがエンジニアとミックス)。
ただし、今回の“ニュー・ミックス”に関しては、以前とは状況が違う。ジョージ・マーティンではなく、フィル・スペクターが「リプロデュース」したアルバムに、ジャイルズとサムが手を付けることになったからだ。

ジャイルズは、今回の作業に向かう姿勢について、スペシャル・エディションのライナーでこんなふうに語っている。

「議論を呼んだプロデューサー、フィル・スペクターの起用は、それ以前のザ・ビートルズとはまったく異なるサウンドのアルバムを生み出す結果となりました。たしかに彼のアプローチは、わたしの父が他のアルバムに施したアレンジの繊細さを欠いていたかもしれません。それでも彼は時代を超えた独自のサウンドをつくり出していますし、それはこの新しいミックスでも、尊重しなければなりませんでした。」(翻訳=奥田祐士氏)

さて、ではジャイルズとサムの二人は『レット・イット・ビー』をどんなふうに生まれ変わらせたのか。①のスペシャル・エディションの聴きどころを、今回から紹介していくことにする。まずはディスク1、『レット・イット・ビー』 ニュー・ステレオ・ミックスから――。

全体的に言えるのはヴォーカルが前面に出て耳に届きやすくなったことと、それぞれの楽器が独立して聞こえるような――つまりは4人(+ビリー・プレストン)の存在感が増した、ということだ。以下、収録曲ごとに、際立った点についてまとめてみる。

1.トゥ・オブ・アス / Two Of Us
一緒に歌うジョンとポールの“声の調和”が明快になり、特にジョンのヴォーカルがより分離した印象となった。ポールのギターのストロークは指の動きがみえるほどだし、のリンゴのバスドラムのキックも、足を踏みしめている様子が伝わるほど明瞭である。

2.ディグ・ア・ポニー / Dig A Pony
特にこの曲のニュー・ミックスに関しては、『レット・イット・ビー…ネイキッド』と比べると、違いがわかりやすい。ジョンとジョージによるエレキ・ギターが、『ネイキッド』では音圧高めの轟音で、とんがった響きになっていた。だが今回は、ギターは抑え目で、バンド・サウンドを重視した、5人による音の調和が楽しめる仕上がりである。フィル・スペクターが最初と最後のヴォーカルをカットしたが、今回はその繋ぎが以前よりもわかりやすくなった。

3.アクロス・ザ・ユニバース / Across The Universe
収録曲の中で最も変貌の激しい1曲。ジョンのアコースティック・ギターが艶やかな響きとなり、ヴォーカルも、エコー感を含めてより幻想的に伝わってくる。何よりストリングスが全体を包みこむように全体的に広がったことで、曲の印象が大きく変わった。

4.アイ・ミー・マイン / I Me Mine
イントロのアコースティック・ギターとエレキ・ギターが左右に分離したことで、音の塊として迫ってくる従来のヘヴィ・ロック調のサウンドが和らいだ印象となった。フィル・スペクターによるストリングスも同じく分離度が増し、「アクロス・ザ・ユニバース」と同じく“ウォール・オブ・サウンド”を特長とする“スペクター色”が薄まっている。

5.ディグ・イット / Dig It
大きな違いは感じないものの、やはりジョンのヴォーカルも各楽器も開放感のある音になった。

6.レット・イット・ビー / Let It Be
「トゥ・オブ・アス」などと同じように、出だしの一音(ここではピアノ)からまっすぐ耳に届くようになり、ポールのヴォーカルもこれまで以上に強く、大きくなった印象である。ジョージ・マーティンが手掛けたストリングスやブラスも、さらに味わいが増した。

7.マギー・メイ / Maggie Mae
この曲は「トゥ・オブ・アス」のジョンとポールのヴォーカルと同じく、二人の立ち位置が見えるようで、二人で風変わりな声を出す面白さがより伝わる仕上がりとなった。

8.アイヴ・ガッタ・フィーリング / I've Got A Feeling
アップル・ビルの屋上でのライヴ音源に関しては、これも「ディグ・ア・ポ二ー」と同じく“重厚から明瞭へ”といった音の変化があり、ギターは抑え目になった。リンゴのドラムとビリー・プレストンのエレキピアノが前面に出て、ポールのベースはやや引っ込んだ印象だ。

