インタビュー

由紀さおり・安田祥子の姉妹はこんなふうに考えました


ふたりは巡り、歌は澄む

 昭和61(1986)年といえば、ハレー彗星が76年ぶりに地球に大接近した年である。国内でいうなら、英国チャールズ皇太子とダイアナ妃が来日し、東京青山通りはダイアナ・フィーバーに沸いた。

 けれどもこの年、もっとちいさな出来事があって、それはとりわけある年代から上の世代の日本人の胸にポッと明かりをともした。聴こえてきたのは童謡・唱歌の透明な歌声だったのだ。

 姉の安田祥子、妹の由紀さおり。姉はクラシック界で揺るぎない評価を得て、妹は歌謡界で多くのヒットを生み女優としても活躍。その姉妹が同じステージに立ち、童謡・唱歌を聴かせてくれた。ジャンルを超えた共演だが、そもそも姉妹は幼いころひばり児童合唱団に所属していたから、二人の同じ故郷に帰ったともいえる。「感動にジャンルなどないんだから、二人でやったらいいのに」という母の素朴な、さりげないひとことが導いた企画でもある。その企画をいよいよ始めるにあたって、姉妹には決め事があった。

「たとえば『ふるさと』という唱歌でいえば、安田祥子の『ふるさと』でもなく、由紀さおりの『ふるさと』でもない、原型に忠実な、ありのままの『ふるさと』に徹すること」

 歌い手の個性やニュアンスを前面に出すことをしない。いうまでもないことだが、優れた作品こそが主役であること。

 その決め事と意志は聴衆に響いた。ああ、教室で歌ったあの歌だ。大人になってあらためて聴いてみると、なんときれいな日本語だろう、なんと清い旋律だろう。

 だがしかし、そうした受け止め方がすべてではなかった。時はまさに、株価高騰のいわゆるバブル期。世の中はスピードそしてマネーの「イケイケどんどん」。童謡・唱歌などは役に立たない時代遅れの遺物だと言わんばかりの扱いを受ける。その現実を目の当たりすると、

「私たちが子どものころ胸を熱くした歌が、心なく粗末にされているようで……」

 姉妹は悲しくもあり悔しくもあった。数回でひとまず終わるはずの企画が、なんと30年もつづいているその原動力は、もしかするとあの悔しさだったかもしれない。

ことば数を慎み、深く語りかける

 童謡・唱歌は豊かである。その豊かさは、まず歌詞にあらわれる。

「余白の美、行間の技ですね」

 由紀さおりは言う。ことば数を慎み、言わずにすむことは言わず、言うべきことはていねいに吟味して言う。そういう歌詞だ。そしてその詞を清らかな旋律が、ことばの意を深く汲んで語りかける。先人が遺してくれた、まさに「こころのレガシー」である。

 指導者としても広く活動している安田祥子は、童謡・唱歌を歌うときの心がまえをひとことに集約する。

「なにげなく、なにげなく、ね」

 そうやって歌うにはもちろん技量がいるにちがいないが、飾らずリキまず、自然体で歌うのがなにより肝要ということだろう。

 ていねいさと自然体。それこそが童謡・唱歌の基調をなすといえるが、

「奥ゆかしさ、礼儀、気づかい、細やかさといったものを私たち日本人はそうした歌からも学んできたのだと思います」

 姉妹は言う。学んできたものはすなわち、失いたくないもの、失うにはあまりにも惜しいもの。

安堵する笑顔と、清々しい涙と

 30年の活動のなかで、日本列島の各地を訪れ、ステージに立ってきた。さまざまな時代に、さまざまな局面で。

 平成28(2016)年7月、『阿蘇の夏空へ』というタイトルのコンサートが開かれた。その3ヵ月前、熊本を大きな地震が襲った。多くが壊れ、さらに千回を超える余震がつづき、人びとのこころは傷んだ。回復に長い時間をかけねばならぬほどの打撃だった。そのコンサートは、そうした阿蘇市の復興支援を趣旨としたものだった。

 たくさんの市民が会場を訪れた。避難所からそのまま参加した人も少なくなかった。姉妹の歌声は、タイトルどおり、阿蘇の高い空へまっすぐ上がるように響いた。聴く人びと にこころから安堵するような笑顔があふれている。そして、涙もあふれる。

「ふしぎやね、哀しい詞を聴いとるわけではないのに、こんなによう泣けるとは」

 阿蘇のおじさんは首を傾げる。さらさらと清々しい涙なのだ。

 この「夏の阿蘇」で姉妹は、童謡・唱歌の力というべき確かな実りをあらためて実感した。そしてこれを契機として、二人の活動はまたひとつ新たなステージに向かうことになる。名づけて、「歌は大きな旅」。

こころの豊かさは、明日を正視する

 わたしたちの国には、すみずみに美しい里山が連なり、青い海が広がり、そこに日は昇り月が沈み、季節は移りゆく。童謡・唱歌のメインステージはまさにそこだ。だから全国各地のそのメインステージを訪ね、風を、雲を、鳥を、川のほとりを、夕焼けを、おかあさんを、友だちを、姉妹が澄んで歌う。先人が遺した豊かなものをていねいに手渡してゆく。だいじな何ものかを共有する。ということで、「歌は大きな旅」。

 歴史ある歌だからといって、感傷的な懐古とはちがう。まっすぐ胸に響いたものは、それぞれの地域の前進力となっていくにちがいない。こころの豊かさは、いつも明日を正視しているのだから。

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