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バガテル イ短調《エリーゼのために》(1810年)
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よく知られるピアノ小品。タイトルは謎めいている。これまでは、ベートーヴェンが当時結婚を考えた女性テレーゼ・マルファッティのために書いたものの、後に楽譜を発見した出版者が、作曲者特有の悪筆で記された「テレーゼ」を「エリーゼ」と読み間違えて、その名を付したのではないかといわれてきたが、2010年、ドイツの音楽学者が、歌手「エリザベート(愛称エリーゼ)・レッケル」のために書いたとの説を発表。真実は不明のままである。
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交響曲第5番《運命》~第1楽章(1808年)
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「ジャジャジャ・ジャーン」の出だしでおなじみ、クラシック音楽の代名詞的な1曲。《運命》のタイトルは、「『運命はこのようにして扉を叩く』とベートーヴェンが語った」という逸話に由来しているが、真偽は不明。曲は迫力と高揚感満点。旋律ではなく冒頭の4音の動機を積み重ねた第1楽章の構成、交響曲史上初となるピッコロやトロンボーンの使用など、ユニークな要素が満載
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ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》~第2楽章(1798年)
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第2楽章の旋律がポピュラーソングにもなったメロディアスな名曲。ベートーヴェンの初期のピアノ・ソナタの頂点を成す傑作であり、明快な曲調ゆえに彼のソナタの中でもとりわけ高い人気を博している。「大ソナタ 悲愴」と題して出版され、ベートーヴェン自身タイトルを付した(あるいは許可した)稀少なピアノ・ソナタともなった。第1楽章の序奏の荘重で暗い気分が《悲愴》の名の主たる要因とされており、ベートーヴェンの“運命の調”ハ短調の採用もその雰囲気を後押ししている。しかしながら第1楽章の主部はエネルギーに充ちており、第3楽章はロマンティック。そして何より第2楽章の美しさが光る。
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交響曲第6番《田園》~第1楽章(1808年)
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「小川のほとりの情景」「雷雨、嵐」など具体的な言葉が各楽章に記された「標題交響曲」の(大作曲家の作品では)元祖的存在。その発想はロマン派の交響曲や交響詩に大きな影響を与えた。ほぼ同時期に書かれた《運命》とは対照的な、のどかで幸福感漂う曲想が特徴。当時田舎だったウィーン郊外のハイリゲンシュタットで主に作曲されており、本作にはその地の風物が反映しているとみられている。タイトルもベートーヴェン本人の命名。彼自身は「描写というよりもむしろ感情の表現」と語っているが、鳥たちの鳴き声や雷鳴など明確な描写もなされている。通常の4楽章ではなく全5楽章の構成、第3~5楽章が続けて演奏される点なども斬新だ。
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ピアノ協奏曲第5番《皇帝》~第1楽章(1809年)
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冒頭から華麗なピアノ独奏が登場するという、当時稀なインパクトをもった協奏曲。ベートーヴェンが完成した最後の協奏曲にして、古今のピアノ協奏曲中、屈指の人気作でもある。《皇帝》は、堂々たる内容から後世に呼ばれるようになった愛称。本作には、1809年のフランス軍ウィーン侵攻に対するナポレオンへの怒りと、地主令嬢テレーゼ・マルファッティへの恋愛感情が背景にあり、前者は軍隊風の曲調、後者は変ホ長調の明るい調性に反映されているともいわれている。曲は、当時の協奏曲では異例なほどシンフォニックな響きをもち、ピアノとオーケストラが交響曲的な融合と絶妙な対話を展開する。
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交響曲第7番~第1楽章(1813年)
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躍動感あふれる人気交響曲。ナポレオン軍に対する戦勝の関連コンサートで行われた初演は、サリエリやフンメル等の著名音楽家を含む100名の大オーケストラが演奏して生涯屈指の大成功を収め、ベートーヴェン生前における最大のヒット交響曲となった。特徴は“リズムの徹底強調”。この曲では、各楽章に設けられた一定のリズム・パターンを終始強調することで、無類の推進力と生命力が生み出される。それをワーグナーは“舞踏の神化”と表現した。アダージョやアンダンテといった緩徐楽章が置かれていないこともあって、聴いていると終始心が弾み、とりわけエキサイティングにたたみ込む第4楽章は理屈抜きに興奮・高揚すること間違いなし。