9.ワン・アフター・909 / One After 909
この曲も屋上でのライヴ音源。同じくバンド・サウンドが強調され、臨場感たっぷりのサウンドが楽しめる。

10.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード / The Long And Winding Road
フィル・スペクターの仰々しいストリングスや女性コーラスが控えめになり、「レット・イット・ビー」と同じくポールのピアノがよりクリアになった。リンゴのドラムも煌めくような音色で、ポールが嫌う壮大な雰囲気が大幅に減少。エンディングのハープはポールの希望でジャイルズは小さめにミックスしたと語っている。

11.フォー・ユー・ブルー / For You Blue
メリハリの利いたサウンドへと変貌し、特にポールのピアノも弦の張った音がくっきりとなった。冒頭のジョンのセリフからして、従来よりも大きめに聞こえる。

12.ゲット・バック / Get Back
重厚さは変わらず、特にポールのヴォーカルやジョンとジョージのギターがクリアな音へと変化した。

こうしてみてみると、今回のニュー・ミックスは、フィル・スペクターがストリングスなどを加えた「アクロス・ザ・ユニバース」「アイ・ミー・マイン」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」の3曲の、より曲に溶け込んだサウンドの変化と、アップル・ビル屋上で演奏された「ディグ・ア・ポニー」「アイヴ・ガッタ・フィーリング」「ワン・アフター・909」の3曲のバンド感の増大、という2点が、際立った特徴と言えるかもしれない。

作品解説-2 (10/21 UP)

作品の位置づけ:『レット・イット・ビー』とは?

ザ・ビートルズのラスト・アルバムは『アビイ・ロード』なのか、それとも『レット・イット・ビー』なのか? その2作について、ファンの間で、そんなテーマで盛り上がることがある。

一般的には、レコーディングが最後なのは『アビイ・ロード』で、発売が最後になったのは『レット・イット・ビー』というふうにとらえられているが、厳密には、そうとも言いきれない。『アビイ・ロード』は4人が意識的に完成させた最後のアルバムであり、『レット・イット・ビー』はメンバー(特にポール)の意志がほとんど反映されずに生み出されたアルバムである、と言ってもいいかもしれない。

レコーディングに関しても、『アビイ・ロード』発売後、70年1月に『レット・イット・ビー』用の新録音曲として「アイ・ミー・マイン」を、すでにバンドを抜けたジョン以外の3人で収録しているという、その2作には入り組んだ流れがある。

なぜそうなったのかというと、69年1月のゲット・バック・セッションでの膨大な音源をアルバム『ゲット・バック』としてまとめ上げる作業を、4人(特にジョンとポール)は、現場を仕切ったレコーディング・エンジニアのグリン・ジョンズに委ねたからだ。それが大きなきっかけともなった。

69年5月にグリン・ジョンズが完成させた『ゲット・バック』にメンバーがOKを出していたら、『アビイ・ロード』がおそらく最後のアルバムになっただろう。あるいはその先もまだしばらくはビートルズとしての活動は続いていたかもしれない。

その後、4人は『ゲット・バック』を棚上げにしたまま、ゲット・バック・セッションでも演奏していた未完成の曲に先に手を付け、69年8月に『アビイ・ロード』を完成させた。その間、ゲット・バック・セッション時に意図していたテレビショーが映画作品へと変更になる。そして70年1月、新録音の「アイ・ミー・マイン」以外にも「レット・イット・ビー」のリード・ギターとコーラスや「フォー・ユー・ブルー」のヴォーカルなどに修正を加え、グリン・ジョンズが、今度は映画との“タイアップ”アルバム『ゲット・バック』として再びまとめ上げた。

だが、この時も4人(特にジョンとポール)からNGが出て、再び『ゲット・バック』は日の目を見ずに終わってしまう。

そこで登場したのが、伝説のプロデューサー、フィル・スペクターだった。ビートルズのビジネス・マネージャーに就任したアラン・クラインの紹介で出会ったジョンは、ジョージの薦めもあり、お手並み拝見とばかりに、(ビートルズ脱退後の)最初のソロ・シングル「インスタント・カーマ」のプロデュースをフィルに託した。即座に発売したいと考えたジョンは、1月27日に書いたその新曲をその日にすぐさま録音した(発売は2月6日)。ジョンは、フィルの手際の良い仕事ぶりを気に入り、グリン・ジョンズが手掛けた『ゲット・バック』の二度目の音源を(ポールには無断で)フィルに託した。

