Stories 04

浅尾美和 ×Ms.OOJA

この恋愛、全部実体験なの!?

Ms.OOJA
最初は私たちと同じ三重県出身の、バドミントンの小椋久美子ちゃんから紹介してもらったんだよね。たしか、一人めのお子さん妊娠してる時はライブにも来てくれて。
浅尾
そう!もう大好きでずーっとおじゃさんのアルバムも聴いてたんですけど、そのおかげか、上の子すごく歌が上手いんですよ(笑)。今3歳で、下は1歳になりました。
Ms.OOJA
美和ちゃん、いつもは岐阜にいるんですよね。
浅尾
そうなんです。自然豊かで、すごくいいところですよ。私は三重の中でも田舎育ちだから、そういうところで子育てできてとても幸せです。今は名古屋でテレビの番組などもやらせていただいてるんですけど、たまにこうして東京にも。音楽やってる方って周りにあまりいないし、実際に曲が出来ていく過程に参加できるなんて、本当に嬉しいというかありがたいというか。
Ms.OOJA
今日はぜひ、美和ちゃんのいろんな話を聞かせてほしいなと思ってるんです。
浅尾
逆にちょっと聞いてみたいなと思ってることがあるんですけど、おじゃさんの曲ってすごく切ない恋みたいな感じ、多いじゃないですか。あらためて歌詞カードとか見てると、これ全部実体験の恋愛だったらすごいことだなと思って(笑)。
Ms.OOJA
実体験もあるし、妄想もあるし(笑)、いろんな人の話やファンの人の手紙なんかをもとに書くことも。
浅尾
そうなんですね。自分がそういう切ない恋とかしてこなかったので、聴いてるとキュンキュンしちゃうんですよね。でも全部実体験じゃなくて安心しました。心、疲れちゃいますよね(笑)。
Ms.OOJA
(笑)。でも実体験を書くのが、いちばん書きやすい。その時の心の動きとかがわかるからね。だからいろんな人の話を聞いて、いろんな人の人生を歌うのもいいなと思って。
浅尾
そういうことなんですね。今日は何か感じてもらえたらすごく幸せです!

苦労の貯金と、今の幸せ

Ms.OOJA
学生時代はどんな感じだったの?
浅尾
ずっとバレーボールをやっていたんですが、高校の時は休みが年に2回しかなくて。1月1日と、8月31日だけ。放課後、彼氏が車で迎えに来たりしているのを横目に体育館に向かう生活でした。私たち、部の決まりで男女交際はもちろん禁止だったし、東海大会になると男子のバレー部もいるんですが、男子を見ちゃダメだったんです。
Ms.OOJA
えー!見るのもダメなの(笑)!?
浅尾
そうなんです。だからその頃は憧れがすごかったし、妄想の中で恋をするみたいな感じでした。でも今思うと、それくらい厳しかったから全国大会にも行けたし、全国大会に行けたからビーチバレーをやってみませんかっていう誘いを受けて、今があるんですよね。主人と出会えて、子供がいて、田舎の岐阜に住めて。私、あの時の頑張りって貯金されてると思ってるんですよ。私のバレーボール人生って辛いことが多かったけど、引退した後の人生が良すぎるから、あの時の貯金がどんどん出て行ってるんだろうなって(笑)。だから苦労はしなきゃじゃないけど、先日も、帰りの電車が1時間ぐらい止まっちゃったことがあったんですが、そういう小さな不幸も集めていかないとって思うんです(笑)。
Ms.OOJA
そうなの(笑)!?
浅尾
今が良すぎて、不安になるんです。だって好きな人と結婚ができて、好きな人の子供ができたって、そんなことあります!?
Ms.OOJA
その考え方がすごく素敵!でも辛かったって、ビーチバレーの時も?
浅尾
大変でした。自分としては注目されたくないのに、ビーチバレーを広めてほしいって言われてる。テレビに出たら出たで、そんな時間あるんだったら練習すればって言われたり…。本当に辛かったです。でも今は、その辛さを忘れちゃうくらい幸せだから、あの時辛い思いをしてよかったな、何度も辞めようと思ったけど、辞めなくてよかったなって思えるんです。今がなかったら、イヤな思い出のままだったでしょうからね。今は子供達とビーチバレー教室をやったり、イベントやったりしながら、子供達の笑顔っていいなあって心から思えてる。あの時頑張ったから、こうして今もビーチバレーのお仕事をいただけているんです。やっぱりお墓参りは行ったほうがいいというか(笑)、ご先祖様に感謝だなと思います。
Ms.OOJA
わかります、わかります。
浅尾
小さい時、うちのおばあちゃんにずっと言われてたんです。ご先祖様を大事にして、毎日お花を替えてとか、そういうのも貯金されてるんじゃないかなと思って。だから今も、朝起きたら仏様にご飯とお茶と…ってやって皆さんに感謝していかないと、何かあると思ってるんです。常に、そう考えて生きてます。
Ms.OOJA
そうなんだねぇ。ちなみに、ビーチバレーをやっていてよかったなと思ったことは?
浅尾
会場が満席になったことですね。スパイクを決めた時にブワーッと盛り上がる感じ、あれは嬉しかったです。高校生の時、ビーチバレーやってみませんかってお誘いを受けて会場に行った時、お客さんが全然いなくて、カメラ小僧しかいなかったんです。その状態からですからね。
Ms.OOJA
間違いなく、美和ちゃんの功績は大きいと思う。