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ヴァイオリン・ソナタ第5番《春》~第1楽章(1801年)
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いかにも春を思わせるヴァイオリンのフレーズに始まる、明るく幸福感に充ちた作品。ヴァイオリン・ソナタ史上もっとも「愛されている」作品の1つともいえるだろう。タイトルはベートーヴェン自身の命名ではなく、後世にいつのまにか呼ばれるようになった愛称だが、曲の性格を的確に表わしている。当時のヴァイオリン・ソナタには珍しくスケルツォを含む4楽章構成、ロマン派に通じる曲想、ヴァイオリンとピアノの対等な動き、ヴァイオリンの美感の十全な発揮……など内容的な進境も著しい。
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ピアノ・ソナタ第14番《月光》~第1楽章(1801年)
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ベートーヴェンのピアノ・ソナタ中屈指の人気作。のちの詩人レルシュタープが第1楽章を言い表した「スイスのルツェルン湖の月光の波にゆらぐ小舟のよう」に拠るとされる《月光》の愛称で親しまれ、曲を献呈された伯爵令嬢ジュリエッタ・グイッチャルディとの恋愛エピソードもポピュラー化を後押しした。しかしながら、3連音の連続が幻想的な雰囲気を醸し出す第1楽章はかなり独創的だし、一般的な快速調の開始楽章が省かれ、楽章ごとにテンポを速めながら最も長い終楽章に至る構成もユニークだ。しかも終楽章ではこれまでになく爆発的な激情が迸る。
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トルコ行進曲(アテネの廃墟から)(1811年)
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文字通りトルコの軍楽隊風の行進曲。18世紀頃の西欧ではトルコ趣味が流行し、その軍楽隊のテイストを用いた作品が多く生み出された。本作は、モーツァルトのピアノ曲と並ぶその代表例。元々はハンガリーのペストで初演された戯曲「アテネの廃墟」の付随音楽だが、この曲だけが単独で有名になり、ピアノやヴァイオリンの小品としても人気を集めるようになった。踏み込むようなリズムと、ピッコロ(フルートを使わずに小型の同楽器のみが用いられている)やシンバル等の打楽器の響きが、トルコの軍楽隊を表している。
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交響曲第9番《合唱》~第4楽章(1824年)
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声楽を導入した、当時の交響曲としては破格の大作。日本では年末の風物詩として知られ、「歓喜の歌」の一節でもおなじみとなっている。ちなみに西欧では特別な機会に演奏されることが多い。初演も大成功を収めたが、総指揮として参加したベートーヴェンは耳の状態の悪化ゆえ終演後の拍手に気付かず、アルト歌手が手をとって聴衆の方に振り向かせ、そこで初めて皆の熱狂に気付いたとの逸話が残されている。曲は、異例の大オーケストラと4人の独唱、4部合唱による壮大な音楽。第4楽章では劇作家シラーの頌歌「歓喜に寄す」に基づいて“人類愛と協調による平和”が高らかに謳われ、“苦悩から歓喜へ”のメッセージが明確に示される。
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交響曲第3番《英雄》~第1楽章(1804年)
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交響曲の歴史を変えた記念碑的な作品。「ベートーヴェンは、貧困層から出て王制に戦いを挑んだナポレオンに共感を抱いて作曲したが、彼の皇帝即位を知って激怒。楽譜に記した献辞を激しく掻き消し、『ある英雄の思い出に捧げる』と書き直した」との逸話で知られ、自身名付けた《英雄(エロイカ)》の名で親しまれている。音楽史を変えた一番の要素は、これまでの交響曲にない長大さと巨大さ。さらには第2楽章の葬送行進曲(今でも実際の葬儀などで演奏されている)、4楽章の変奏曲の採用など随所に画期的な要素が盛り込まれ、その壮大な音楽には耳の病の絶望感を乗り越えたベートーヴェンの新境地へ挑む強い意志が反映されている。
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ヴァイオリン・ソナタ第9番《クロイツェル》~第1楽章(1803年)
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ヴァイオリン・ソナタの最高峰に位置する名作。黒人とポーランド人の混血で英国籍をもつヴァイオリニスト、ジョージ・ブリッジタワーがウィーンで行う演奏会のために作曲された。だが初演直後にベートーヴェンとブリッジタワーは原因不明(ある少女をめぐる意見の対立との説もある)の仲違いをし、気が変わったベートーヴェンは、ウィーンのフランス大使館に駐在中のパリの名手ロドルフ・クロイツェルに献呈。かくして本作を1度も弾かなかったクロイツェルの名が愛称となった。曲は、緊張感と迫力に充ちた劇的な音楽。ベートーヴェン自ら楽譜に記した「ほとんど協奏曲のような様式」をもち、両楽器がスリリングな競演を繰り広げる。