こうして3月23日から4月2日までフィル・スペクターがEMIスタジオでミキシング作業をし、『ゲット・バック』は『レット・イット・ビー』として生まれ変わった。

ちなみに、4月1日のセッションにはリンゴも加わり、「アクロス・ザ・ユニバース」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」「アイ・ミー・マイン」にドラムを加えた。ピーター・バウンとともにレコーディング・エンジニアを務めたリチャード・ラッシュによると、この日のオーケストラのセッションについてフィルは、「ポールが聴いたらどう思うだろうな」と言っていたそうだ。フィルは大々的な伴奏をつけるために50人からなるオーケストラを招集したが、オーケストラのスコアを書いたのは、アップルからデビューしたメリー・ホプキンの「悲しき天使」やジェイムス・テイラーの同名のデビュー・アルバム(発売当時の邦題は『心の旅路』)を手掛けたリチャード・ヒューソンだった。

作業に際し、フィルは映画の会話などを自由に使うことができたため、『ゲット・バック』のコンセプトだった“装飾のない生身の音”ではなく、映画のサウンドトラック的な意味合いを強めたより豪華絢爛なアルバムとして仕上げた。

アルバム『レット・イット・ビー』は、ビートルズ最後(12枚目)のオリジナル・アルバムとして70年5月8日に発売された(アメリカは5月18日発売)。アルバムは、アメリカでは予約の段階で370万枚を記録し、イギリス・アメリカともに1位を記録した。イギリスと日本の初回盤はカートン・ボックス仕様で、69年1月(一部2月も)の“ゲット・バック・セッション”をとらえたイーサン・ラッセルによる164ページのカラー写真集『The Beatles Get Back』が付けられた(通常盤は11月6日に発売)。

内容に関しては、全12曲と、他のオリジナル・アルバムに比べると小粒な印象ではある。だが、「レット・イット・ビー」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」「アクロス・ザ・ユニバース」の強力な3曲が入っていて、例えば『ザ・ビートルズ(通称:ホワイト・アルバム)』や『アビイ・ロード』に比べると、一般的な知名度や名曲率は高い。サウンドも、ビートルズがいかに優れたロックンロール・バンドであったかを思い知らされる好演が多い。

「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」に関しては、派手なストリングスや女性コーラスの処理にポールが激怒した話は有名だ。『レット・イット・ビー』のスペシャル・エディションには、半世紀以上の歳月を経てついにオフィシャル・リリースとなった幻のアルバム『ゲット・バック』も収録されているので、ポールの意図した質素なアレンジと、フィルによる映画音楽のようなドラマチックなアレンジのどちらの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」がいいか、聴き比べてみるのもいいかもしれない。

作品解説-1 (10/14 UP)

制作背景:ゲット・バック・セッションとは?

 ゲット・バック・セッションと聞いて、すぐにあれこれ思い浮かべられるファンは、いまなら多いにちがいない。“リアルタイム”世代は、映画『レット・イット・ビー』の元になったセッションと言えばすんなり理解するだろうし、ある程度ほじくったファンは、ポールとジョージの諍(いさか)いを思い浮かべるかもしれない。

ザ・ビートルズがビルの屋上でライヴをやったこと——それがゲット・バック・セッションの最後を飾ったと言えば、ビートルズのことをほとんど知らない(若い世代の)音楽ファンにも伝わるのではないだろうか。

69年1月に行なわれたゲット・バック・セッションとは、その名のとおり、「戻ること」を目的としたセッションだった。どこに戻るのかというと、「ライヴ活動」を再開することが主目的としてあった。

その背景として、主に次の3点がある。

①67年にマネージャーのブライアン・エプスタインが他界し、以後はポール・マッカートニー主導でバンド活動を続けてきたこと
②ジョン・レノンが特に68年以降オノ・ヨーコとの活動を重視し、ビートルズの枠組みを取っ払った活動を行なうようになったこと
③68年の『ザ・ビートルズ(通称ホワイト・アルバム)』制作中にリンゴ・スターが一時脱退したこと

