鈴華ゆう子 『ボカロ三昧2』Official Interviews
鈴華ゆう子 Official Interviews
――まずは8年前、2014年4月にリリースされた『ボカロ三昧』がリリースされたときのことから振り返っていただきたいと思います。この作品の制作はどんなところから始まったんですか? 『ボカロ三昧』は最初からアルバムの企画があったわけではなくて、このバンドを結成するきっかけになったボーカロイドカバーをしたことがスタートになっています。もともと、私はピアノの先生とかピアニストの仕事をしていて、そのときから「歌手になりたい」という思いがあったんですが叶わず、このまま一生ピアノの演奏者で終わるのか思っていました。そうしたら、ちょうど東日本大震災が起こった年に私が子供の頃からやっていた詩吟のコンクールがあって、それに出場したところ日本一を獲れたんです。さらにその一週間後にはニコニコ動画のミスコンがあって参加してみたら、そこでもなぜか優勝できて。それから人生の転機がきて、いろんなところからオファーをいただくようになって考えたんです。詩吟で一位は獲ったけど、普通に歌手をやっていてもいきなり有名にはなれないし、個性のあることをやりたいって。そこで、今まで自分がやってきた技術を凝縮したようなバンドを作りたいと思ったんです。 ――なるほど。 でも、詩吟を歌うときって伴奏楽器としてお箏と尺八があるんですけど、いきなりオリジナル曲をやっても誰も聴いてくれないですよね。そこで、当時ニコニコ動画で一世を風靡して日本の新しい文化になりつつあったボーカロイドの曲を、プロチームを集めて<演奏してみた>や<歌ってみた>として投稿してみたらすごく面白いんじゃないかと思ったんです。そして、私がイベントで出会った人たちのなかで、一緒にやりたいと思うような華のあるメンバーに声をかけてできたのが和楽器バンドなんです。それから彼らと一緒につくった動画を投稿したら初日で10万再生されて、その後も投稿していくうちにどんどん再生回数が上がっていって、レーベルの方の目にも留まるようになり、「何か企画物をやろうよ」という話になって、試行錯誤してデビューアルバム『ボカロ三昧』へとたどり着きました。 ――これまでもインタビューで何度も語ってきたお話だとは思いますが、改めて聞いても詩吟とニコニコ動画という振り幅はすごいですよね。 あはは! そうですね。普通、詩吟で優勝しても詩吟界隈で名が知れるだけで終わってしまうんですよ。私はそういうことがしたかったわけではないし、優勝したことをきっかけにして何か説得力のあるものを世に届けられると思ったので、詩吟とは全然違う世界に飛び込みたいという気持ちがありました。そうしたら当時ニコ動が好きだった私の弟が、「ゆう子ちゃんは人からリクエストを聞いてすぐ歌ったりするのが得意だから、(生配信をやったら)人気出そうじゃない?」って言われて、それがきっかけでニコニコ生放送を始めたんです。当時は詩吟とピアノを一緒にすることすらチャレンジしたことがなかったんですけど、そこで「悩んでないでやっちゃえばいいんだ!」と思えたのは運もあったと思います。 ――今思えば、すごく大きな一歩だったんですね。 初めて生配信をしたときの感動は今でも覚えています。それまではライブのチケットも自分で一生懸命手売りすることぐらいしかできなかったんですけど、生配信をきっかけに、恵比寿でやったライブに「ファンです!」って来てくれたお客さんが5人いたんですね。彼らのことは<恵比寿組>と呼んでいて、あれから15年以上が経ちましたけど、いまだに恵比寿組は自分たちでチケットを取って和楽器バンドのライブを観に来てくれています。 ――いい話ですね。 「ネットからでもリアルにつながるんだ!」と喜びを覚えたその日のことは今でも忘れないです。 ――今や当たり前のように聴いてますけど、そもそもボカロって人力ではなかなか歌いこなせない、演奏できないものを可能にするのが魅力だったわけじゃないですか。そんな楽曲をゆう子さんは最初から歌えると思っていたわけですよね。 でも、歌はどんなに上手くても聴いてもらわないと意味がないし、自己満で終わると思ってました。そんな中、いろんな歌い方をしている人たちを見ているうちに個性が大事だということに気づいて、詩吟の技術である節調を歌に埋め込むことにしたんです。それはこのときに初めて練習しました。 ――すぐにできるようになったんですか? コツを掴むまで「ああ、これは違和感あるかな?」って何度も歌って聴いてっていうのを繰り返しましたが、「これぐらいなら好かれるかも」って思えるまでにそこまで時間はかかりませんでした。「あ、私これ得意かも!」って。 ――当時、その歌い方の先駆者はいなかったわけだから、自分でOKラインを判断していたってことですよね。 