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ピアノ・ソナタ第23番《熱情》~第3楽章(1805年)
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創作中期“傑作の森”を代表するピアノ・ソナタ。書かれたのは、《運命》交響曲の創作開始と同時期にあたり、本作の第1楽章でもあの「タタタ・ター」の「運命動機」が重要な役割を担っている。また《熱情》は、ハンブルクの出版社が後世に名付けた愛称だが、この種のタイトルの中では最も楽曲の内容に沿った一例となっている。曲は両端楽章のまさに熱情的で嵐のような迫力が特徴。こうしたダイナミックな表現には、1803年夏にエラール社から贈られた最新型ピアノの機能も反映されている。なお本作を献呈されたブルンスヴィク伯爵の姉妹テレーゼとヨゼフィーネは、ベートーヴェンの恋愛にまつわる重要人物でもある。
- 君を愛す(1795年)
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ベートーヴェンが残した90数曲にのぼる歌曲の中で、最も知られている1曲。詩人ヘロゼーの詩「優しき愛」の一部に作曲された単独の歌曲で、約2分とかなり短い。素朴かつ叙情的な旋律に乗って、「私は君を愛します。君が愛してくれるように……」と歌われる、誠実でまっすぐな愛の告白の歌。
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コリオラン序曲(1807年)
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中期の《運命》交響曲と近い時期に、同じ「ハ短調」で書かれた単独の序曲。ベートーヴェンは、ウィーンの劇作家コリンの戯曲「コリオラン」に感銘を受けてこの曲を作曲し、コリンに献呈したが、戯曲の上演時に演奏されることはなかったという。コリオランは、紀元前5世紀頃のローマの英雄コリオラヌスのドイツ語名。功賞後、政治的な諍いで追放され、敵軍と結託して逆襲を謀ったが、母や妻の説得に従って断念し、悲劇的な最期を遂げた。曲は終始緊張感を漂わせながら進行。総休止の多用や強音と弱音の対比が劇的効果を高めている。
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エグモント序曲1810年)
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ベートーヴェンの序曲を代表する1曲。文豪ゲーテの戯曲「エグモント」のウィーン上演のために作曲された。エグモントは16世紀に実在したオランダ独立運動の指導者で、ゲーテはスペインの圧政に対抗した悲劇の英雄の史実に恋愛などの脚色をまじえて、この戯曲を創作した。ゲーテを敬愛するベートーヴェンは宮廷劇場からの依頼に応えて、序曲と9曲の劇付随音楽を完成。現在全曲が取り上げられる機会は少ないが、傑作の誉れ高い序曲は単独で頻繁に演奏されている。曲は、荘重な序奏に始まり、不安な主題と穏やかな主題が交錯する主部を経て、英雄を讃えた輝かしい終結部に至る。
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ヴァイオリン協奏曲~第3楽章(1806年)
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ベートーヴェン唯一のヴァイオリン協奏曲にして、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ブラームスの作品と並ぶ同ジャンルの人気作。アン・デア・ウィーン劇場のコンサートマスター、フランツ・クレメントのために、約5週間というベートーヴェンには異例の速さで作曲されたが、初演直前まで曲が仕上がらず、クレメントは初見で鮮やかに演奏したという。曲は、気品に充ち、晴れやかで牧歌的。“歌う”楽器としてのヴァイオリンの特性が、シンフォニックなオーケストラと一体になりながら、壮大な規模で追求されている。冒頭に弱音で刻まれるティンパニの4音が第1楽章全体を支配するが、これは同楽器の画期的な使用例でもある。
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レオノーレ序曲第3番(1806年)
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べートーヴェンが完成した唯一のオペラ「フィデリオ」(当初の題は「レオノーレ」)の第2版のための序曲。「第3番」だが、このオペラのために書かれた4つの序曲中2番目の作品にあたる。オペラ自体は、「スペイン・セビリャ近くの刑務所に政治犯として投獄されている夫フロレスタンを、男装して牢番の部下となった妻フィデリオ(本名レオノーレ)が救出する」という理想主義的な物語。この序曲は、本編を凝縮した交響詩的な音楽で、大スケールの充実した内容や終結の輝かしさなどから単独で演奏される機会が多い。最終的には「長すぎる」等の理由でオペラから外されたが、現在の上演ではしばしば劇中に挿入されている。
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ロマンス第2番(1798年)