マネージャーの死後、グループを率先して引っぱっていったのは間違いなくポールだったが、リーダー的存在のジョンの気持ちがビートルズから徐々に離れつつあったことをポールは肌で感じていた。ライヴ活動再開以前に、バンドとしての結びつきの強さを今一度求める気持ちがポールには強かったのは間違いない。

ビートルズの“ライヴ活動再開”については、68年の『ザ・ビートルズ』制作時にすでに動きがあった。68年12月に広報担当のデレク・テイラーは、こんなふうに語っている——69年1月18日にチャリティ・コンサートを開催し、チャリティ・ショーはテレビの特別番組として2回に分けて放送する。番組の前編はリハーサルの模様を流し、後編はコンサートを録画した映像を流す、と。

制作スタッフとして、マイケル・リンゼイ=ホッグと、彼とともに『ロックン・ロール・サーカス』を手掛けたトニー・リッチモンドが撮影監督に、またポールの依頼でグリン・ジョンズがレコーディング・エンジニア(実質的にはサウンド・プロデューサー)に任命された。

こうして69年1月2日、ビートルズの4人は、ロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオに集まり、1ヵ月に及ぶゲット・バック・セッションが始まった。

早速、ジョンの「ドント・レット・ミー・ダウン」やジョンとポールの合作「アイヴ・ガッタ・フィーリング」、ポールの「トゥ・オブ・アス」、ジョージ・ハリスンの「オール・シングス・マスト・パス」など、持ち寄った新曲のリハーサルを始めた。だが、やりなれたレコーディング・スタジオとは大きく環境の異なるだだっ広い映画スタジオでは、勝手が大きく違った。しかも、リハーサルの模様までカメラに捉えられているのだ。

それでも1月18日開催予定のコンサート(チュニジアにある3万5000人収容の円形劇場などが候補として出ていた)のためにセッションを続けていったが、セッション3日目の1月6日に、早くもポールとジョージの間で口論が繰り広げられる。映画『レット・イット・ビー』にも登場した、「トゥ・オブ・アス」を演奏中のギター・フレーズをめぐる場面だ。それ以前のセッションでも、こうした場面は多々あったに違いない。だが、フィルムが回されている中での現場のシビアな状況が捉えられてはメンバーもたまったものじゃない。

そして1月10日。昼食後のセッション再開時に「バンドを去ることにした」とジョージがジョンに伝えたのだ。

ジョージの脱退は、その後の動きに大きな影響を及ぼした。1月15日の打ち合わせ後、ジョージは次のような復帰の条件を出した。

①トゥイッケナム・スタジオでの撮影を中止すること
②ライヴ・ショーは(さらに)延期し、代わりに観客なし・予告なしで開催すること
③テレビ番組用に用意していた曲に新曲を加えたアルバム制作をアップル・ビルの新しいスタジオで行なうこと

他のメンバーはジョージに同意し、1月20日にアップル・スタジオに再び4人で顔を合わせてセッションを続けることが決まった。

自分たちの“ホームタウン”でのセッションは、前半のトゥイッケナム・フィルム・スタジオでのセッションとは雰囲気も大きく異なり、アルバムと映画制作に向けて本気のセッションへと徐々に変わっていった。何より、ジョージの勧めで新たに加わったビリー・プレストンの参加が、セッションの流れを変える大きなきっかけとなった。

そしてまさに大団円となる、結果的にビートルズの“ラスト・ライヴ”ともなった屋上での演奏——ルーフトップ・コンサートが1月30日に行なわれた。このセッションは、観客はほぼ関係者だけになったものの、いわば公開ライヴ・レコーディングでもあった。

ビートルズの“ラスト・ライヴ”は、「オーディションに受かるかな?」というジョンの有名な一言で終了。映画『レット・イット・ビー』のハイライトを飾る印象深い場面として、多くのファンの目に焼き付く、最後の名演となった。

ゲット・バック・セッションは、翌1月31日に終了。残された音源はグリン・ジョンズに託され、紆余曲折を経て最終的に『レット・イット・ビー』として完成した。