そうですね。でも、そのときは自己プロデュースが楽しくて仕方がなくて、どんどんいろんな発見があるし、自分の中から溢れてくるものを表現することに夢中でした。 ――『ボカロ三昧』をつくっていくなかで、「この曲はウケるんじゃないか」という予感はありましたか? あ、実は意外と「千本桜」には不安があったんですよ。なぜかというと、当時「千本桜」ってものすごく人気があって、すでに歌われ尽くしていたんです。そういう大きなムーブメントのあとだったので「今更感があるかな?」と思って、『ボカロ三昧』の最後の推し曲を決めるときに「吉原ラメント」にするか「千本桜」にするかで揉めたんですね。「ラメント」だとメンバーに作者(亜沙)がいるのがいいと思ったんですけど、三味線と和太鼓で始まってそこに歌が乗るっていう思い切ったアレンジから考えてもやっぱり「千本桜」かなということになって、そこから急遽映像を撮ることになりました。動画を上げるまでは実は迷っていたんです。 ――じゃあ、「千本桜」があそこまで再生回数を伸ばしたのは驚きだったと。 思ったよりも伸びたし、一番驚いたのは海外の反応がすごかったことです。当時のボカロはニコニコ動画中心に投稿されていて、まだ一般にまでは降りてきていなくて、<オタク>っていう印象もまだまだ強い時代でした。当時、YouTubeには私の個人アカウントから投稿していたんですけど、「千本桜」を投稿してから「ハロー from インドネシア」「ハロー from アメリカ」みたいなコメントが世界中から届いて、それをきっかけに、このバンドは国内だけではなく世界も視野に入れるべきだと思い始めました。和楽器バンドがそれまでの自分の活動とは違うと感じたのはこのときでした。 ――結果として、『ボカロ三昧』は大ヒットを記録しました。だけど、その流れに便乗してボカロカバーアルバムを出すアーティストがいなかったというのは、この作品を実現するのがいかに難しいことなのかを証明していますよね。 はい。同じことをしようと思わないというのは、それだけハードルが高いということなんですよね。大人気アニメを実写映画化するときに原作ファンの方からすごく叩かれるのと似ていると思うんですけど、ボカロカバーというのはそう簡単に手出しできるものではなくて、どれだけ原曲をリスペクトできるかということも大事だし、そもそも和楽器でどんな弾き方をしてもOKって応えられるメンバーに出会えたことが私にとって非常に大きなことだったと思っています。このメンバーじゃないとつくれない作品でしたね。 ――そこから時を経て、『ボカロ三昧2』というとんでもなくキャッチーで、とんでもなくテクニカルな作品ができあがったわけですけど、何がこの作品を成立させたと思いますか? 一番思うのは、このメンバーだから、です。今回、それぞれが自分のできることを全力でぶつけてきて、全員が限界突破しているんですよ。これだけ長くバンドをやっていると挑戦的なことをしなくなったり、「これが自分たちのスタイル」って凝り固まってしまいそうなものなんですけど、和楽器バンドのメンバーはみんなストイックで、常に自分の役割を見出しているので、『ボカロ三昧』ではただ音を重ねていたものが、今回はまっちー(町屋)がアレンジャーとして立ってくれたり、みんな常に自己責任でバンドと向き合いながらもメンバー同士の理解を深めていったことで大きく進化したと思いますね。 ――今回のアルバムはみなさん音楽的に大変な苦労をしてつくり上げた作品で、それはゆう子さんも例外ではなかったと思います。ゆう子さん個人としてハードルが高かった曲はどれですか? 「Surges」は難しかったです。聴いている分には難しさを感じないんですが、この曲は規則性がない曲でテンポも速くて(メロディーの)跳躍もあるので、とにかく繰り返して覚えるしかありませんでした。その上で原曲の大切さを失わないように歌いこなすのは大変でしたね。私はこれまで自分の音感に救われてきているんですけど、それでもこの曲は一筋縄にはいかなかったし、これまでで一番レコーディングに備えて練習しました。 ――跳躍は他の曲でもわりとありますよね。 はい。最近のボカロのトレンドは、<高音><高速><跳躍>。自分でバンドをやっているボカロPさんの曲……「エゴロック」とか「天ノ弱」は比較的歌いやすいんですけど、トレンドを意識してつくっているPさんの曲は技術的で、歌もどちらかというとシンセサイザーのようなつくりになっているんです。なので、歌の練習するときは自分が楽器になったような意識で旋律を押さえるところからはじめて、早口になる部分は繰り返し練習しました。あとは原曲を大事にしなければならないので、好き勝手に歌うのではなく、原曲を聴き込んだ上で自分の世界観に落とし込むという女優のような気持ちでキャラの振り分けをしました。 ――「グッバイ宣言」のラストなんかもキツそうですね。 超高いです(笑)。しかも、我々は曲をつくって終わりではなくて、ライブで実演をしていくことがゴールなので、レコーディングのときからそのことがみんなの頭にあるんですよ。ライブでできないことをやってもしょうがないし、私も歌える前提でやらないといけない。たとえば、「フォニイ」は自分が普段歌ってる音域よりも5から6も高いので、新しい声域の開拓をしました。いつもだったら裏声を使っているんですけど、ここが主となる歌を歌うとなると自分のボーカル力を上げるしかないと思ったので、声域を広げる以外にも、自分の裏声の魅力は何かということを客観的に捉えるためにレコーディングして家で聴く、ということを繰り返しました。そうするなかでこの曲の歌い方が定まったという感じですね。 ――ゆう子さんほどのボーカリストがいま再び改革をしなければならないってどれだけ大変な曲なんだって話ですよ。 普通はボーカルに合わせて曲をつくるので事前に声域を把握していただくし、バンドメンバーがつくる曲も自分がつくる曲もそうなりがちなんです。でも、ボカロカバーは違います。今回、やらないで済ませがちなことに挑戦したことで自分の成長にもつながったし、最初は「自分のせいでファンが離れたらどうしよう」っていう不安とかなり向き合いましたけど、これでひと安心ってところですね……私、決して自分が歌が上手いとは思ってないので。 ――えっ!? いろいろな方の歌を聴きながら「上手いなあ」と思いますけど、その人がどういう個性を持っていて、どういうところを好きだと思わせるのかその中から見出すことが大事なので。だから私も歌を褒めていただくことはあっても、自分としては「いやいやいや……」っていう感じです。 ――そうはおっしゃいますけど、今回は上手さだけでなく、表現力も素晴らしいですよ。「マーシャル・マキシマイザー」のサビ前のセリフパートとか、「いーあるふぁんくらぶ」の<海外だよ?>とか、ちょっとしたところでの表現が光っているなと。ああいうパートってボカロでは表現し切れないわけじゃないですか。そのへんのアレンジはどうやって取り組んでいたんですか? もともと恥ずかしがり屋でできなかったところはあったんですけど、バンド以外での経験として声優をやらせていただいて、自分の殻を破ってきた部分は少なからずあって、昔は恥ずかしくてできなかったライブの煽りができるようになったのと同じように(笑)、セリフっぽく歌ってみたり、キャラクターになりきったりすることができました。声優に初めて挑戦したのはゲームだったんですが、去年はアニメでもかなり勉強させてもらって、実際にレッスンに通ったりしていくなかで自分の喋る声とキャラクターに抵抗がなくなったんです。そこから「ここにこういう表現を入れたらみんなが喜んでくれるかな」と思ったり、自分から自然に湧いてくる表現を無視しないで歌ったので、その成果がさっきおっしゃっていただいたような曲にも出てきているんだと思います。あと、声優以外にもきっかけがあって。 ――それはなんですか? 2016年にやったアメリカツアーのロサンゼルス公演でのことなんですけど、観客が私以上に個性的で、表現豊かに自分を出してきたんです。それを見たときに自分も負けじと殻を破ってセクシーさを出したり、かわいらしさをぶつけたり、バトルみたいなことが起こってそれがすごく楽しい経験だったんですね。そういうことをきっかけに歌以外の部分でも変化があったんです。 ――今回、様々なタイプの歌詞がありますけど、ゆう子さんのボーカルだとどんな曲を歌っても品がありますよね。「ド屑」とかも歌詞は強烈だけど品がある。 それが生身の人間が歌うということなので、歌手冥利に尽きます。みんな同じ歌声だったら面白くないし、自分のこれまでの生き方とかいまの想いとか、歌詞をどういうふうに言葉にしていくかというのは無意識のうちに出るものだと思うので。ボーカロイドではそういうものは出せないし、鈴華ゆう子だからこそ出せるもののひとつかもしれないですね。 ――初めて『ボカロ三昧』を制作したとき、メンバーのほとんどが和楽器バンドを単なる企画物のひとつだと思っていたわけですけど、そんなバンドを10周年が視野に入るぐらいまで続けることができた要因は何だったと思いますか? そこに可能性や夢を見ていたからこそ止める必要はなかったし、希望がある限りは続けようと思えるものになっていったことが続けてこられた理由ですね。そこに常に可能性を感じられたからということに尽きると思います。この8人でやっているといろんな夢を持ちたいと思うような状況が生まれるし、この8人に対して同じような夢を持った方が集まってくださって、チームとしてみんなで同じ方向を見られるような希望がいまも続いているんです。 ――替えが効かない人たちですよね。 