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ベートーヴェンには珍しいほどの甘美さが支配した、心なごむ小品。「ロマンス」のタイトルは、元々は抒情的な歌曲、後には同様の器楽曲にも用いられた。しかしベートーヴェンがなぜこのような曲を書いたのか? その理由や経緯はわかっていない。曲は、管弦楽に乗ってヴァイオリン独奏が甘く艶やかに歌い、情熱的な部分や技巧を生かした部分を挟みながら、牧歌的に結ばれる。なお、番号とは逆にこの後に書かれた第1番も似たテイストを持つ。
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ピアノ・ソナタ第29番《ハンマークラヴィーア》~第1楽章(1818年)
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史上空前の巨大ピアノ・ソナタ。ピアニストにとって特別な(言い換えれば難物的な)存在であり、「ミサ・ソレムニス」や「第九」交響曲に向かう内的エネルギーがいち早くピアノで表された、類まれな意欲作でもある。タイトルは出版の際に付された「ハンマークラヴィーアのための大ソナタ」に拠っており、《ハンマークラヴィーア》自体は「ピアノ」を意味している。短い第2楽章以外の3つの楽章は全て10分を超えるなど、まずは物理的な規模が半端なく、中でも第3楽章は通常のソナタ1曲分に相当する。内容もピアノの限界を超えたシンフォニックな性格をもち、終楽章の長大なフーガその他革新的な技法も多数用いられている。
上級編
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ピアノ協奏曲第4番~第1楽章(1806年)
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ベートーヴェンの5曲のピアノ協奏曲の中では最も優しく柔和な逸品。大きな特徴はいきなりピアノによる第1主題で始まる点で、これは当時のセオリーに反する画期的なアイディアだった。そこに含まれる「タタタ・ター」の音型は、着想中だった《運命》交響曲との共通性を有してもいる。ピアノと管弦楽が緊迫した対比を生み出す短調の第2楽章や、切れ目なく第3楽章へ続く点も当時としては斬新。そして何より、緻密な構成と味わい深い情感から、多くの研究者がこの曲をベートーヴェンの協奏曲の最高傑作と賞している。
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ミサ・ソレムニス~キリエ(1823年)
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ベートーヴェン自身「私の最大の作品」と称した傑作の開始部分。「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」は、作曲時期が重なる「第九」交響曲と並んでベートーヴェンの創作の頂点にそびえ立つ大作であり、バッハの「ミサ曲 ロ短調」と共に音楽史の中で特別な位置を占めるミサ曲でもある。オーストリアのルドルフ大公の大司教就任式のために書き始められたが、構想は果てしなく膨らみ、就任式から3年も経って完成された。壮大かつ濃密な同作の第1曲がこの「キリエ」。合唱と独唱が相前後しながら「キリエ=主よ、憐れみ給え」と歌う荘厳な音楽だ。
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管楽器とピアノのための五重奏曲~第1楽章(1796年)
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ベートーヴェンの“娯楽音楽”の成功作。1792年にウィーンに移ったベートーヴェンは、まず地元の趣味に合わせた娯楽音楽、中でも貴族に人気のあった「ハルモニームジーク」と呼ばれる管楽アンサンブル作品を作曲することで支持を得た。オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット、ピアノという編成のこの曲もそうした方向性から生まれた作品。幸い初演時から高い人気を博した。実はこれ先輩モーツァルトの同編成の作品(K・452)がモデルになっているのだが、ベートーヴェンは本格的な室内楽と娯楽音楽の形態を融合しながら、のびやかで洗練された独自の個性を盛り込むことに成功している。
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弦楽四重奏曲第9番《ラズモフスキー第3番》~第4楽章(1806年)
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“不滅の金字塔”と称されるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の看板作。16曲ある同ジャンルの作品中、最も親しまれているのが《ラズモフスキー四重奏曲》と呼ばれる第7~9番の3曲。愛称の由来は、ロシアの貴族でウィーン駐在大使だったラズモフスキー伯爵の依頼で書かれたことに拠っている。伯爵は当時随一の名手シュパンツィヒ率いる四重奏団を抱え、自らも第2ヴァイオリンを弾いていた。3曲中この第3番は特に演奏される機会が多い作品。第1楽章の長い序奏と独特のハーモニー、第3~4楽章を続けた点、第4楽章のフーガの圧倒的な迫力などを特徴とした、緊密かつエネルギッシュな傑作だ。
