暴走する時の流れが、幻と言われる一夜限りのライヴを白日のもとに。デビュー10周年を迎えた椎名林檎が紐解くのは、2000年7月30日に福岡県飯塚市の嘉穂劇場で行われたライヴ『(稀)実演キューシュー座禅エクスタシー』だ。このライヴは、抽選でチケットを入手した幸運な1000人の聴衆と、インターネット生中継の目撃者により、その評判を徐々に広げていった。そしていつしか「伝説の」と表されるほどに、長らく作品化を待望される、椎名林檎の実演で最も類“稀”な存在となったのである。
そこには幾つかの理由がある。まず、このライヴが非常に限られたオーディエンスに向けて行われた希少性の高いものであったということ。そして、会場の嘉穂劇場が、大正11年に設立された「中座」を前身として昭和6年に落成した江戸歌舞伎小屋様式の劇場であり、彼の地の炭鉱労働者とその家族のための貴重な娯楽の場として、長らく大衆演劇や歌手の公演を行ってきた大変趣のある有形文化財でもあったという環境の特殊性。さらにはこのライヴが行われた2000年が椎名林檎のキャリアにおいて非常に重要な一年であったという理由が挙げられる。その年の3月にセカンド・アルバム『勝訴ストリップ』を発表した彼女は、同年4月から2ヶ月間に及ぶ初のホール・ツアー『下剋上エクスタシー』を敢行。その終了後、1ヶ月と置かず、今度はトリプル・ベースの5人組バンド、発育ステータスのツアーへ。それら一連の精力的なパフォーマンスはある種のドキュメンタリーとして『下剋上エクスタシー』と『発育ステータス 御起立ジャポン』というライヴ映像作品、3枚組シングル『絶頂集』として発表されたが、このライヴのみ作品化されないまま、翌年、彼女は出産、子育て等の理由から実質的な活動休止期間に突入している。そうした事実から判断するに、2000年は椎名林檎の活動における一つの転換点であると考えていいだろう。彼女の目に宿った鬼気迫るような強さや「椎名林檎です」と言わず、敢えて、「虐待グリコゲンです」と語るMCなど、そうした節目に至る気配をこのライヴ映像は見事に捉えている。 |