椎名林檎『逆輸入 ~航空局~』

Liner Notes

 音楽は勿論のこと、パッケージやツアーのタイトル、キービジュアルなど、音楽の周辺を形成する彼女のアイデアとボキャブラリーのセンスもまた、我々リスナーが椎名林檎に魅了され続ける一因である。2014年、デビュー15周年の締め括りにリリースされた『逆輸入〜港湾局〜』にも膝を打った。他のアーティストへ提供した楽曲のセルフカバーアルバムという体を表す名として、それはほとんど画期的な発明だった。
 その第二弾がこの『逆輸入〜航空局〜』である。続編を予感させた前作のサブタイトル“港湾局”の流れを汲んだ今回の“航空局”なるコンセプトを、椎名はやはり「前作の制作時から企てていた」と打ち明ける。
 「前作は全ての曲のアレンジを異なるアレンジャーの方々にお願いすることで、それぞれの曲がいろんな港を経由して帰ってくる(=港湾局)というイメージでした。今回は、楽曲提供当時、すでにこちらが構造を決め込んで作曲した曲を中心に選曲しました。普段からお世話になっている先生がたと、必要最小限のリアレンジに留めた格好でセルフカバーしようと取り掛かり、“直行便”、“直送便”的な意味合いを冠して、お客様の元へお届けしたいと思いました」(椎名)
 こうして椎名が2000年から2017年にかけて、石川さゆり、栗山千明、柴咲コウ、SMAP、高畑充希、ともさかりえ、林原めぐみ、Doughnuts Hole(松たか子、満島ひかり、高橋一生、松田龍平)、ICHIGO ICHIE(深津絵里)に提供した全11曲が揃った。2000年に書き下ろしたヴィンテージ、惜しまれつつ解散したSMAPのシングル、ドラマ好きの話題をさらい記録的な配信売上げを叩き出した「カルテット」主題歌と、話題にも事欠かない。
 本作の編曲を指揮したマエストロは、近年、椎名の音楽制作に欠かせない存在である村田陽一、斎藤ネコ、名越由貴夫、朝川朋之の4名と椎名自身である。加えて、80名にも及ぶ国内屈指の手練れの演奏家が参加した。
 「歌には歌のアーティキュレーションがありますよね。各音符の内容を具体的に説明するニュアンスです。クレッシェンドとかデクレッシェンドとか、スタッカートで実音は殆ど鳴らさないとか。声周りについて、私が仔細に渡って指定するのと同じ作業を、各楽器でも行っていただくという目的が第一にあります。普通、作曲の段階でこちらも各楽器をMIDIで鳴らして置きます。それを、弦ならネコ先生、管なら村田先生、エレキなら名越先生……と、それぞれ担当楽器を極めに極められた演奏家のかたへお預けする。彼らは技術的な限界も真新しい可能性も、楽器とのお付き合いを通じて熟知していらっしゃるわけです。一曲という広さの土地において建坪率/容積率いっぱいまで贅を尽くすためには、いつも部門ごとに、より専門的に掘り下げておく必要があります」(椎名)
 最小2名から最大30名まで、楽曲毎に編成されたアンサンブルが原曲の魅力を最大級に引き出している。提供先である唄い手へのオートクチュール的な箇所を排し、キーや歌詞がアップデートされた曲もある。
 「歌詞は常にその場に相応しいボキャブラリーで。密室性の高いアプローチをしながら、普遍性に富んだメッセージが残ってくれたら最高です。キーは私の声のスイートスポットに合わせるのではなく、“楽器コンシャス”で。私が歌うのは本家(=提供先)に対してあくまで分家というか亜流というかオルタナティブなので、両方ご試聴されたかたが『やっぱり本家へ戻りたい』と感じて下さるなら、それが一番です」(椎名)
 この言葉は謙遜ではなく、むしろ全ての提供曲に全身全霊を打ち込んできたという“作家・椎名林檎”の矜持と取るのが正解だろう。だが無論、彼女は“ボーカリスト・椎名林檎”でもある。時に豊潤な、時にスリリングなその歌声の存在感からは、機微をうがつような表現力の更なる成長と進化が感じられるはずだ。
 思えば前作から今作までの間に、彼女の音楽は実際に海を渡っていた。2015年に現地限定公演記念盤『垂涎三尺』をリリースして初の台湾公演を成功させると、翌2016年にはリオデジャネイロオリンピック及びパラリンピック閉会式という檜舞台で「フラッグハンドオーバーセレモニー」の演出/音楽監督を務め、国内外から賞賛を受けた(※その使用楽曲には『逆輸入〜港湾局〜』収録の「望遠鏡の外の景色」が含まれていた)。
 富士山を望む「人生は夢だらけ」から、自らの手で未踏の地へと漕ぎ出す「最果てが見たい」まで、全ての曲が何れ劣らぬ緻密なレストアによって、極上のミント・コンディションに仕上げられた。この『逆輸入〜航空局〜』とは、人生の11の場面を高らかに歌い上げたノーブルな傑作である。
 次なる『逆輸入』、またはそれに準ずる作品集が編まれるまでに、今後どれほどの新しい音楽が、発明が、椎名から我々の元に届けられるのだろうか。いよいよ来年(2018年)、彼女はデビュー20周年を迎える。時に前作のジャケットに登場した林檎太夫が、今作では文楽を想起させる人形となって姿を見せた。文楽の人形遣いが重要な役を任されるようになるのも、キャリアの15年から20年目の頃だという。“女による女のための曲”という志を胸に、日出処の目抜き通りから海外までを闊歩した音楽家のアニバーサリー、 “乗り遅れる”なんて野暮だ。

(内田正樹)

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