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ヘンデルのオラトリオ《ユダス・マカベウス》の〈見よ、勇者の帰還〉による12の変奏曲(1796年)
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表彰式でおなじみのあの旋律を主題に用いた、チェロとピアノによる変奏曲。この主題は、ベートーヴェンが尊敬していたバロック音楽の大家ヘンデルのオラトリオ(聖書を題材にした劇的な教会音楽で、やがて世俗的な題材も用いられた。オペラとの違いは演技をしないこと)《ユダス・マカベウス》で英雄ユダの凱旋を讃えて民衆が歌う曲だが、日本ではそれを離れて、古くから運動会などで親しまれてきた。曲は、ピアノを主体に主題と変奏が奏され、チェロが様々な表情を加えていく。
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ピアノ・ソナタ第17番《テンペスト》~第3楽章(1802年)
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有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた年の初め頃に完成されたピアノ・ソナタ。「この作品を理解するにはシェイクスピアの『テンペスト(嵐)』を読むことだ、とベートーヴェンが語った」という弟子シンドラーの伝えからその愛称で呼ばれているが、シンドラーは捏造が激しい人物ゆえに、この話も信憑性は低いとみられている。曲自体は変化に富んだ劇的な音楽。第1楽章におけるドラマ性の高さが特に光り、細かな動きの中で短調の主題が美しさと迫力を醸し出す第3楽章も聴きものだ。
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歌劇《フィデリオ》~良い妻を娶った者は(1814年)
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ベートーヴェンが完成した唯一のオペラ《フィデリオ》で最後に歌われる曲。《フィデリオ》は、足掛け10年、3つの版の創作を経て完成された執念の結晶ともいうべきオペラ。「刑務所の所長のたくらみによって、政治犯として投獄されている夫フロレスタンを、男装して牢番の部下となった妻フィデリオ(本名レオノーレ)が救出する」内容には、人間の解放というベートーヴェンの理想が示されている。正義の大臣の到着によって解放がなされた後、皆がレオノーレの勇敢な精神を讃えて歌い、オペラを締めくくるのが「良い妻を娶った者は」。「第九」の合唱と共通するテイストをもった壮麗な音楽である。
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チェロ・ソナタ第3番~第1楽章(1808年)
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古今のチェロ・ソナタの最高傑作と賞される1曲。チェロ愛好家グライヘンシュタイン男爵に献呈されたが、曲自体は、当時の巨匠チェリストだったクラフトを想定して書かれたとされるので実に立派だ。ベートーヴェンの中期“傑作の森”の真っただ中に作曲され、彼の5曲のチェロ・ソナタの中で最も明快である点も魅力。曲は劇的迫力と愛らしさの両面を有しており、朗々と歌うチェロと歯切れ良いピアノが対等に渡り合う。第3楽章の短い序奏こそじっくりと進むものの、遅いテンポの楽章が置かれていないのも大きな特徴。これは、息長く歌うチェロに対して、当時まだ発展途上だったピアノの音が弱く、響きも短かったがゆえの方策とみられている。
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アデライーデ(1795年または96年)
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ベートーヴェン若き日の名作歌曲。恋人アデライーデを自然(春の庭、アルプスの雪、若葉など)の中で讃える歌詞が、4節にわたって歌われていく。転調を重ねながら、繊細さとのびやかさ、叙情的な美しさと劇的な抑揚を融合させていく手法は実に見事。その点で近代歌曲への道しるべを記した重要作と称されている。なお、曲を献呈された原詩の作者マッティソンも「多くの作曲家がこの小さなファンタジーに音楽で魂を吹き込んでくれたが、ベートーヴェンほど深いニュアンスで言葉に旋律を置いた人はいない」と賞賛している。
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ピアノ三重奏曲第7番《大公》~第1楽章(1811年)
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ピアノ、ヴァイオリン、チェロによる三重奏曲の中でも最高傑作の呼び声高い名作。ベートーヴェンのパトロンでピアノと作曲の弟子でもあったルドルフ大公に献呈されたことから《大公》の愛称で呼ばれているが、雄大な曲想もまたその名にふさわしい。円熟した書法で書かれた隙のない作品であり、中でも第3楽章の変奏曲は「ベートーヴェンの最も美しい音楽」とも称されている。なお1815年5月になされた本作の演奏が、耳の病の悪化著しいベートーヴェンにとって、ピアニストとしての最後のステージとなった。ちなみにこの曲は、村上春樹の小説「海辺のカフカ」で取り上げられたことでも話題を集めた。