目標は、日本一じゃなくて
オリンピック

Ms.OOJA
さっき何度も辞めようと思ってたって言ってたけど、最終的にはどうして辞めることにしたの?
浅尾
引退を決めたのは26歳の時だったんですが、オリンピックに出場するっていうビジョンが全く見えなくなったからなんです。
Ms.OOJA
年齢的には結構早いよね?
浅尾
40超えてやってる人もいるから、年齢的には早かったですね。20歳ぐらいの時って前しか見えていなくて、たとえ負けても、もうちょっとやればこの人たちに勝って先へ行くんだっていう希望しかなかったんです。でもそれが、4年目5年目になってくると、海外の選手は190cmくらいあって、手足が長くて筋肉むきむきで、世界のレベルが鮮明に見えてきたんです。世界ランキングを上げるためにはこの人たちに勝たないと、オリンピックには行けないんたってわかってきた。じゃあもっと努力しなきゃと思って必死でウエイトトレーニングをやって、砂浜で誰よりも練習してたけど、国内では優勝できてもワールドツアーでは優勝できないんです。最初は階段をひとつずつ上がれてたけど、急に上がれなくポイントっていうのがあった。それを感じた時に、スパッと辞めて田舎に帰ろうって思ったんです。私の目標は日本一じゃなくて、オリンピックだったから。
Ms.OOJA
わかる気がする。最初は、知らない強さがあるんだよね。何があるんだろうってワクワクしてて、でもどんどん「あれ?」って。私も歌手を目指してやってた時、25くらいの時に「このままだとヤバい。誰かがステージに引っ張り上げてくれることなんてないんだ」って思ったし。
浅尾
これは胸張って言えますけど、私はすごく努力をしました。あんなに努力をしたのに行けなかったんだから、全く未練がないんです。
Ms.OOJA
そこまでやりきれる人ってなかなかいないと思うんだよね。どこかで自分に甘くなっちゃうと思うから。納得するまでやり切るって、すごいことだと思う。だからスパッと辞めて、今は全力で幸せを謳歌してる。辞めた後どうしようとかは考えてたの?
浅尾
何も考えてなかったです。でも18で出てきてずっと家にいなかったから、三重に帰って、ちょっと両親とゆっくりしようかなぐらいで。だけどそのタイミングで結婚ということになったので、ゆくゆくは地元に帰ると決めていた旦那さんについて岐阜に行ったんです。
Ms.OOJA
すごくいいタイミングだったんだね。
浅尾
危うく遠距離(恋愛)になるところでした(笑)。

世界が輝いて見えた、
恋の始まり

Ms.OOJA
私たちが最初に出会ったのが、ちょうど美和ちゃんの結婚が決まった頃で。美和ちゃんのほうから好きになったって言ってたよね。
浅尾
そうなんですよ。まだ22歳ぐらいでしたけど、雑誌の表紙の撮影の時にヘアメイクで来たのが今の主人だったんです。それまでは男性のヘアメイクさんって苦手だったんですよ。高校まで男性を見ちゃいけないような生活してたから、髪を触られたりしたらすぐ好きになっちゃいそうじゃないですか(笑)。
Ms.OOJA
免疫がないからね(笑)。
浅尾
それでいつも女性の方にお願いしてたんだけど、この時は雑誌の撮影だったので、先方が用意されたヘアメイクさんだったんですよね。緊張して何を喋ったかは覚えてないけど、鏡で自分の姿を見た時にハッとしたんです。自分にないものをすごく引き出してくれてたから。マネージャーさんも「あの時の美和がすごく良かったから」ってことで、CMなど大きなお仕事の時はお願いすることにしたんです。
Ms.OOJA
そこからなんだ。
浅尾
しばらくして「いいな」と思い始めたんですけど、まずは共通の話題で攻めようと(笑)。メイクさんって、お話する時間結構あるじゃないですか。ある時「浅尾さん、今何かハマってるものないんですか?」って聞かれたんですけど、彼のブログで下調べしてたから「今、ミョウガ料理にハマってるんですよ」って答えたら「えー!僕も好きなんですよ!」って。もう、中学生みたいな恋の始まりでしたよ(笑)。
Ms.OOJA
両思いになった瞬間はどうだったの?
浅尾
長い間片思いしていたから、すごく嬉しかったです。世界が変わるというか、全部が良く見えるというか。いつも歩いている道なのに、イルミネーションされてるのかなって思うくらいキラキラして見えました。
Ms.OOJA
じゃあ、思い出に残ってるデートは?
浅尾
デートというデートを全然したことがないんですよ。ほぼ初めてくらいの感じで2人で食事に行ったんですけど、そこでプロポーズをされたんです。
Ms.OOJA
えー、すごい!ベタな質問だけど、プロポーズの言葉って?
浅尾
その日、私の誕生日だったんですよ。「はい、プレゼント」って渡されたのが、四角くて小さい箱だったんです。完全に「プロポーズ来た!」って思って開けたら、前から欲しいって言ってたiPod nanoだったんです(笑)。そりゃそうだよなって思いながら電源を入れたら、すでに私の好きな曲をたくさん入れてくれてて。私はそのことがすごく嬉しかったから、プロポーズのことなんてもう忘れて、どんな曲が入ってるのか見入ってたんです。で、「私の好きな曲ばかり!ありがとう!」って顔を上げたら、目の前に指輪があったんです。
Ms.OOJA
ステキ!ウルウルしちゃう(涙)!!
浅尾
すみません、こんな話でそんな(笑)。でも私も、話すたびに泣けるんです(涙)。
Ms.OOJA
いい話だねぇ。そこからご結婚されて、ママになって。
浅尾
子供ができてから、自分のことはすべて後回しになりました。アスリートって結構「自分、自分」な人が多いんですよ。そうじゃないとダメなんですけど。それが常に、「自分」よりも守らなければならない大切なものができた。そういう存在ができて、こういう経験をさせてもらってることがすごくありがたいなと思ってます。これも、日々の感謝に繋がるというか。大変なこともあるけど、子供の笑顔ですべて吹っ飛ぶんですよね。不思議だけど。子供とギュッてするだけで、よし明日も頑張ろうって思える。周りの理解とか協力もあって、今は家庭を1番におきながらお仕事もさせてもらってます。

