椎名林檎デビュー10周年作品Album『私と放電』&『私の発電』ライナーノーツ

ポップ・ミュージックのセンセーショナリズム。椎名林檎の10年を振り返った時、まず思い浮かぶのは、かつてのセックス・ピストルズと彼らのマネージャー、マルコム・マクラーレンが効果的に用いたことで、音楽シーンに衝撃を与え、後のポップ・ミュージック史に名前を残すことになる鮮やかな音楽プレゼンテーションの手法だ。椎名林檎にとってのマルコム・マクラーレンとは、担当ディレクターである山口一樹氏、そして、デザイナーであるCENTRAL67の木村豊氏を中心に、数多くの映像作家やその他優秀なクリエイターが集結した椎名林檎の優秀なブランディング・チームである。
「そう、多分、それはすごく強い特徴なんでしょうね。山口さんと木村さんは詞曲を売るってことより、ブランド・イメージをどう作るかってことをずっとやってきてくださったってことですよね。詞曲っていう単体のことを彼らは見てないからこそ、“本能”で曲と全く関係ないガラスを割るっていうアイディアが出て来ちゃうんです。ホントにしょうがないなって思うんだけど、そういう音楽を演奏しているムードとか佇まい、人間像っていうのが私の作るものにとって重要なんだろうなっていうことに途中で気がついて、だんだん記号っぽい、一個の塊みたいなアルバムとして見せたがるようになったんだと思います。だから、実演に足を運んでもらって、そういうヒリヒリする気分を味わってもらうっていうのが大筋の目的としてあって、そのために1曲1曲っていう商品を用意するっていうことを結構早い段階から自覚してました」
 では、全てが虚構だったのかと言えば、むしろ実際はその逆で、彼女には理想とする音楽のヴィジョンがあり、そして、そこにリアリティという息吹を吹き込むことが出来る圧倒的な才能があった。嘘も方便という言い方が適当なのかどうかは分からないが、ポップ・ミュージックの神話とは、そんな風に育まれるものであると筆者は思う。しかし、その理想に向けて紡がれた魅力的な虚構を含んだ1stアルバム『無罪モラトリアム』と2ndアルバム『勝訴ストリップ』は、ある時、送り手の想像を超えた一大現象となり、その状況が彼女を苦しめることになる。そう、かつてのセックス・ピストルズがある時期に空中分解したように。ただし、繰り返すようだが、彼女には有り余る才能があった。一時期は音楽活動から足を洗うべく、結婚や出産、子育てと、私生活に立ち返ったが、多くの人がそうであったように、彼女は9.11テロで一つの大きな転機を迎えることになる。
「それ以前は、“いい曲が書がけなかったら、意味ないし、出てくる曲が殺伐として人としての営みを欠いた体温のないものだったら売り物には出来ないから、先ず人として生きたい”って、そう思っていたんです。でも、テロの一件で、私には繋がってしまった人がいっぱいいて、そこで取るべき責任も少しだけどあるかもしれないと、そう思うようになったんです。それはお金を持ったからLOHASに取り組むっていうこととは全く関係ないフラットなところ、もし貧乏でもどんな状態であっても、ああいう事件が起きたら感じただろうなっていうことが次のアルバムに繋がっていったんです」
 
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