~ Profile ~
音楽を兼田敏氏(故)に師事。代表作品に「三つのジャポニスム」や、2006年にフランスで開催されたクー・ド・ヴァン国際交響吹奏楽作曲コンクールに於いてグランプリを受賞した「鳳凰が舞う」、マリンバとバンドの為の協奏曲「大樹の歌」、「オデッセイ」等がある。
また、ジャズやポップスの作品も多数あり、二十数年にわたり「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」にスコアを提供、「GOLDPOP」シリーズではプロデュースも務める。
CD「真島俊夫作品集」が'08年8月に発売された。
映画等の音楽としては'99 NHKTV水曜ドラマシリーズ「噂の伝次郎」、'08年ドキュメンタリー映画「蘇る玉虫厨子」(文部省『特選』受賞)の音楽を作曲。
「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」の思い出
僕は中学3年生の時に吹奏楽部でトロンボーンを吹き始めましたが、すぐに作曲や編曲に興味を持ちました。まるっきりの我流でしたが、演奏したいと思う曲を自分達のバンド編成に合わせて編曲みたいな事をしてみました。しかし最初にぶつかったのが移調楽器という試練です。全ての楽器をCで書いたため、音を出した瞬間、現代音楽のような音が鳴り響きました。まあモダンといえばモダンですが、自分の思い描いた音とはかけはなれていました。
そこから僕の興味はさまざまな楽器やハーモニーの事へと向かいました。もともと機械いじりが好きで、その構造を調べたり設計図を引くのが大好きでしたから、楽器図鑑で楽器の生い立ちや性能を調べたり、ハーモニーの仕組みを調べたりすることも大好きでした。高校時代は明けても暮れても音楽の事ばかりで、徹夜でアレンジをして翌日は音を出してみるという毎日が続きました。授業中は居眠り、起きていてもベートーヴェンやブラームスの交響曲のミニチュア・スコアを、教科書の裏にかくして読んでいるという生活ですから、成績は下がる一方でしたが、その実体験で得た吹奏楽編成の書き方は、僕にとって大きな財産になりました。
そして大学2年の時、尊敬する兼田敏先生に音楽を習うチャンスに恵まれました。わずか1年間でしたが、僕にとっては音楽家を志す決定的な事となりました。
その後、横浜のナイト・クラブやライヴ・ハウス等で、ジャズの仕事を10数年続けましたが、この現場での仕事は今もとても役立っています。さまざまなジャンルの音楽の違いや書き方の違い、現場で通用する楽譜の書き方、それにミュージシャンの気質までを知ることが出来ました。
その間も神奈川大学吹奏楽部の定期演奏会のために毎年数曲のアレンジをしていましたが、僕が31歳の時にゲストでいらっしゃった岩井直溥先生と知り合えた事が僕の人生を大きく変えました。
岩井先生のお手伝いをすることになり、何曲かのアレンジをしましたが、先生にとても誉めていただき、N.S.B.のアレンジャーとして起用されたのです。最初は新人ですから注文通りの簡単でオーソドックスなアレンジをしましたが、こっそりと自分のサウンドを入れたりもしました。というのは、ジャズ・ポップスでも吹奏楽という編成を活かして、ビッグ・バンドにはない色彩感を出せるという考えが、いつも僕の中にあったのです。
そして、その考えを実践した'86の「オーメンズ・オブ・ラブ」と'87の「宝島」が大ヒットし、20数年経った今でも吹奏楽ポップスの定番となっている事は嬉しい限りです。
最後になりますが、吹奏楽に於けるシンフォニック・ジャズという僕の長年の考えを世に出せるN.S.B.という檜舞台に起用していただいた岩井先生への感謝の気持ちは、とても言葉では言いつくせないものがあります。