思い思われる、家族のかたち

Ms.OOJA
結婚しても仕事は続けようと思ってた?
浅尾
うちは母がずっと家にいて、「ただいま」って帰ると必ず「おかえり」が聞こえてくる家庭で育ったんですね。だから私も、結婚したら仕事する気は全くなかったんです。でも、ずっとバレーボールやってて、休みの日も合宿でほとんど家にいなくて、やっと引退して家に帰ってくると思ったらすぐ結婚しちゃってた。両親からしたらすごく寂しいじゃないですか。バーレーボールやってた時の両親って、すごく元気だったんですよ。応援できる幸せがあったから。
Ms.OOJA
うちも、ライブとか来ると嬉しそうだもんね。メジャーデビューした時もすごく喜んでくれたし。
浅尾
ですよね!でも引退したら、応援することもできない。寂しいだろうし、一気に老けこんじゃうなと思っていたら、「子供ができてもお手伝いはするし、仕事があるんだったら、求められてるんだったら、絶対にやったほうがいい」って、主人のお母さんが言ってくれたんです。それで、辞めずに今に至ってるんですよ。
Ms.OOJA
ステキだなぁ。
浅尾
本当に、いいところに嫁いだんですよ(笑)。前世、めっちゃいいことしたんだと思います(笑)。最初は「いやもう、私は…」みたいな感じだったんですよ。でも子供を産んでからわかったんです。自分の子供がすごく可愛いと思うように、両親にとっての私もそうなんだよなって。めちゃくちゃ可愛くて、大事な存在。それだけ大切に思われていたことが親になってよくわかったし、子供の笑顔をずっと見ていたいという気持ちがすごくわかった。だから、お仕事をいただけるんであれば、そして画面越しであっても、両親に元気な姿を見せられたらなと思ったんです。子供が生まれてからより実家に帰るようになったし、連絡もするようになりましたね。
Ms.OOJA
子供達は美和ちゃん達のこと、どんな風に呼んでるの?
浅尾
「お父さん」と「お母さん」です。私たち夫婦は、今もお互い名前で呼び合ってますね。
Ms.OOJA
それ、ステキ。将来は子供達も「美和ちゃん」って呼んだりしてね。たまにいるじゃない、そういう家族。
浅尾
いいですね。私、主人のことを「お父さん」って恥ずかしくて呼べないんですよ。すでに自分のお父さんがいるから。でも私は以前主人のことを苗字で呼んでたから、今下の名前で呼べるなんて、すごいレベル上がったなと思ってるんですよね(笑)。スポーツやってると、ひとつ上でも絶対先輩じゃないですか。タメ口なんてもってのほか(笑)。それが「さん」じゃなく「くん」で呼べて、三重弁と岐阜弁で喋れてるなんて、出世したなって思いますよ(笑)。
Ms.OOJA
(笑)。ちなみに今日のヘアメイクもご主人にやってもらったの?
浅尾
そうなんです!東京でMs.OOJAさんに会うんだって言ったら、朝6時とかでしたけど、仕事に行く前に髪の毛やってくれました。ありがたいです(笑)。
Ms.OOJA
あぁ、もうステキ!今日は心が浄化されるようなお話、聞かせてくれてありがとう(笑)。

TALK MOVIE

Back to Home

Top