そうですね。もし変わるとするなら全く違った形になると思います。私たちはお互いをリスペクトしているし、このメンバーだからこそだよなって感じる場面が音楽以外にもあったりするので、一人変わったらそのバランスも変わるし、めちゃめちゃ上手い人が入ったとしてもどうなるかはわからないですね。 ――『ボカロ三昧』から8年が経ちました。この年月はゆう子さんにとってどんなものになりましたか? 非常にドラマチックでした。私は基本的には平穏に生きていたい人なんですけど(笑)、このバンドと向き合っている以上、ドラマチックなことが起きがちで。メンバーそれぞれのライフステージも変わっていくし、レーベルが変わったことで支えてくださる方々も変わるし、私が望んでいた以上にドラマチックな日々を生きています。私自身、「もう8年?」って感覚なんです。『ボカロ三昧』が昨日のことのように感じるのに、時代は変わってストリーミングが中心になったり、時代に流されながらも私たちは時代を読んであんなこともこんなことも乗り越えてきました。昨日のことのようでもあり、気づけば時が経っていたっていう感覚もあり、そもそもそんなことを考えてる暇もないぐらいあっという間でした。 ――今や、<昔のボカロ>というものが存在するのもちょっとした驚きですよね。もはやボカロが歴史のある音楽になってきているという。 生まれた頃からボカロがあるという子供もいるだろうし、ボカロ自体も進化して難しくなったり、作曲者がグレードアップしていたり。バッハからモーツァルトへ移り、シューマンが生まれて、ショパンが生まれて、ドビュッシーまでたどり着くと今度は7thや9thの世界になっていったように、これまでになかった進化を求めてるうちにどんどん変化が生まれていく。それで言うとボカロは今、ちょうど技巧的になっている時代だと思います。それに、ボカロはもうオタクだけのものではなくなって、だいぶ一般レベルにまで降りてきましたよね。いまはボカロPからデビューするケースもたくさんあるし、見られ方が変わったなと思います。昔、私たちはすごく叩かれたことがあったけど、いまはそういうことを言う人もあまりいなくなりましたね。 ――いまや、「世界で勝負するには日本発祥のボカロのような楽曲をやるべきだ」というアーティストもいます。こうやって日本の音楽は進化していくんだなと思いました。 和楽器バンドも国内向けと海外向けでいろいろ試していた時期があったんですけど、いまはコロナを経て、いったん日本のトレンドに目を向けてやっているところです。よく海外の人たちがYouTubeに私たちのリアクション動画を上げてくださるんですけど、最近の海外の音楽ってそんなに複雑じゃなくて、トランス状態でノレるようにループ系のものが流行ってますよね。でも、日本ではAメロBメロサビっていうことを今もやっているし高速なので、そういった音楽に対して目が点になっているリアクションが多いんですよ(笑)。歌詞も海外だと同じフレーズの繰り返しが多かったりするけど、ボカロの歌詞はすごく複雑で、日本語を喋っている我々でも難しかったりしますよね。 ――たしかにそうですね。 そういう今の私たちを今の日本の音楽として海外にすぐに届けられるし、和装や和楽器に興味を持ってくれる人も多くて、今はあまり文化の隔たりなく音楽を届けられる時代になったと思っているので、海外向けとして媚びずに、ありのままのわたしたちを知ってもらいたいですね。そのほうが和楽器バンドにとってもいいと思うんです。 ――8月27日から始まるツアー「和楽器バンド ボカロ三昧2 大演奏会」はどんなものにしたいですか? ボーカロイドの楽曲を歌うということは、自分に合ったオリジナル曲を歌うのと完全に向き合い方が違うんです。なので、今回のツアーはステージに立ち続ける体力やボーカル力がさらにアップできるようなものになると思います。今回はアルバムを引っ提げてのツアーなので、『ボカロ三昧2』を聴いてライブを観てみたいと思った方をさらに引き込むような魅力あふれるライブを作らねばと思っています。いまリハをやっているんですけど、観た人を驚かせるようなものになると思えるし、スタッフさんも「めちゃカッコいいよ!」と言ってくださるので、コロナ禍でなかなかライブに来られなかった方もいると思うんですが、今回は皆さんの近くへ行くので、ちょっとでも興味を持って来てくださった方々を「来てよかった!」と思わせるようなライブを作っていきたいと思っています。「こんなフレーズを弾いてたんだ!」って気づくようなものが聞こえてくるかもしれない。全曲ぶっ通しで歌うなかで生まれてくる私のアドリブや人間味あふれる息遣いも毎回違うので、同じセットリストだったとしても何が起こるのかわからない内容になると思います。
Interview&Text:阿刀“DA”大志